お涙頂戴映画というもの
2006年3月4日 映画
祖父が亡くなったのは12年前、約30年ぶりの身内の死は俺にとって初めて体験する事で、棺桶に横たわる骸をみても全然涙が出ず、悲しいというより戸惑ったのを憶えている。出棺のとき、それまで気丈にしてた祖母が棺桶にすがりついて号泣したとき、初めて涙が溢れた。
昨年、義理の祖父が亡くなったが、その死に際を子ども達に見せた。
「おじいちゃん、頑張れ!」と涙を流しながら手足をさすった彼らが、意識はないながらも細かく息をする祖父の姿を見てどう思ったかはわからんが、逃れられない”死”というものはしっかりと心に刻まれたことだろうと思う。
俺は幼い時体験できなかったが、この儀式を経験した彼らは少なくともある一部では当時の俺より大人になったのではないだろうか。
「あおげば尊し」
小学生教師の光一は父親が末期ガンで余命3ヶ月であることを告げられる。一方担任のクラスではネットの死体画像に興味を示す生徒たちがいた。禁止してもやめない生徒に死を教えるため、病床の父にひとつの提案をする......
主演テリー伊藤、という異色キャスティングはまぁあんなもんだろう。脇の薬師丸ひろ子と入江雅人が抜群にイイので引っ張られた感じだな。
死にゆく老教師を”よし解った!”の加藤武が演じている。この人もこういう役をやるようになったのね、とちょっと感慨深かった。
病院で息をひきとり、中にはそのまま斎場に向かい通夜告別式を迎える家族....いや、核家族化が進む中、臨終の時にもその場に居られない家族が多い昨今、人の死を身近に体験できる場は極端に少なくなっている。
遺体の搬送から納棺、葬儀全般から七日明けの料理の手配まで、ほとんど斎場スタッフがお膳立てしてくれるから親しい人のお手伝いはせいぜい受付くらいで、子どもがかかわれる部分はない。
それが全ての原因とは言えないし、こんなステレオタイプのことを書くこともないのだが、死(=生きることでもあるんだが)をリアルに想像できない子どもが増えてるし、それを教えることのできない大人も増えてきているってことだな。
この映画では一人の少年を現代ッ子の象徴として淡々描いている。
なぜ少年が死体に興味があったのか?なぜ同僚は父を嫌ったのか?
そこに監督市川準の用意したエンディングはちょっとあざとくて、閉口するところもあるんだけど、卒業ソングの永遠の名曲「仰げば尊し」を上手に使って丁寧に作られてるところは好感が持てた。
お涙頂戴映画は数多ある。この映画もその範疇を出てはないと思うけど、とても印象的な映画だった。
69点
昨年、義理の祖父が亡くなったが、その死に際を子ども達に見せた。
「おじいちゃん、頑張れ!」と涙を流しながら手足をさすった彼らが、意識はないながらも細かく息をする祖父の姿を見てどう思ったかはわからんが、逃れられない”死”というものはしっかりと心に刻まれたことだろうと思う。
俺は幼い時体験できなかったが、この儀式を経験した彼らは少なくともある一部では当時の俺より大人になったのではないだろうか。
「あおげば尊し」
小学生教師の光一は父親が末期ガンで余命3ヶ月であることを告げられる。一方担任のクラスではネットの死体画像に興味を示す生徒たちがいた。禁止してもやめない生徒に死を教えるため、病床の父にひとつの提案をする......
主演テリー伊藤、という異色キャスティングはまぁあんなもんだろう。脇の薬師丸ひろ子と入江雅人が抜群にイイので引っ張られた感じだな。
死にゆく老教師を”よし解った!”の加藤武が演じている。この人もこういう役をやるようになったのね、とちょっと感慨深かった。
病院で息をひきとり、中にはそのまま斎場に向かい通夜告別式を迎える家族....いや、核家族化が進む中、臨終の時にもその場に居られない家族が多い昨今、人の死を身近に体験できる場は極端に少なくなっている。
遺体の搬送から納棺、葬儀全般から七日明けの料理の手配まで、ほとんど斎場スタッフがお膳立てしてくれるから親しい人のお手伝いはせいぜい受付くらいで、子どもがかかわれる部分はない。
それが全ての原因とは言えないし、こんなステレオタイプのことを書くこともないのだが、死(=生きることでもあるんだが)をリアルに想像できない子どもが増えてるし、それを教えることのできない大人も増えてきているってことだな。
この映画では一人の少年を現代ッ子の象徴として淡々描いている。
なぜ少年が死体に興味があったのか?なぜ同僚は父を嫌ったのか?
そこに監督市川準の用意したエンディングはちょっとあざとくて、閉口するところもあるんだけど、卒業ソングの永遠の名曲「仰げば尊し」を上手に使って丁寧に作られてるところは好感が持てた。
お涙頂戴映画は数多ある。この映画もその範疇を出てはないと思うけど、とても印象的な映画だった。
69点