先日、報道特集でろう者教育を扱っていた。
実は、数年前からこの番組では取材をしていて、今回がはじめてではない。
オウム事件のとき大失態を演じたTBSの報道だが、無骨な姿勢と綿密な取材は今も健在だ。
今更ながら書くが、ろう者とは耳の聞こえない人のことである。
大多数が胎児のときあるいは幼少期に聴力を失い、音のない人生を歩むことを余儀なくされる。
健聴者とともに教育を受けることが困難なため、乳幼児からろう学校のお世話になることが多い。
この番組ではひとつの学校における画期的な授業方法を紹介している。
それは手話である。
「え?」と思われる人が多いと思うが、日本のろう学校では手話による授業はほとんど行われていない。10年くらい前までは手話を使うことが禁止されてたくらいだ。
当然手話を積極的に「教えて」いる学校すらないのが現状である。
これは根本に「ろう者の問題を{ろう者をなくす}」ことで解決しようとしているから。
ろう者を聴者にしようとするために聞こえない耳に無理矢理補聴器を押し込め、不確かな雑音と口や舌の動きをまねることによって言葉を学ぼうというその教育は、幼いろう者にとっては大変な労力であり、実際それが勉学の妨げになり、ろう者の教育を受ける権利ひいては社会的地位も脅かしてるのが現状なのだ。
皆さんはこの事をご存じだろうか?
一般的に、両親がろうあ者のろう児、すなわちデフファミリーのろう児の成績が、両親健聴のろう児のそれより優秀であるということを。これはろう教育界でも経験的に知っている事実であり、アメリカではすでに当たり前のことと捉えられてる。
何故か?
簡単だ、日々のコミュニケーションを口語ではなく手話でとる生活が長い為、手話を「言語」として使用できるので自分のわからないことや思ってることを表現できるからである。
ろう児の勉強を喩えて言うなら我々がフランス語で授業を受けているようなものだ。
「どの問題がわからない」じゃなくって「なにを言っているかわからない」という状況で高等教育を受けられるわけがない。手話という言語を使えばとりあえず、「わからない」「これはなに?」という意思表示ができる。
番組では生まれたときからろう児だった女の子の両親が、手話による子育てをしている様子を取材していた。
女の子が手話で「くるま」や「かめら」を表現している姿はまさしく子供が言葉を覚え口にするそれであった。
世田谷のあるNPO団体は言う。
「手話によるコミュニケーションがきちんととれてから口話法を憶えることがろう者の人権保護につながる」と。
まさしくそのとおり。
手話を積極的に教育の場に取り入れること。それがろう者の未来を切り開くのだ。
しかし、手話教育にはもうひとつ大きな問題がある。
これは別の機会に。
***************
彼の声が 聴きたいと 手で話す
寂々とただ 独りぼっち
実は、数年前からこの番組では取材をしていて、今回がはじめてではない。
オウム事件のとき大失態を演じたTBSの報道だが、無骨な姿勢と綿密な取材は今も健在だ。
今更ながら書くが、ろう者とは耳の聞こえない人のことである。
大多数が胎児のときあるいは幼少期に聴力を失い、音のない人生を歩むことを余儀なくされる。
健聴者とともに教育を受けることが困難なため、乳幼児からろう学校のお世話になることが多い。
この番組ではひとつの学校における画期的な授業方法を紹介している。
それは手話である。
「え?」と思われる人が多いと思うが、日本のろう学校では手話による授業はほとんど行われていない。10年くらい前までは手話を使うことが禁止されてたくらいだ。
当然手話を積極的に「教えて」いる学校すらないのが現状である。
これは根本に「ろう者の問題を{ろう者をなくす}」ことで解決しようとしているから。
ろう者を聴者にしようとするために聞こえない耳に無理矢理補聴器を押し込め、不確かな雑音と口や舌の動きをまねることによって言葉を学ぼうというその教育は、幼いろう者にとっては大変な労力であり、実際それが勉学の妨げになり、ろう者の教育を受ける権利ひいては社会的地位も脅かしてるのが現状なのだ。
皆さんはこの事をご存じだろうか?
一般的に、両親がろうあ者のろう児、すなわちデフファミリーのろう児の成績が、両親健聴のろう児のそれより優秀であるということを。これはろう教育界でも経験的に知っている事実であり、アメリカではすでに当たり前のことと捉えられてる。
何故か?
簡単だ、日々のコミュニケーションを口語ではなく手話でとる生活が長い為、手話を「言語」として使用できるので自分のわからないことや思ってることを表現できるからである。
ろう児の勉強を喩えて言うなら我々がフランス語で授業を受けているようなものだ。
「どの問題がわからない」じゃなくって「なにを言っているかわからない」という状況で高等教育を受けられるわけがない。手話という言語を使えばとりあえず、「わからない」「これはなに?」という意思表示ができる。
番組では生まれたときからろう児だった女の子の両親が、手話による子育てをしている様子を取材していた。
女の子が手話で「くるま」や「かめら」を表現している姿はまさしく子供が言葉を覚え口にするそれであった。
世田谷のあるNPO団体は言う。
「手話によるコミュニケーションがきちんととれてから口話法を憶えることがろう者の人権保護につながる」と。
まさしくそのとおり。
手話を積極的に教育の場に取り入れること。それがろう者の未来を切り開くのだ。
しかし、手話教育にはもうひとつ大きな問題がある。
これは別の機会に。
***************
彼の声が 聴きたいと 手で話す
寂々とただ 独りぼっち