現代青春映画の決定版
小学生の頃、自分の口と妄想が災いして家族崩壊させた成瀬順はそれが原因で失語症となってしまう。
時が流れ高校生になった順は強制的に「地域ふれあい交流会」実行委員に指名されてしまうのだが.....

 
「桐島、部活辞めるってよ」で2010年代の等身大青春映画の決定版を観てしまってるし、色恋なんかもうピンとこない40代のオッサンには門外漢アニメだったので観たときびっくりした。
今の高校生たちのリアリティ(リアルではないかもしれないけど(笑))ある脚本と進行にオッサンは「あぁ今の子はこういう風に考えるのね」と妙な感心をした。
ただ全体的には性善的というか校内ヒエラルキーをど真ん中に描いた「桐島....」と違って、登場人物が優しいつーか甘い感じがした。まぁ最近の草食系といってしまえばそうなんだろうが。
あと親として思うのはお母さんにちょっと救いがあってもよかったかな。子供の成長に親なんか邪魔なだけだとは解ってますけどね(^_^;)

最後、告るシーン、「若いっていーなー!」と心が叫びました(笑)。面白かった!
吹奏楽をやってる娘の中日本コンクール。
無事に代表金に入賞です・゜・(つД`)・゜・

全日ではダメ金だったが今回はトップ入賞ということで喜んでおりました。
やっぱり派手な曲が良いねぇ。

出場というもの
垂れ幕掲げると実感がわきますな
懐かしいシロモノというもの
実家に帰って押し入れを整理してたらとんでもないものを見つけてしまった。
三十路オーバーの人には懐かしいこいつである(画像参照)

クリームソーダ、略して「クリソー」。
なっつかしいーーーーーー(ノ_・。)
そういえば「ティミー」ってーのもなかったか?

今でもあるんだろうか?
と気になったのでネットで探してみた。


ありました(笑)
http://www.pinkdragon.jp/store/index.shtml

あー持ってたなぁヒョウ柄のコームとか(^_^;)。
学ランもブランドとかあったよね。
俺はリバックスのタンラン(裏地タータンチェック)&ボンスリでした。
みんなはどんなの着てました?
昨日はPTA役員の歓送迎会で飲んだのだが、なんで帰宅が3時なのか?

とりあえずここ見て朝からコーヒー吹き出しました。

http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=4340

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目覚めれば 焙じ煎る香 充ち満ちて
 エプロンの君 背中から抱く
下の娘の卒園式があった。
保護者会会長のうちの嫁さんは朝から髪結いや着付けやらでドタバタしてる。出来上がった姿はオーロラ輝子みたいな感じだったので素直に感想を言ったが聞いてもらえなかった。(笑)
娘も小学校の制服に袖を通しいささか緊張気味である。
都合7年間通った幼稚園の前には担任の先生がお迎えをしていた。既に泣いている。彼女が年長組の担任をはじめて受け持ったのが今年度、やんちゃ坊主やおしゃまな小娘に随分と手を焼いたと聞く。6月に担任を降ろしてくれるよう園長に直談判したとも聞いていた。彼女にとっても感慨深い年度になることだろう。
式が始まるころになるといつもは化粧っけのなかったお母さんたちがこの日のためにとバリバリの余所行きで集まってくる。知り合いのお母さんと軽く挨拶を交わし、式場に入る。お遊戯会や園祭で幾度となく訪れた場であったが、やっぱりこういう日はひと味違う、凛とした場になってる。
式典は式次第の通り進行し、修了証書授与である。身長順に渡されるので娘は一番最初だ。緊張で肩があがっている。動きもぎこちない。
隣では嫁さんが後に控える会長祝辞の原稿を必死で憶えてる。多分やつも最近では一番緊張してるのだろう。ちょっと可笑しくなるがからかうのは可哀想なんで放っておく。
その祝辞も無事終了し、閉会となる。嫁さんは緊張の余り泣く余裕もなかったそうだ。まぁ人前で話すことがなかった人間がたとえじゃんけんで負けた上での会長職だったとしても、非常に良い経験をしたのではないだろうか。
娘の一番仲の良いハルちゃんと学区の関係で4月から離ればなれになるというので手を繋いでずっと泣きながら話をしていた。オンナはこんな小さい時分からオンナなんだなぁ、と変なところに感動する。

別れは出会いの数だけある。
使い古された言葉だが、こういう儀式に出るとやっぱそう思う。
別れの悲しさ苦しさを知らない人間に出会いのすばらしさはわからないのだ。
悲しみから逃げず泣いてもいいからきちんと向き合うことが、次のすばらしい出会いを生むのだろう。
大きくなってハルちゃんのことは忘れたとしても、このときの涙が己を成長させるのだということをいつか気付いてもらいたい。そんな大きくてかわいい女性になってもらいたいと切に願う。

あと、俺みたいなオトコに騙されないこともついでに願う。

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立山の 裾野は黒く 衣替え
ISBN:4794963955 単行本 斉藤 道雄 晶文社 ¥1,900

昨日は、ろう学校では手話の勉強や手話を使った教育はほとんどないということを書いた。
実はこの理由は単純なのである。
「先生は手話を知らない」
これだけ。
もっともこれは学ばない先生が悪いのではなく、戦前から続く口話法一辺倒の教育方針にある。
口話法の問題点はその習得が大変難しく、ろう児の二割程度しか習得できないことだ。また口話法が身に付くと言うことは実社会でも生活していけるわけで、そういう児童はろう学校に居る必要がなく、普通校に転校する。
で、ろう学校には口話法に適しない児童のみが残るというなんともマヌケな事態に陥っている。
これではなんのための教育機関か?
文部科学省は早急にこの問題に対処せねばならんだろう。
日教組も自分の権利ばーっかり訴えてないでなんか考えろ。
最近では少しずつではあるが手話も認めてきている。
しかし、ここで注意しなければならないことは、少しでも手話をかじったことのある人ならお分かりになると思うが手話には2種類あるということだ。
「日本手話」と「日本語対応手話」である。
「日本手話」は古来からろう者がコミュニケーションの手段として伝統的に使ってきた手話で、「日本語対応手話」とは文字通り我々が発音する日本語の文字通りに表現する手話である。全く別物ではないが、ろう者が日常で使う日本手話を対応手話を勉強した人が理解するのは困難と思われる。あれだ、ネイティブ津軽弁を東京の人に聞いてもらう感じ。(根拠なし)
(※詳しく知りたい人はNHKワンポイント手話 http://www.nhk.or.jp/fukushi/one_syuwa/index.html をご覧ください)
すでに日本語をマスターしている健聴者にとっては日本語対応手話の方がわかりやすいのだろう、講演会やテレビで使っている手話やカルチャースクールで教えるのは対応版が大半である。しかし、生まれた時から言葉がないろう児は、感覚的で表現力のある日本手話のほうが使いやすい。
日本語を身につけることを最優先する教育者側と、とにかく自己表現の手段を求めるろう者の対立はここでも起きている。
二日にわたってつらつらと書いてきたが、なにを言いたいかっつーと、どちらかが正しいかはわからないが手話を一つの言語と捉えるなら、まず日本手話の取得、それから日本語対応→口話法と段階を踏んでマスターするのが本人の為とも思う、ってことね。
「もうひとつの手話」という本がある(斉藤道雄著:晶文社)。
これから手話でもやってみようか、と思う方、まわりにろう者がいる方、必読の良書である。是非。
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たまに書く 真面目な 話に騙されて
 惚れちゃいけねぇ 実はエロエロ
先日、報道特集でろう者教育を扱っていた。
実は、数年前からこの番組では取材をしていて、今回がはじめてではない。
オウム事件のとき大失態を演じたTBSの報道だが、無骨な姿勢と綿密な取材は今も健在だ。

今更ながら書くが、ろう者とは耳の聞こえない人のことである。
大多数が胎児のときあるいは幼少期に聴力を失い、音のない人生を歩むことを余儀なくされる。
健聴者とともに教育を受けることが困難なため、乳幼児からろう学校のお世話になることが多い。
この番組ではひとつの学校における画期的な授業方法を紹介している。
それは手話である。
「え?」と思われる人が多いと思うが、日本のろう学校では手話による授業はほとんど行われていない。10年くらい前までは手話を使うことが禁止されてたくらいだ。
当然手話を積極的に「教えて」いる学校すらないのが現状である。
これは根本に「ろう者の問題を{ろう者をなくす}」ことで解決しようとしているから。
ろう者を聴者にしようとするために聞こえない耳に無理矢理補聴器を押し込め、不確かな雑音と口や舌の動きをまねることによって言葉を学ぼうというその教育は、幼いろう者にとっては大変な労力であり、実際それが勉学の妨げになり、ろう者の教育を受ける権利ひいては社会的地位も脅かしてるのが現状なのだ。

皆さんはこの事をご存じだろうか?
一般的に、両親がろうあ者のろう児、すなわちデフファミリーのろう児の成績が、両親健聴のろう児のそれより優秀であるということを。これはろう教育界でも経験的に知っている事実であり、アメリカではすでに当たり前のことと捉えられてる。
何故か?
簡単だ、日々のコミュニケーションを口語ではなく手話でとる生活が長い為、手話を「言語」として使用できるので自分のわからないことや思ってることを表現できるからである。
ろう児の勉強を喩えて言うなら我々がフランス語で授業を受けているようなものだ。
「どの問題がわからない」じゃなくって「なにを言っているかわからない」という状況で高等教育を受けられるわけがない。手話という言語を使えばとりあえず、「わからない」「これはなに?」という意思表示ができる。

番組では生まれたときからろう児だった女の子の両親が、手話による子育てをしている様子を取材していた。
女の子が手話で「くるま」や「かめら」を表現している姿はまさしく子供が言葉を覚え口にするそれであった。

世田谷のあるNPO団体は言う。
「手話によるコミュニケーションがきちんととれてから口話法を憶えることがろう者の人権保護につながる」と。
まさしくそのとおり。
手話を積極的に教育の場に取り入れること。それがろう者の未来を切り開くのだ。

しかし、手話教育にはもうひとつ大きな問題がある。
これは別の機会に。

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彼の声が 聴きたいと 手で話す
 寂々とただ 独りぼっち
九九の話が出たのでもうひとつ学校ネタを。

郵便局の年賀状を買いに行くと、そこに地元小学生の絵が展示してあった。
動物園を写生したであろうそれらの絵の下には「金賞」「銀賞」「局長賞」等々、色々の札が下がっていた。どれも巧いが金賞のこれよりはこっちの絵の方が明らかに優れてるだろ、という作品もいくつかある。
まぁこういう賞って選者の感性なんだろうけどね。

俺の小中学校時代の美術(図画工作)の先生はそのまんま芸術肌の先生で「感性」とか「自分の思いを大切に」とかそういう抽象的なことしか言わなかった。
テキトーに絵を描かせて授業はボケーっとしてテキトーに採点して給料がもらえるなんて美術の先生は楽だな、と思ってた。美大出の教職志望者が人あまりでなかなか就職できないという話を聞くが、そんな楽な仕事では誰も辞めないのも当たり前だろう。

俺は美術の授業が大嫌いだった。
通知票はいつも2か3。
絵を描くのは実は嫌いではない。でも上手に書けない。特に写生なんかは目の前の風景を紙の上に表現できないのだ。
森の木々を描くにしても葉っぱ1枚1枚描くワケにはいかないので省略するんだけど、どこをどうやって省略しればいいのかわからん。美的センスがない、はい、まさしくその通り(^_^;)。
で、思うように描けなくて途中で投げ出して、グチャグチャな絵になって怒られる。
そんな感じだった。

しばらくしてちょっとした事故で3ヶ月入院してたとき、なにげに観てたNHKで外人が4色の絵の具と平筆、細筆だけで海岸を描く教養番組を放送してた。
「!!!」
そこでは、水彩画の基本的な書き方テクニックを教えてたのだ。
絵を描く方には常識かもしれないが、例えば鉛筆でラフを描いてベース色を薄い色でべた塗りする、とか、ドライヤーで乾燥させてから色を重ねていく、とか、平筆の使い方とか。
「へぇ〜×10 こうやって描けばいいのかぁ。」
食い入るように観て早速母親に絵の具一式持ってこさせ、入院中はずっと絵を描いてた。テレビで観たように描けば上手に見えるのだ。それが楽しかった。
それから陶芸の方に興味が移ったので絵は滅多に描かなくなったが、陶芸も造形のテクニック...というか基本を教えてもらってすこしずつ上手になってハマっていった。
巧く描けたり造れたりすると誰でも楽しいのだな。

さて、学校の話に戻ろう。
美術は情操教育かなんか知らんが、個性・感性を大切にするらしい。
個性ってなんだ?感性は?
そんな不確定なものが大事なら点数を付けるな!といいたい。
それと、美術の先生はちゃんと「絵の描き方」を教えたほうがいい。筆の使い方、色の塗り方、鉛筆の使い方等々、「こうすれば上手に描ける」というテクニックを最初に教えて上げるべきだ。
そういうことを言うと「個性が発揮できない」とおっしゃる御仁もいると思うが、個性は基本の上に立つモノだ。それに、うまく描ければ楽しいのよ。楽しかったらどんどん上達してくる。
最初は模写でもトレースでもなんでもいい。「自分は上手に絵が描ける」という自信が大事だ。それこそ情操教育のような気がする。
別に絵が巧くなくてもいいのだ、美術の先生なんか。
そういうことを言うとと美大生、ほんとにツブシがきかなくなるか?(^_^;)
火曜日が好きだ。
なぜなら一日中デスクワークで、自分の好きなように仕事の組立ができるから。
上司に気を遣うことも部下を指導することもなく、好きな時間に飯を食って好きな時間に退社できる...なんと素晴らしい職場なんでしょう。こんなんでお金もらっていいのかしら?

小学生のとき水曜日が好きだった。
学校が終わってから「ガンダム」を観て、親父を待つ。
当時、商売をしてた父親は景気もよかったからだろう、定休日の水曜は毎週外食だったのだ。駅ビルの地下レストランで洋食を食べ、ビュッフェでパフェを食べて歩いて家まで戻る。それから家族全員で「ゆうひが丘の総理大臣」を観て就寝。いい時代だったなぁ。

高校生のときは土曜日が好きだった。
半ドンで学校が終わるとそのままチャリをこいで近くの海岸へ。ロシアの貨物船が多く入港する港が近くにあったので船員の家族の女の子がビキニ姿で泳いでたのでそれを観賞するためだ。目標物が居ないときはそのまま海で遊んでチャリで帰宅。
って片道10キロあったんだよなぁ。精一杯遊んでそのあと10キロ走って帰るなんて体力あったのねぇ。

社会人になると月曜日が好きになった。
火曜日が定休だったので月曜夜は毎週飲んでたなぁ。月曜の夜なんて飲み屋も客が少ないんで、チヤホヤされてた。まぁそれが目当てで通ったんだけど。(笑)

と、つらつらとキーボードを打ってるともう昼飯だ。
ホント、これで給料もらっていいのかなぁ(笑)

みなさんは何曜日が好きですか?

*****
惚れた道 行くは地獄で 戻るも地獄
 好色一代 渡綱の如し
ににんがし
にさんがろく
にしがはち....

ご存じかけ算の九九である。
小学校2年生の次男坊がかけ算の勉強をはじめる。
学校の授業がそのほとんどが実生活に役立たない腐れ無駄知識の中、かけ算の九九は非常に生活に密着している。オトナになっても忘れてないのは、きっと無意識のうちに日常生活でつかっているからなのだろう。

最近は憶えやすい「5の段」から勉強するらしく、一生懸命音読している。
ごいちがご
ごにじゅう
ごさんじゅうご...

へぇ、最近は「ごいち」からはじめるのか。俺らのときは「ごに」からはじめたけどなぁ。
と思いながら、問題の出し合いをして遊んでた。
(父)「ごさん?」 (子)「じゅうご!」
(父)「正解〜〜」
(こういうことを書くとドメスティックでステキなオトコに見えますか?(笑))

(子)「ごは?」 (父)「よんじゅう」
(子)「ぶ〜〜〜間違い」

どうしてだ?と聞くと
ごはしじゅう
なんだそうだ。「よんじゅう」も「しじゅう」も同じ意味だから正解だよ、と説明するが頑として認めない。なんでも学校でも先生が「しじゅう」を強要してるらしい。「7」も「なな」ではなく「しち」と呼ばねばならんそうだ。「なな」と読むと間違い。
ちょっと違和感があったが、次に次男坊がやった九九の宿題を見てあっけにとられる。五の段を早口で喋るのだという。「目標8秒!」とプリントにある。

九九を早く言うことになんのメリットがあるのか?
「よんじゅう」がダメな理由はなんなのか?
学校教育のバカぶりはわかってたつもりだが、ここまでバカだとは思いもよらなかった。

勉強で唯一大切なことは正確さである。「40」の読み方でもスピードでもない。
「良い国だわよ鎌倉ちゃん」と憶えてる子に無理矢理「良い国つくろう鎌倉幕府」と訂正させ、かつ「いいくにつくろうかまくらばくふ」という文を読むスピードを競ってなんになるというのか?
        
そんな枝葉にもならん部分にこだわってる場合か!週休二日になってただでさえ学力が低下してるのに。
と、ひとりで憤慨してました。ごっくしじゅうご。

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匂い立つ 開いた腋に 顔を埋め
 濡れた女が 白濁を絞る

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