今年の大河は「義経」である。
ここ数年の大河ドラマトレンディ化を踏襲するキャスティングで鼻白むとは思うが今回は密かに期待している俺なのだ。
原作は宮尾登美子の「宮尾本 平家物語」、「蔵」「連」の宮尾作品を金子成人がどう料理するのか?もさることながら、プラス親子や家族の葛藤など天童荒太か高村薫るかというようなエッセンスを盛り込むなどnhkの「トレンディドラマでなにが悪いか!」という開き直りをひしひしと感じることができるからである。
くわえて中国地方から東北地方まで、各地でエピソードがある源平物語は「おらが国」感もばっちりだ。きっとこぞって応援するだろう。

タッキー@義経は早々に決まったが静御前のキャスティングがなかなか決まらなかったらしい。当然だろう、天下のジャニーズの盤石のサポートがありながら一向に華ひらかないばかりか、ことごとく番組を打ち切りに追い込むタッキーと、最近は批判の多いnhkのそれも看板番組「大河」のセットである。安請け合いしてコケたら芸能人生の終わりにもなりかねない。多くのプロダクションが己の秘蔵っ子を出し惜しむのもわからんでもない。紆余曲折の上決まった石原さとみが今後ブレイクするかどうかはこのドラマにかかっているだろう。
その他、渡哲也の清盛や中井貴一の頼朝なんかはまぁ順当だな。
中尾彬、小林稔侍、松平建、高橋英樹、タンバといった大御所から上戸彩、ごまき、小池栄子、賀集利樹といったアイドル系、オセロ、ナンチャン、石原良純といったお笑い系(違)と老若男女をフォローしたキャスティングはさすが大河といったところだろう。
後半にトニー・レオンとチャン・ツィイー出演で「蒼い狼〜モンゴル立身編〜」が作られるなら完璧だ。海老沢会長には是非考慮いただきたいと思う。

ということで今年もよろしく。
がしょーーーん

総評2004というもの

2005年1月3日
昨年観た映画&ビデオのベストテンを書いてみようと思ったが、観てるワリには憶えてない作品が多い(笑)。タイトルみて「あーそーいえば観たなぁ」ってのが結構あることに驚いた。(^_^;)
だいたい映画の感想ってのはそのときどきの環境や信条によって感じ方も変わるという相対的なものなのだ。だから決められません。

....と、茶を濁すのもどーかと思うので、備忘録のつもりでフェイバリット・ムービー2004を書いてみようと思う。

「キル・ビル2」
「オアシス」
「Mr.インクレディブル」
「SAW」
「チルソクの夏」
「華氏911」
「ジョゼと虎の魚たち」
「マッハ!」
「スパイダーマン2」
「下妻物語」
「ビッグ・フィッシュ」

映画館で観た作品、DVDで観た作品入り交じりだがこのあたりが俺の琴線を鳴らした作品だろう。
中でも「ビッグ・フィッシュ」は不覚にも大泣きしてしまいエンドクレジットの間、顔を整えるのに往生したのを憶えている。(^_^;)
「チルソクの夏」で上野樹里ちゃんに萌え、「ジョゼ...」で池脇千鶴ちゃんに萌え、「下妻物語」で土屋アンナちゃんに萌えた一年でもあったなぁ。長澤まさみちゃんの「セカチュー」は観てないからアレだが、今年も頑張ってもらいたいもんだ。
「Mr.インクレディブル」に関してはまぁ期待相当の感動があったのでよかった。今後は新生ピクサーに期待したい。
「キル・ビル2」「マッハ!」という秘宝系作品の台頭も目立ったな。
「華氏911」もやっぱ2004年を象徴する作品であろう。やっと時代が追いついたと思ったら大統領選挙の結果を受け、無かったことになってる感もあるけど(笑)、ドキュメントとエンターテイメントの融合とその作品性はピカイチでした。

ちなみにレンタルビデオ屋で一番回転率の高い作品は「24」だそうだ。
面白いのかもしれんが、24時間もテレビドラマに時間割きたくないしなぁ
誰か端折って教えてください。
2005年の一発目、お目当ての「カンフーハッスル」はおあずけで子供にせがまれ「ゴジラ FINAL WARS」を観ることになる。
おー、なかなか良い父親ぶりを発揮してるではないか。俺ってば。

と、自画自賛したところで今回の「ゴジラ」はタイトルの通り最後のゴジラとして制作されている。エメリッヒ版ゴジラを作った時点でもう打ち止めだったんじゃなかったのかよ?という至極当然な疑問はこの際置いといて、1990年以降の「ゴジラ」は明らかに迷いながら作られてきたと思う。おかげで客の入りも悪かった。
詳しい興行成績まではわからないが、少なくとも劇場版「コナン」や「犬夜叉」より売れてないはずだ。

原因のひとつには平成「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の変化とその戦略の成功があげられよう。
ご存じの通り昨今の「仮面ライダー」はイケメン俳優を使い派手な立ち回りとCG、そしておおよそ幼児にはわかりそうにないストーリーテリングを用い、大人(主にお母さんだな)の鑑賞にも耐えうる作品づくりを善としてきた。戦隊シリーズやウルトラマンも同様だ。これにスポンサーの玩具メーカーからの要望であろう、武器や合体ロボットも多数出演することになった。
果たしてこの戦略は成功することになる(オモチャが売れてレンタルビデオの回転が良くなる)のだが、「ゴジラ」がそのマーケットを横目で見てたことは想像に難くない。
もうひとつは、ファン層の高年齢化とマスの縮小である。「ゴジラ」を楽しみにする客層がマニアといわれる一部のファンのみでかためられてしまったのだ。
いや、これは映画を観る側だけじゃないぞ。作り手もそういうファンばっかりになったってことだ。2000年も越えた現代に
ディテールがどーの、とか
ストーリーがどーの、とか
「モノクロゴジラ」と比べて平然と宣うその厚顔さが「ゴジラ」をがんじがらめにしたといっても過言ではない。
大森一樹や金子修介、手塚昌明(笑)といった日本を代表する監督もその呪縛から逃れることが出来なかった。当然だろう、彼らは「モノクロゴジラ」の洗礼をうけている。新しいゴジラを作るとき、前を見ず、過去のゴジラ作品の方を向いてしまっているのだから。
この二つの要因が「ブサイクなロボットがゴジラにやられる」という愚鈍なプロットを生み出してしまった。

さて、今回の「ゴジラ」には日本映画界の奇才(と言われている)北村龍平が初メガホンをとった。これは東宝が「もうゴジラはや〜〜めた」とさじを投げたことを意味する。日本が誇る怪獣映画も今はもうお荷物以外の何ものでもない。最後だから、売れなくても良い映画だから北村龍平にオファー出来たのだろう。事実、オファーがあって一番びっくりしたのは当の北村監督だという。「俺でいいのか?」といったそうだ。

そうやってできた「FINAL WARS」は度肝を抜く爽快活劇と相成ったのだ。
おそらく、北村はモノクロゴジラを観ていない。喩え観てたとしても特別な思い入れはないと思う。1969年生まれの彼にとってゴジラとは「怪獣大戦争」であり「地球攻撃命令」といった「東宝チャンピオンまつり」の「ゴジラ」なのだ。
おまつりだから、たくさんの怪獣が暴れる、小ネタギャグが随所にちりばめられる、安っぽいとはいえCGやワイヤーを使ったアクションも使う....そういうのがOKなんだな。
この確信的安っぽさはガメラや仮面ライダーのクオリティを基準にする世のお母さんお父さんには受け入れられないだろう。しかし、平成の小学生と昭和40年代の小学生には確実に大受けするはずだ。

北村ゴジラも過去の焼き直しである。しかし、それにしばられてないのがよろしい。
リスペクトや継承が悪いのではない、その余りにも大きな遺物に囚われ過ぎるのがいけないのだ。
「あずみ」で失敗した三流監督の面目躍如であろう。(褒め言葉)

60点
21世紀を代表する本格的な娯楽映画を作り、世界的に成功させたチャウ・シンチーが満を持して世に問うカンフー映画。
「カンフー・ハッスル」だぞ?タイトルに「カンフー」と堂々と謳ってるんだぞ?
斜に構えたスタンスでいつもバカ映画を作ってきた(エッセンスは「カンフー」だけれども)チャウ・シンチーの本気が伺えるってもんじゃないか。
彼はこの映画を作りたくって作りたくってしょうがなかったのだ。

なにをやってもダメなチンピラ、シンは食っていくために悪になろうと決意する。とりあえず一仕事しようと「豚小屋砦」に向かい広域暴力団「斧頭会」を名乗り悪事を働こうとしたが、そこに住む人々はかつてカンフーの達人として名を馳せた面々だったからさあ大変。シンも斧頭会のチンピラもボコボコにした達人たちであったが、斧頭会のボスが黙っていなかった。次々と刺客を送り込む。
豚小屋砦住民の必死の抵抗の中、「悪こそ我の目指す道」と思ってたシンの中で何かが目覚めるのだった......

チャウ・シンチーの映画がいくら面白くても彼はハリウッドスターにはなれない。それは彼の映画が香港映画だからである。安っぽくて下品で低俗でいい加減なコメディと京劇の要素を用いたミュージカル、それが香港映画だ。
身体を張ったアクションだけじゃない。たとえばジャッキー・チェンを見ればよくわかる。ハリウッドに進出してからの彼の演技と映画には陽気さと派手さはかわらないものの、無駄な贅肉がつきすぎて香港色が薄くなってしまった。
しかしチャウ・シンチーは違う。彼はくだらなくて馬鹿馬鹿しい香港映画が大好きで、総じてそういうバカ映画を製作・演出・出演してきた。そしてこれからも作っていくだろう。今回、コロンビアの資本が入っているにもかかわらずこのクダラナサのクオリティを保ってることからみても、チャウ・シンチーが明確にハリウッド製映画と線引きしたことがうかがえる。

くわえて彼はこの映画でブルース・リー(もしくはそれ以前)から脈々と続くカンフーアクションスターへの敬愛と慈しみに満ちた演出を施した。
物語のシークエンスは古典的な香港映画そのものだし、出演する俳優や武術指導にも70年代からのカンフー映画を作ってきたアクションスターを使っている。
カメオ出演じゃないぞ、往年のスターがスクリーンのど真ん中で型を決めるのだ。

「少林サッカー」ほどわかりやすくはない。
会場でゲラゲラ笑う小学生の声を聞いてる中、グッときてしまった。
「ありえねーー」を楽しむも良し、往年の香港映画に感涙するも良し。正月早々すばらしい映画を観られたことを有り難く思う。
こんな映画が作られるうちは中国はまだまだ大丈夫だ。

90点
TOHO(とーほー)やら”わーなー”やらやたら横文字のついた大きな複合映画館が大勢を占める昨今、それに反旗を翻すが如くミニシアターも出来てきてはいるが、それは都会での話、雪深い北陸ではそれもまだまだ叶わぬ夢である。いや、100万都市でもその勢いに陰りがあると聞いているので多分一生夢のままで終わる可能性大、ってとこだ。
だからかわからんが、自主制作映画に毛の生えたような映画や古典を地域の公民館や学校の体育館で鑑賞するというサービスが今でもある。先日、町内の親睦会で利用したのでそのお手伝いにいってきた。
昭和の香り漂う波動砲のようなフィルムプロジェクターと何本ものリール缶、スチールのパイプ椅子とゴザを並べて暗幕を張り設営する様は「ニューシネマ・パラダイス」を思い起こさせ、鼻の奥をキューンとさせる。

映目は「カサブランカ」と「寅さん」。
じじいとばばあに字幕の恋愛映画はどうか?と思ったが、それでもみなさん途中退席することなく見入ってた。
気がついたのは、昔の映画の奥行き感の素晴らしさである。立体感があると言い換えてもかまわない。それが大画面で観ると如実に表れるのだ。
寅さんなんて土曜の夜中の深夜番組でしか観たことなかったのだが、なるほど、映画はスクリーンで観るものだ、と実感。
映画がメディアの主流だった当時の制作者は大画面での絵作りがわかってたということだろう。となると、現主流のテレビをメインに活躍してる若手制作者がスクリーン対応の絵作りが出来ないってのもまぁわからんでもない気がする。
解像度を上げてCGを多用すればいいってもんじゃないのだな。

上映費用は30万ちょっと(^_^;)
大変贅沢な時間をいただきました。ごちそうさま。
「エイリアン」はどんな話かって?
「タイタニック」の感動を今一度だって?

そんなあなたの為にこのサイト
http://www.angryalien.com/

30秒で名作を味わえます。
いやぁよく出来てるわぁ。

66666ヒット感謝です。(^_^)
典型的なダメ続編映画の落ちぶれかたをしたフランス映画「TAXI」のハリウッドリメイク版。
レーサー並みの腕を持つタクシードライバーと車の運転がど下手の刑事が組んで強盗団を追いつめる、という基本プロットはそのままなんだけど、仏独特の小粋な洒落ッけをそぎ落としてスピード感溢れるスタイリッシュにしたこの「TAXI NY」はただの単純なアクションコメディとなってしまった。

リュック・ベッソン版が面白かったとは決して言わないけど、この作品をこんなレベルでハリウッドでリメイクする意味がわからん。
「TAXI」の良さは「ワイルド・スピード」や「ミニミニ大作戦」にはないバカっぽさとくだらないギャグだろう?それを切り捨てたら「ドリブン」以下になるってことがなぜわからんか?「ミシェル・ヴァイヨン」での失敗を全然活かしきれてません。
→ベッソン

強盗団が美女揃いで主役が容姿的にちょっとアレだってのは面白いと思う。でも強盗団の車がBMWってのもダメダメだ。過去のベンツの500Eやランエボを見習ってここはジャガーかマクラーレンだろ?主人公の車がフォードのクラウンビクトリアってのはまぁアリだけど。

とまぁ改悪続編の典型「TAXI」は改悪リメイクの典型にもなったのだった。

20点
H・G・ウェルズ原作は単純な時間旅行SFだった。
故に、多少の矛盾があってもそれを気にせず没頭することができるし、エンディングの小粋な演出もまた、小学生だった俺の心をがっちり掴むものだった。
そんな小説が1958年に映画化される。特撮映画の名プロデューサー、ジョージ・パルがつくった「タイムマシン」は原作の良さと踏襲しつつもエンディングに夢と希望の他に情熱を盛り込んで佳作となる。時間移動を店頭マネキンのファッション変化で見せるという斬新でスタイリッシュな演出もまた、彼ならではであろう。

そして2002年。
ウェルズのひ孫、サイモン・ウェルズ@ドリーム・ワークスとワーナーのタッグ&ガイ・ピアーズ主演でリメイクされることになる。もう成功を約束されたようなものだったはずだ。
....それがどーして「猿の惑星」と「プレデター」を足して百で割ったようなくだらない映画になるのか?
いや、前半までは映像を含めてよかったのだ。原作やオリジナル版にはない「恋愛」エッセンスを加味したことも発想としては悪くないと思う。
でも、だったらさぁ、初志を貫徹して欲しいのよーーーー(T^T)
後半で無理矢理オリジナルストーリーにもってったらあんなヘンな話になるってわからんか?主人公も科学者のクセに途中から急に腕力バリバリのマッチョな役になってるし。
2回も殺されたエマがかわいそうじゃん。大学教授なら頭使えよ。「結局捨て駒かよっ!」と三村ばりのツッコミを入れながらエンディングをみてましたわ。(__;)
あと、友人のデヴィッドよ、婚約者が死んだ友人が一週間も行方不明なら「旅だったのだよ」って黄昏れてる場合じゃないと思うぞ?

オーランド・ジョーンズが相変わらずクールでかっちょよかった。
そこだけだな。

36点
先日の「タイムマシン」、監督はウェルズのひ孫と書いたのだが、初監督そして大作の映画化という大重圧の末、途中降板したらしい。で、後半の撮影のほとんどはゴア・バービンスキーという人が撮ったそうだ。なるほど、前半部分と後半の美術セットからカメラワークまで、カラーが全然違うのはそういうワケか。

と、ひとり納得したところで同じような時間旅行(ま、旅行じゃないけど)映画「タイムライン」レビュー。

フランスの田舎の遺跡発掘現場からメガネのレンズと「HELP ME」の文字が発見される。それらを調べてみるとなんと行方をくらませてるジョンストン教授のものと判明!中世の遺跡になぜ現代人の物があるのか?事実を調べるために発掘のスポンサーITC社を訪れるジョンストン教授の孫・クリスをはじめ発掘チームの面々はそこで偶然出来上がった時空移動装置の存在を知るのであった.....

ここまで書いてみると結構面白そうなんだけど、実際観ると大したことありません。(笑)
2003年つーと「ロード・オブ・ザ・リング」があるからもうこういう中世もの(とくに壮大な戦争もの)は分が悪いってのはあるわなぁ。金のかけ方が違うから迫力は雲泥の差だ。
しかし、一番の失敗は実はその脚本にある。
タイムパラドックスの落とし前の付け方がこういう映画のキモであるのだが(「バック・トゥー・ザ・フューチャー」では見事に処理されている)まーーーったく練られていない。もっと言えば所詮夢物語、タイムパラドックスの処理に矛盾があったとしても、「過去に行かなければならない理由」が曖昧じゃダメだろう?
今回、孫たちは百年戦争を興味本位に見学しにいったおじいちゃんが帰れなくなったのを迎えに行くという理由で過去に向かう。しかもおじいちゃん、自分の身かわいさにイギリス人に21世紀の火薬を作ってあげてるし。
...えーと、勝手に死んでください。
孫とその仲間達も過去の歴史を変えてはいけないと言いながらバンバン人を殺してるしなーーー(^_^;)

21世紀にもなってこんな駄作2本が製作されるとは。
タイムマシンものはCGセット云々よりも脚本つーことだな、うん。

34点

去年は悔負だったので今年は鬼のようにしょっぱい勝負をしてやろうと思う。
勝つ勝つ勝ーーーーーつっ!!!

ということで行って参ります。
麻雀なんて世の中から抹殺してください

しくしく......(T^T)
自分の子供をビデオカメラで撮影したビデオアルバムを観てるとそれだけで楽しい、という世の親は多いと思う。しかし、それが他人の子供となるとイッキに興味は失せ、喜ぶ両親を後目に「早く終わってくれ」とただただ願うという単なる拷問になってしまうのは、誰しも思うところだろう。え?違う?(笑)
ともかく自分の子供を観るよりはつまらない行為であることはご賛同いただけるのではないか?
かように他人の子供の日常記録映像にはどーでもいいのが多いのだが、そこに映っているのが本当にかわいい子なら自分の子供を愛でる目で観られるものなのだ。

ということを実感させてくれた映画が「ポネット」である。

お母さんの車に乗車中、事故に遭遇したポネットは自らも腕に大怪我を負い、母親も亡くしてしまう。母親が死んだということは4歳のポネットに理解できなかった。父親の説得や従兄弟との会話から徐々に死を受け入れようとするが...

ポネット役のビクトワール・ティビソルが当時4歳でベネチア映画祭主演女優賞を史上最年少で受賞した本作品、もうビクトワールちゃんの可愛さだけで構成されている卑怯もん映画である。
彼女の憂いを持つ目と何気ない仕草に釘付けになり最後まで観てしまった。演技とは思えない演技は「もしかしてホントにこの子の母親を殺して撮影したんじゃなかろーか?」と感じるくらい完璧。

ダコタ・ファニングが自分の意志で演技する究極子役だとすると、ビクトワールはナチュラリズムを前面に出す至高の子役である。「はじめてのおつかい」でのノンフィクションな感動で一本の映画(フィクション)をつくった、と言えばわかりやすいかもしれない。
ポネットを差し引くと、映画自体は単調で抑揚のない演出である。観るものによっては退屈に感じることがあるかもしれない。後半の母親のシーンですらなんか盛り上がりに欠けるところがある。
だとしても、世の「はじめてのおつかい」好きは必見だ。
天才子役の奇跡の演技に驚愕することだろう。

67点
公開前、すげぇ話題になった映画がしばらくしてパタっと宣伝しなくなったとしたらそれは配給会社が「この映画じゃ儲からん」と判断し、メディアにおべっかを使わなく(広告費という名の貢ぎ物含む)なったからである。
逆に言えば、宣伝広告費をたくさんかけた映画は喩えそれがものすごくつまらない映画でもテレビに取り上げてもらえるのだ。
中にはテレビ局自身が制作・配給ってのもあって、もう必死で特集組んでるところもあるしな。(EX.「踊る大走査線」のフジテレビ、「ハウルの動く城」=日本テレビ、「どらえもん」=テレビ朝日、「あずみ」=TBS)

この「13階段」も製作委員会(という名のノーリスクカッパギ集団)にフジテレビの亀山千広が名を連ねるという、”売れてる原作もってきてポッと作ってみましたぁ”的映画である。まぁほとんどの邦画がそういう状態なんでことさらそのことについてとやかく言うことはないのだけど。

因縁をつけられた相手をはずみで殺してしまった三上純一(反町隆史)が仮釈放された。 そんな彼を刑務官・南郷正二(山崎努)が訪ねる。聞けばある死刑囚のえん罪を晴らす仕事を手伝ってくれと言うではないか。
被害者への慰謝料で切迫していた家計を助けるためこの仕事を引き受けるが、向かう町には殺した佐村の父光男(井川比佐志)が住んでいた。
自らの犯した罪に悩む純一、そして南郷自身も重い業を背負っていたのだった...
死刑制度の是非、人の死とは?被害者の信条、加害者の受けねばならない贖罪とは?という重いテーマを二転三転するストーリーでイッキにみせるサスペンス。
原作は江戸川乱歩賞を受賞したらしい。

原作は未見なので相違はわからないが、少なくとも人物の掘り下げがこんなにも甘くはないはずだ。2時間という尺がある以上、死刑制度の説明にも時間割かないといけないし、浅い人物像になるのは致し方なのないことなのかもしれないが、いくらなんでも山崎努の家族の話をあんなテキトーに表現するのは如何なものか?原作のエピソードだからってんでとって付けるくらいならはじめからバサっと削除するくらいの気合を見せなさい。映画と原作は違うのだから。
俳優陣は以外と健闘。

山崎努…及第点。というかまぁ普段の演技でした。
反町隆史…上手いってワケじゃないけど、まぁ感情移入はできる。
宮迫博之…やっぱすげぇ上手いんだ、この人は。
寺島進…かっちょいい

ただ、台詞をボソボソと喋らす演出が気になった。
自然な演技=ボソボソ喋りという構図はとっくに廃れたのでやめて頂きたい。
大杉漣と井川比佐志が出てきた時点で火サスっぽくなっちゃうのは仕方のないことだが、演出まで火サスにしなくてもいいです。なんだ?あの後半の安っぽいセットと格闘シーンは。(__;)...

死刑制度を扱う邦画ってのはまさしく新機軸であるし、物語も面白いのになぁ。違う監督が撮ればもっと良くなること確実な大変惜しい映画である。
「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」「デッドマン・ウオーキング」を観て勉強するように。

49点
雪の降り積もる国道、俺は車を走らせた。数時間前からの突然の大雪で国道は除雪が間に合わず、道路はのろのろ運転&あちこちで渋滞していた。俺は納品のためとなりの街までいった帰りだったのだが、あまりに動かない道にとてもイライラしていた。
それでも車はなんとか動きだし、おれは会社に急いだ。今から即行帰って書類を書き上げればなんとか午後10時には帰れる...その日、飲み会の約束があったのである。

雪国では県道、市道や小さな横道には融雪装置がほぼ完備されているが、国道になると未設の箇所が多い。道路幅や距離を考え融雪装置を設備するより除雪車を走らせた方がコスト的にも有利という判断からだと思うが、あの日のような急な積雪には対応できないという欠点もある。
その長い下り坂は気がつかない間にスピードが上がるのだ。圧雪で既に車線が見えないその国道を目を凝らして走らせる。スピードメーターを見ると60キロ、ちょっとあぶないなとアクセルを抜いたそのとき、フラッと前輪が流れる「ヤバ!」とカウンターをあてるものの行く先には中央分離帯(^◇^;)、右角をそこにヒットしスピンして追い越し車線と走行車線をまたぐように車は止まった。
「あっちゃーーー」
降りてみてみると中央分離帯に積もってた雪のおかげでほとんど無傷である。助かったーーー(-.-)
ハザードを点灯させ後続車に連絡する。片側二車線の道路の100メートル手前には二台の後続車、俺はそのまま手を振って注意を促した。
後続車は俺に気付きスピードを緩めるが止まる気配はない。
車はどんどん近づいてくる。必死に手を振る俺、近づくヘッドライト。
あーーーーっというが早いか追い越し車線の車が俺の車にぶつかったのだ(__;)....
時速にして20キロ弱、止まれないスピードではない。走行車線の車は停止したし。

あっけにとられた俺だがとりあえず会社に連絡し、車を移動させるがぶつかった車の運転手は降りてこようともしない。一応確認のためその車のドアを叩くと運転してたのはじいちゃん(推定70歳)だった。「大丈夫ですか?」の一言に彼は「この車、ブレーキきかない!!」と逆切れ。いや、それよりも渋滞してるし危ないから車移動させましょうと促すが動こうとしない。
しょーがないのでとりあえず警察に連絡する。現場の場所やけが人の有無を伝えてると後ろでガシャーーーン!!という音が。振り返ると俺の車の後部にまたじじいが自分の車をぶつけてるではないか!
「なにしてるんですか!!」
さすがにびっくりして訊ねると
「ほれ!ブレーキが利かないんだ!!」
とのたまうし。だからそんなこと俺の車で実証するなよーーーー!!!!

ほどなく警察が現れ現場検証、事情聴取がおこなわれた。じじいの車はブレーキが壊れてるんじゃなくってABSが作動しただけだったらしい。その作動音を異音と勘違いし、ブレーキの踏みしろが甘かったのが追突の原因だったようだ。お互いの連絡先を確認し、保険屋にも連絡、会社にはイヤミを言われたが、同情もされてしまった。(^_^;)
確かに俺も悪いが、この場合、過失割合はどうなんだろう?
保険屋の連絡待ちだ。

飲み会はもちろんキャンセル。ついてないと嘆いたのだが災難はこれで終わりではなかったのである。
昨日の事故の後処理で保険屋や会社に事情説明し終え、全然仕事にならなかった午前を終え、昼飯を食いに近所のファミレスに入り、猫舌なのを忘れてかに雑炊を注文。後悔しながら食い終え、車(昨日事故った車とは別(笑))に乗り込もうとしたその瞬間

キキーーーーーー!!(ブレーキ音)
パァ〜〜〜〜〜!! (クラクション)
ガシャーーーン!! (なんかぶつかった音)

音のした方を見てみるとアルトが横転しているではないか!
俺と別のオヤジが急いで車に近寄り安否を確認すると、中には20前後のお嬢さんがいた。
「大丈夫?」
ウインド越しに訊ねると返事もしっかりしてるのでとりあえず上のドア(横転しているので左側が上になっている)をあけてそこから抱え上げることに。
浜乙女36歳、久々に20代の女の子とハグしました(。-_-。)ポッ(笑)

そのあと手伝ってくれたオヤジ2人と車を立て直して路肩に移動、彼女のほうに戻って横にいたオヤジに様子を聞いてみると、どうやら無理な割り込みに驚いてハンドルを切って中央分離帯に乗り上げ横転したようだ。
たしかに車には追突のあとはないし、それらしい音もなかった気がするのでそうなのかな?と思ったが、事故った彼女は「後ろから追突されて乗り上げた」といってきかない。
まぁそういう話は俺らにいってもらってもしょうがないので、警察に言ってねってことで、昼休みも終わりだし帰ることにする。一応連絡先とか教えておいたほうがいいかな?と思ったが、目撃者でもないし、ただ手伝っただけでそういうのを教えるってのも新手のナンパぽくて嫌だったので(自意識過剰です)そのまま帰ることにした。
帰り道、救急車やらパトカーとすれ違った。きっとあの事故に向かうのだろうと思った。

会社に帰ると同僚がびっくりして訊ねる
「ハマちゃんどーしたの?!首!!」
見るとワイシャツに血がべっとりついてるではないか!!(^_^;)
多分、昼間の女の子はどこか怪我してたのだろう、抱きかかえたときについたのだと推測。事故のことを話してるとほどなくして会社の電話が鳴った。
「ハマさん○○-○○番の営業車、ハマさん乗ってましたよね?}と事務の子、警察から電話だと言うではないか。
「まいハマです」
「どうもすいません、先ほど○○町で当て逃げ事件が発生しまして、現場からお宅の運転した車が走り去ったという目撃があったんですが、ちょっとお話お伺いできませんか?」
......すっかり当て逃げ犯人扱いである。(__;)

仕事のあと警察におもむき事情を説明して事なきを得たが、一歩間違えると犯罪者にされるところだった、恐ろしい.....
とはいうものの、会社では「昨日の事故のショックでひき逃げをした男」との噂が広がることになる。
しかし、災難はまだ続くのだった....
「事故のショックでひき逃げをした男」浜乙女。
そんな誹謗中傷に負けず今日も仕事である。(T^T)
一昨日、昨日と降り続いた雪もあがり、時には日も差す営業日和、ラジオのウェザーニュースも比較的穏やかな一日を予報していた。
昨日はほとんど仕事にならなかったので、心機一転ガッツリ仕事するつもりでバンに商品を積み込み出社した。

県道を東に進むと一級河川にかかる赤いトラス橋がある。(トラス橋は↓参照)
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/douken/qa/4-1.html
いつも渋滞してイライラの原因でもある橋なのだが、こんなまどろんだ日はちょっとゆっくりめがありがたい。融けた雪でキラキラ光る路面、ひだまりの中にいるとついウトウトしてしまいそうになるが、一昨日と昨日の事故だ、気を引き締めて運転せねば。ここで居眠り追突事故なんか起こした日にゃーもう会社にいられません。

ということで自ら顔をたたいて気合いを入れた瞬間

パシーーン!!

という音と共に顔になにかが飛んできた。
「え?!」
一瞬なにが起こったかわからない。顔が冷たい。
目の前を見るとフロントウインドウが割れてる。
顔にはくだけたガラス片と雪のかたまり。
あっけにとられて固まる俺。

どうやらトラス部に積もってた雪が丁度窓ガラスに落ちたため割れたらしい。
力学的エネルギー保存の法則により2〜3キロの雪のかたまりでもトラス部にあれば充分な位置エネルギーが得られ、衝突時の衝撃は大したもんなのだ。
って物理学の実験してどーすんだよーーーー(T^T)

うららかな小春日和に寒い風を顔に受けながら帰社したのはゆーまでもない。
これはだれのせいなのか?天災なのか??
とりあえずこの橋を管轄する県庁に問い合わせてみたが、土曜だったので繋がらなかった。

社長に呼ばれしばらく内勤になりましたーーー(T◇T)
ほんと、なんかが憑いてるんじゃなかろーか?
1969年製作の「ミニミニ大作戦」(原題 The Italian Job)をリメイクした本作品、「ハイセンスなアクション映画は?」と訊ねられたら真っ先にこいつをオススメしたい。

盗みのエキスパートチャーリー(マーク・ウォールバーク)と金庫破りのジョン(ドナルド・サザーランド)は良き相棒、娘を思うジョンはチャーリーと組んで最後の金塊強奪を実行する。作戦は成功するが、裏切り者スティーブ(エドワード・ノートン)が現れ金塊は奪取され、ジョンは殺されてしまう。一ヶ月後、チャーリーはジョンの愛娘ステラ(シャリーズ・セロン)に接触する.....

上記4名の他にセス・グリーンやジェイソン・ステイサムなど1.5流の俳優が揃ってる。音楽も昔流行ったポップスからスタンダードがドドーーンと使われてる。前作とは違ったストーリーである。
始めにローバー(か?)のミニクーバーが出てきて、これじゃ重い金塊は運べないってんでBMWのミニに乗り換えるあたりの演出はお見事でした。まぁ、初代ミニと新型ミニでは車幅が全然違うから廊下走るのは無理だと思うんだけど、まぁいいや。(笑)
などなど、単なるリメイクではなく、監督(F・ゲイリー・グレイ)の(スタンダードではあるが)センスの良さが光る快作になってる。

俺なんか「オーシャンズ11」よりよっぽどかっちょよく見えるんだけどなぁ?
やっぱキャストっすか?

77点
先ほど保険屋から電話があり、10:0でこっちには過失無しということになった。\(^_^)/
そのときは気付かなかったが随分とスピードを出してたのとブレーキの踏みしろが甘かったのとなによりこっちは止まってたてのが決定的だったようだ。

とりあえず会社に(金銭的な)迷惑をかけずに済んだというのはよかった。

当て逃げ犯人騒動も、ぶつけられたのは女の子の勘違いということで、単独事故として処理されるらしい。
俺のワイシャツは誰も保証してくれないけどーーー(T^T)
マイケル・マンといえば「カラテコル」...「コラテカル」だっけ?(まだゆーか)や「ヒート」といったように男臭いアクションハードボイルドを得意としている監督であると認識しているのだけど、こういうメッセージ性の高い作品はどうやら苦手らしい。

ブラックモスリムとマルコムXとの友情、ベトナム戦争という70年代アメリカの恥部を、チャンピオンベルト剥奪と徴兵拒否の再審請求のため翻弄されたモハメド・アリ(カシアス・クレー)の半生を通じて描くという心意気はまぁわかる。
わかるけど、こんなに詰め込んじゃったら、事前知識がないと観客は置いてけぼりになっちまうこと必至。

160分という長尺にもかかわらず物足りないっつーか、退屈に感じられてしまうのだ。一年ものの大河ドラマで描ければまた違った印象になるかもしれないけど。
伝記として作るならもう少し的を絞った方がよかったのになぁ、惜しい。

いまだに存命な有名人ということでご本人の要望を聞いてたらあんな話になったのかもしれん。(^_^;)

「マルコムX」を観てから観た方がよろしいかと思います。

ウィル・スミスは上手でした。

49点
プロレスを八百長だと笑う人がいる。
日本においてはそういう人の方が多いという事実を、テレビのゴールデンから馬場が消えたときにプロレス原理主義者たちは気付いてたはずだ。
しかし、彼らはそれでもなお馬場を可愛がり猪木に陶酔した。
現実逃避ではない。60分一本勝負以外のレスラーの生き方に感銘したからなのだ。

ブロディも鶴田もアンドレも冬木もこの世にはいない。メジャー団体は分裂縮小の一途をたどり、総合格闘技に押されっぱなしだ。
でもスピリッツは生きている。

冴えないリストラサラリーマンがその退職金をつぎ込んだのも、
400戦負け続けてプロレスをやめてもスクワットを続けてたのも、
なにをやってもダメな男がそれでもなお業界にかじりついて生きてたことも、
ダフ屋のくせに売れないマイナープロレスチケットばっか扱ってたことも、

既に「マイナー」に成り下がった「プロレス」を愛するが故なのである。

ということでこの映画、プロレスを愛する側からの愛あるアプローチであるのだが、いかんせん小ネタがマニアックすぎてシロートさんには半分も笑えないという、観客を選ぶ映画である。
俺なんかクライマックスの妻(筒井真理子:すげーステキ)とのシーンには思わずグッときちまったが、プロレス=相手の技を受けてナンボ、という不文律がわかってないと夫婦のかね合いがボケてしまい、肩すかしをくらう危険性も感じてしまった。

とはいうものの、田口トモロヲの40オーバーとは思えない肉体改造とまだあどけない伊藤歩と蒼井優を拝めるだけでも儲けもんの映画だと思う。
まぁそういう観方もマニアックっちゃーマニアックなんだけどさ。(笑)

53点

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