「大日本人」鑑賞

あらすじ省略。
 
 
 
一頭最初に書いておかねばならないことは「”それでも”松本は天才である」ということである。

独特の言葉回し、喩えの妙、中庸な思想と「自分が一番面白い」と疑わない傍若無人な幼児性とのアンバランスさ、そのどれをとってみても天才の名に値する超一級モノだということは俺がわざわざここで書かなくても歴史が証明しているだろう。

そんな御仁ですら、マトモに作れない「映画」というものはつくづく難しいものなのだということを感じた映画であった。

もってまわった言い方をしたがぶっちゃけて書くと

つまらなかった

ということだ。
 
 
 
昨今のTV番組の中で最も松本らしい企画は「働くおっさん人形(劇場含む)」だろう。
アスペルガーや多動性障害(想像)で独身のおっさんをいじってリアクションを楽しむ深夜枠の番組なのだが、ここでの松本はそら喜々として無理難題を押しつけ笑うのだ。身内に障害者を持つ俺なんかはこれを見ると心の奥がジクジクするのだけど、予想不能なリアクションと素人のアドリブこそ至上の笑いと考え親をも実験台に使う松本の姿勢は支持するし、ギリギリのバラエティ番組として成立させた手腕は評価できると考える。
しかし、「おっさん劇場」の撮影が会議室でなく海外ロケだったら、おっさんだけでなくゲストも出演させてたなら、この番組は途端につまらなくなってたに違いない。以前書いたが「すべらない話」のスペシャル(年末のやつと先週のやつ)がびっくりするほどつまらないのと同じ理屈だ。

昔、「ごっつええ感じ」で松本がやってたシリーズコントに「トカゲのおっさん」というのがある。
バーコードハゲで胴体がトカゲの優しいおっさんの一大叙情詩コントなのだが、回を追うごとに悲壮感あふれる落ちぶれっぷりを発揮する切ない物語でテイストはそれに近い。
ちゅーか、哀しさとその裏に隠れる笑い(逆もあり)のコントラストの体現こそ松本の真骨頂であり、事実、色々なビデオ作品でメインテーマとして表現してきた。
となると、「大日本人」も出来るべくして出来た作品と言えなくもない。
しかし公開方法が致命的。DVDなら我慢できたかもしれないが映画にしてはいけなかったのだ。
松本の笑いを求める人はCGの出来なんか関係ないし100分も必要ない。
この映画を評価する人は大金をかけて作り上げた作品をオトすことで得る不条理さを良しとするかもしれない。元々松本には無駄に豪華を「なんでやねん!」と笑う姿勢があるしな。しかし、その態度は”映画”に対する冒とくに他ならない。本人が結構意識してるという北野武もパロディやおふざけはしたが、あくまで作品中での話であり映画そのものをバカにはしていないのだ。

そのあたりの空気は読めると思ったんだけどなぁ......
結局「大日本人」はゴールデンで放送された「すべらない話」であり海外ロケの「おっさん劇場」になってしまった。
とても残念である。

タイトルにデカデカと「松本人志第一回監督作品」とあったが二回はないだろう。いくら天才とはいえ酔狂に金を出すバカはいないのだ。「稲村ジェーン」を観て気付け。

10点

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