EDじゃない草刈さんというもの
2006年5月12日 映画
「復活の日」久々に鑑賞。
小松左京の長編小説を深作組が監督した角川映画。1980年製。
当時の...いや、現在の邦画でもあり得ないハリウッドの第一線俳優を招聘し、物語の半分を字幕スーパーを入れた洋画風にした作品、というだけで当時の角川の力が判ろうというものである。
ハリウッドからはオリビア・ハッセーにジョージ・ケネディ、グレン・フォード、ロバート・ボーン(大好き)
日本からは草刈正雄、渡瀬恒彦、夏木勲、サニー千葉、多岐川裕美
制作費20数億円、そのほとんどがギャラなのか?というくらいの豪華布陣だ。恐れ入った。
「人間の証明」からこっち、春樹ちゃんはハリウッドムービーを模としてきた。
ダイナミックでエンターテイメント性のある画作りやスターアクターの出演でその夢を叶えようとしたのだが、戦後生まれの土着のアイロニーという拭いきれない世代感がそれを許してくれなかったように思う。
はっきり言えば泥臭いのだ。
しかし、それはオリジナリティとも言える。
ハリウッドの、特にこういった合衆国を巻き込んだパニック映画においてはホワイトハウスは絶対で、荒廃する描写や大統領がポクッと死ぬシーンなんぞはあり得ない。フロンティアスピリットの象徴を汚すわけにはいかないという国民感情もあるのだろうし、パニック映画=エンターテイメント=ハッピーエンドというハリウッドの不文律があるからだ。
春樹ちゃんは(無意識にも)ハリウッドには作ることができないリアリティのある(ツッコミどころは多いが)パニック映画を作った。それはカタルシス溢れるニュータイプのパニック映画であったのだ。
ま、それが理解されることはなく、単なる徒花になったことは否めないのだけど。(笑)
80年代、ハリウッドは従来の特撮からいち早く脱皮し、SFXをつかった視覚的リアリティの道を進んでいった。対して邦画は精神的リアリティを重んじるばかり、60年代の円谷映画からの伝統芸能の上にあぐらをかいていた。
キャストだけでは客を呼び込めない、スケールにはSFXが不可欠になる近代映画の夜明け前的映画であろう。
米ソ冷戦 という言葉を聞いたことない若い子には伝わらないとは思うが、3〜40代は鑑賞すべきであろう。で、「ローレライ」や「戦国自衛隊」の薄っぺらさに鼻白むとともに80年代のバカさに赤面するのだ。
58点
小松左京の長編小説を深作組が監督した角川映画。1980年製。
当時の...いや、現在の邦画でもあり得ないハリウッドの第一線俳優を招聘し、物語の半分を字幕スーパーを入れた洋画風にした作品、というだけで当時の角川の力が判ろうというものである。
ハリウッドからはオリビア・ハッセーにジョージ・ケネディ、グレン・フォード、ロバート・ボーン(大好き)
日本からは草刈正雄、渡瀬恒彦、夏木勲、サニー千葉、多岐川裕美
制作費20数億円、そのほとんどがギャラなのか?というくらいの豪華布陣だ。恐れ入った。
「人間の証明」からこっち、春樹ちゃんはハリウッドムービーを模としてきた。
ダイナミックでエンターテイメント性のある画作りやスターアクターの出演でその夢を叶えようとしたのだが、戦後生まれの土着のアイロニーという拭いきれない世代感がそれを許してくれなかったように思う。
はっきり言えば泥臭いのだ。
しかし、それはオリジナリティとも言える。
ハリウッドの、特にこういった合衆国を巻き込んだパニック映画においてはホワイトハウスは絶対で、荒廃する描写や大統領がポクッと死ぬシーンなんぞはあり得ない。フロンティアスピリットの象徴を汚すわけにはいかないという国民感情もあるのだろうし、パニック映画=エンターテイメント=ハッピーエンドというハリウッドの不文律があるからだ。
春樹ちゃんは(無意識にも)ハリウッドには作ることができないリアリティのある(ツッコミどころは多いが)パニック映画を作った。それはカタルシス溢れるニュータイプのパニック映画であったのだ。
ま、それが理解されることはなく、単なる徒花になったことは否めないのだけど。(笑)
80年代、ハリウッドは従来の特撮からいち早く脱皮し、SFXをつかった視覚的リアリティの道を進んでいった。対して邦画は精神的リアリティを重んじるばかり、60年代の円谷映画からの伝統芸能の上にあぐらをかいていた。
キャストだけでは客を呼び込めない、スケールにはSFXが不可欠になる近代映画の夜明け前的映画であろう。
米ソ冷戦 という言葉を聞いたことない若い子には伝わらないとは思うが、3〜40代は鑑賞すべきであろう。で、「ローレライ」や「戦国自衛隊」の薄っぺらさに鼻白むとともに80年代のバカさに赤面するのだ。
58点