Mというもの 6月11日(水)

馳星周の短編集「M」を買う。
金もないのに、本を買うのだけはやめられない。(^_^;)いい加減にしないとホントに今月の支払いできないぞ(^_^;)
という悶々とした気持ちのままページを開く。
...感想、もっと嫌な気分になってしまいました。(爆)
 
実は俺はこの馳星周という作家は好きではない。読後、いつもいやーーーな感覚にとらわれるから。
ではなぜ1600円もの大金(笑)をはたいて買ったか?というと扉の女性の官能的な背中の写真がグッときたというのもあるのだけど、アンダーグラウンドから見上げた恋愛小説という書き方がピピッときたからというのが大きい。
 
タイトルの「M」だが、これは「マゾ」の「M」のことである。
このタイトルの「M」だけではなく、どの短編も普通とは違った男女や家族のスタイルが刹那的に書かれている。
SMクラブの女の子に母を重ねて恋をしてしまう少年の話、売春する主婦とその家族の話、義理の妹の性癖の妄想にとらわれ落ちていくサラリーマンの話、好きな男に抱かれるためにデートクラブに入会する女子大生の話。
どれも詰めが甘く、しかも後味の悪い、救いようのない話ばかりだ。
それでもなお俺の心に残るのはなんなのか?と考えると一つの光りが見えてくる。
 
サブカルチャー、日本語では副次的文化、特定の人々だけに流行る文化や風習のことであるが、今日においてはオタク文化と言った方がわかりやすいかもしれない。この短編集にもそれを示すアイテムが多く出てくる。バイブレーター、コスプレ、ドラッグ、ナイフ、盗聴機、伝言ダイヤル、インターネットの裏画像etc...
現実社会、我々の身近な社会においてこれらはNGとされている。あってはならない、あるはずもないとなってるものもある。しかし、そういう世界に身を置くものにとってはそれらは好むと好まざるに関わらず圧倒的なリアリズムとして存在しているのだ。
そしてその激流に流されて変質してしまったり、モラルという仮面を剥ぎ取られた奥底の愛や性を淡々と描写してるところにこの短編集の凄さがあるのかもしれない。
「お前の恋愛感はホントに正しいのか」という問いを喉元に突き付けられた気分である。
いや、間違ってるかもしんないけどなんとなくね。(笑)
 
正統的支配的文化と副次的文化、光と影、陽と陰。これは社会だけではなく、個人の中にも存在すること、それを認めることによって魅惑的な陰に落ちることがないバランス感覚が身につくのかもしれない。恋愛においても、生き方においても。そんな感想をもった。それが心に残るカケラだったのだろう。
 
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過ぎ去りし 泡沫の契り仕舞置き 
千歳に褪せぬ 君への想い

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