Rー鬱 映画というもの
2005年2月18日 映画
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で観客を心底憂鬱にさせたラース・フォン・トリアーが挑んだ『人が一番嫌う負の部分』だけを抽出したシチュエーションムービー。
ロッキー山脈の間にあるドッグヴィルという村、かつての炭坑で栄えた面影はすでになく、数人の住民が静かに暮らしていた。そこにグレース(ニコール・キッドマン)という若い女性が逃げ込んできた。村の青年トム(ポール・ベタニー )は村人全員に気に入られることを条件に彼女を匿うことを村人に提案するのだが.....
この映画は道路や住宅を床に書いた白線一本で表現している。つまり住民は自分の家に入って鍵をかけてプライバシーを守ってるつもりが観る側からはそれが丸見えという寸法なのだ。これは閉鎖的な村におけるしがらみ...つまるところ隠し事をしないこと、一蓮托生感を表現したものだろう。実際この演出はこの映画を斬新なものとさせることに成功していると思う。また、ニコールをはじめとした演技なのか本音なのかわからない鬼気迫る人物造形もお見事である。
でも
結局「こうしたら衝撃的ではないか」というネタを監督お得意の「キャストを追い込んでカメラの中に納め」ることで「アメリカ嫌い」であることを訴えてるだけの映画に思えてならない。保守的な村人もリベラルなトムも革新系のグレースも結局アメリカの負の部分を表現してるのであって、だからこそのああいった胸くそ悪い結末なのではないか? ストーリーに厚みを持たせて物語をよりよくする為のエピソードではなく「アメリカ(的自由主義)悪し」という怨念の積み重ねに感じてしまうからこっちも嫌な気分になっちゃうのだと思う、俺的に。
人というものはこんなにも傲慢で無責任で偽善的で悪趣味な生き物なんだ
ということを知りたい人は観る価値あり、自傷行為が好きな人は観ない方がよろしい、帰ってこれなくなるから。
8点
ロッキー山脈の間にあるドッグヴィルという村、かつての炭坑で栄えた面影はすでになく、数人の住民が静かに暮らしていた。そこにグレース(ニコール・キッドマン)という若い女性が逃げ込んできた。村の青年トム(ポール・ベタニー )は村人全員に気に入られることを条件に彼女を匿うことを村人に提案するのだが.....
この映画は道路や住宅を床に書いた白線一本で表現している。つまり住民は自分の家に入って鍵をかけてプライバシーを守ってるつもりが観る側からはそれが丸見えという寸法なのだ。これは閉鎖的な村におけるしがらみ...つまるところ隠し事をしないこと、一蓮托生感を表現したものだろう。実際この演出はこの映画を斬新なものとさせることに成功していると思う。また、ニコールをはじめとした演技なのか本音なのかわからない鬼気迫る人物造形もお見事である。
でも
結局「こうしたら衝撃的ではないか」というネタを監督お得意の「キャストを追い込んでカメラの中に納め」ることで「アメリカ嫌い」であることを訴えてるだけの映画に思えてならない。保守的な村人もリベラルなトムも革新系のグレースも結局アメリカの負の部分を表現してるのであって、だからこそのああいった胸くそ悪い結末なのではないか? ストーリーに厚みを持たせて物語をよりよくする為のエピソードではなく「アメリカ(的自由主義)悪し」という怨念の積み重ねに感じてしまうからこっちも嫌な気分になっちゃうのだと思う、俺的に。
人というものはこんなにも傲慢で無責任で偽善的で悪趣味な生き物なんだ
ということを知りたい人は観る価値あり、自傷行為が好きな人は観ない方がよろしい、帰ってこれなくなるから。
8点