国旗と勃起というもの
2006年9月23日 ちょっと考えてみたタイトル変更(笑)
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丸信材木店店主さんが嘆いてらっしゃるが、実を言うと、俺も先の国旗国歌裁判は妥当だと考えてる者のひとりである。
理由はただひとつ。
近代日本において何びとも思想を強要することはできないと考えるから。
国旗国歌が思想的と考えるかどうか?という問題もあるが、少なくとも一方が「やりたくない!」とするものを無理矢理強要する権利は教育委員会にはないと思われる。
故に今回の判決は正しい。
しかしここでいう正しいというのは”法的に間違ってない”というだけの話であって「民主主義だの思想の自由だの、そういう子供じみた主張の前に、人として一番大切な礼節がありますよね?」という前提を忘れてはならない。
目上の人には敬語を使う。
厳粛な席では正装する。
柏手は神社、お墓の前では合掌。
畳の上では正座。
こんなあったり前ことは法律で定められてない。
礼節とは法律以前のもの、すなわちコミュニケーション上のルールであり常識だから。
ただ昨今、礼節が軽んじられてきたからか、ルールを知らない者が増えたのと法律・条例の増加や時代に合わない法律がそのままになったりして、実情と判例に開きが出てきてるのが現状だ。
例えば、結婚式にTシャツで出席しても法律違反ではないが、Tシャツが理由で入場を拒否されたらおそらく違法ではないか?と思われる。
法律では礼儀の知らないバカを想定してなかったのだ。
国旗国歌問題もこれに準ずるのではないか。
卒業式で起立もせず国家を歌わない教師は横目で鼻で笑ってやればいい。
「バッカじゃねぇの?」と。
それをバカに付き合って「決めたことだからやりなさい!処分するわよ!」と原理主義的なことを言うから「じゃー!裁判だ!!!」となる。
小学生のケンカかよ。(笑)
今回の判決では”教職員は国旗・国歌に関する指導を生徒に行う義務がある”と明文化された。嫌がるヤツは歌わなくてもいいけど、生徒にはしっかり国旗と国歌の指導はしなさいよ、としたワケだ。
これにどう立ち向かうか?日教組の戦いは続く。(笑)
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丸信材木店店主さんが嘆いてらっしゃるが、実を言うと、俺も先の国旗国歌裁判は妥当だと考えてる者のひとりである。
理由はただひとつ。
近代日本において何びとも思想を強要することはできないと考えるから。
国旗国歌が思想的と考えるかどうか?という問題もあるが、少なくとも一方が「やりたくない!」とするものを無理矢理強要する権利は教育委員会にはないと思われる。
故に今回の判決は正しい。
しかしここでいう正しいというのは”法的に間違ってない”というだけの話であって「民主主義だの思想の自由だの、そういう子供じみた主張の前に、人として一番大切な礼節がありますよね?」という前提を忘れてはならない。
目上の人には敬語を使う。
厳粛な席では正装する。
柏手は神社、お墓の前では合掌。
畳の上では正座。
こんなあったり前ことは法律で定められてない。
礼節とは法律以前のもの、すなわちコミュニケーション上のルールであり常識だから。
ただ昨今、礼節が軽んじられてきたからか、ルールを知らない者が増えたのと法律・条例の増加や時代に合わない法律がそのままになったりして、実情と判例に開きが出てきてるのが現状だ。
例えば、結婚式にTシャツで出席しても法律違反ではないが、Tシャツが理由で入場を拒否されたらおそらく違法ではないか?と思われる。
法律では礼儀の知らないバカを想定してなかったのだ。
国旗国歌問題もこれに準ずるのではないか。
卒業式で起立もせず国家を歌わない教師は横目で鼻で笑ってやればいい。
「バッカじゃねぇの?」と。
それをバカに付き合って「決めたことだからやりなさい!処分するわよ!」と原理主義的なことを言うから「じゃー!裁判だ!!!」となる。
小学生のケンカかよ。(笑)
今回の判決では”教職員は国旗・国歌に関する指導を生徒に行う義務がある”と明文化された。嫌がるヤツは歌わなくてもいいけど、生徒にはしっかり国旗と国歌の指導はしなさいよ、としたワケだ。
これにどう立ち向かうか?日教組の戦いは続く。(笑)