「フレンジー」鑑賞。

テムズ川で女性の絞殺体が発見される。それは世間を騒がせてる”ネクタイ連続殺人”の被害者だった。時を同じくしてバーテンのフレイニーは務めてたパブをクビになる。ふてくされるフレイニーに友人のラスクは親身になって話しかけるが彼こそ連続殺人の加害者だったのだ.....

「引き裂かれたカーテン」「トパーズ」等カラーで作られた晩年のヒッチコック作品はイマイチパッとしないと言われる。
確かにカラーフィルムという新しい玩具を手に入れたヒッチコックが、脚本を大物脚本家に任せきりにして視覚的ドッキリに傾倒してしまい、緊張感を無くしてしまったというのも大きいが、「もう飽きちゃった」ってのもあるんじゃなかろーか?と常々思っている。

60年代後半からアメリカではじまったニューシネマのムーブメントは、コロンボのピーター・フォークやダーティーハリーのイーストウッドようなヒーローを生んだものの、グレゴリー・ペックやケイリー・グラントといった従来正統派といわれたアクターを駆逐していった(まぁ顔が良いだけで大根だったからってのもあるが(笑))。よりリアリティを求める時代になっていったのだな。
ヒッチコック作品でもそれは例外でなく、上記の晩年の作品はなんとか70年代の雰囲気を取り込もうと躍起になってるきらいがある。それはちょうど晩年の手塚治虫が大友克洋にショックを受け作画が大幅に変質していった痛々しさに似ている。

と、前置きが長くなったがそんな中の「フレンジー」はアメリカンニューシネマの影響を受けにくいイギリスでイギリス人俳優とイギリス資本で撮影された。呪縛から逃れた彼はイングリッシュニューシネマを作ることに成功する。ヒッチコックお得意の緊張弛緩・恐怖と笑いのバランス、オープニングの空撮やロケーションの素晴らしさは傑作...とまではいかないまでも、晩年作の中では緊張感途切れず観ることができるだろう。

68点

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