「グエムル 漢江の怪物」鑑賞

韓国で最も大きく穏やかな大河、漢江。その近郊で屋台を営むカンドゥとその父親は今日ものんびり仕事をしていた。そんなとき橋のたもとに黒い影がぶら下がっているのを客が発見する。それこそ数年前に研究所から不法投棄された薬品が原因で突然変異した大きな怪物だったのだ.....
 
 
ゴジラから脈々と続く日本の怪物映画。そのジャンルは時代時代で左右に傾いたり日和ったり軍事的リアルさを追求したりして、時には成功したり時には失敗したりしてそれとなく続いてきてた。
初代「ゴジラ」のスピリッツを各々が解釈しそれぞれの”ポストゴジラ”を世に問うた。
平成ガメラのSFXの素晴らしさは確実に怪獣映画の復活を感じたし、ラストゴジラの北村監督のハジケっぷりはそりゃもう劇場で手を叩いて喝采したものである。

しかし心の隅の奥の奥に引っかかるジクジクしたもの。
それはきっと以前よりオトナになった俺の心が「ノリきれないんだよなぁ」と呟くため息みたいなものだと思っていた。そりゃそうだ。40近くなって「ゴジラ」ってバカみたいじゃん。という冷めた視線も同時に感じてたのだな。

でもその原因が俺がオトナになって冷めたからではなく、実は数多作られた怪獣映画が単純に「ゴジラ」のスピリットを正しく受け継いでなかったことに気付く。そう、この「グエムル 漢江の怪物」を観て、である。

怪獣映画において怪獣は主役ではない。
マクガフィンでありストーリーテラーなんである。
怪獣映画の主役はあくまで人間。その業をあぶり出すために怪獣がある。そしてその業はとてつもなくおかしくてバカバカしく見えることがままある。という本質をすっかり忘れていた。怪獣映画の本質を韓国映画で教わるとは。泣きそうになるくらい感動した。SFXがどーだとか、軍隊の指揮系統がどうだとか、そういうのじゃないんだよ。
先の「2006映画雑感」で韓国映画栄華の終焉と書いたがとんでもない。まだまだ健在である。

監督と主演は「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督とソン・ガンホ。
「殺人の追憶」が好きな人は是非観て欲しい。きっと満足してもらえるだろう。
チョーおすすめ。

95点!

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索