秀逸タイトルの映画というもの
2004年11月23日 映画
俺はほとほとオンナを見る目がないと思った。
竹内結子、猿顔だぁチョーシこきすぎだぁと貶しまくってましたが、考えを改めます。竹内結子ちゃんならびにその関係者、そして世の竹内結子ファンを名乗る全ての人に謝ります。ごめんなさい、竹内結子ちゃんはとってもかわいいです。
「いま会いにゆきます」
原作の売れ方やその上っ面のストーリーから「セカチュー」の二番煎じ(「黄泉がえり」を含め三匹目のどじょう説もあり)と言われることの多いこの作品だが、全く違う。これは儚いSFファンタジーなのだ。
そんな比較されることの多いこの作品をテレビ屋で初監督の土井裕泰は丁寧に料理した。原作の淡々とした軽さを抑えて(原作での佑司君のコメディリリーフ的役割をカット)プロットに奥行き(一人称的ストーリーテリングを廃し俯瞰的な描写にしたこと&エピソードの追加)を与えたのだ。それでいてほぼ原作のイメージを踏襲するキャスティングをもってきた。
果たしてこの作戦は見事成功した。竹内結子の可憐さと強さ、中村獅童のおどおど感と甲高い声、佑司役の武井証くんのひ弱さと屈託のない笑顔。その他脇をかためる俳優陣も申し分ない。物語もより普遍的になり深みが出てきた。
特に賞賛を送りたいのは澪の去るシーンを必要以上に大げさにしなかったことだ。この映画は「別れる者の悲哀」を描いてるのでない、「立ち向かう勇気と愛」を描いてる。エピローグで巧とともに我々が全てを知ったとき、そしてこの映画のタイトル「いま、会いにゆきます」の意味がわかったとき、思わず流れる涙にこそ原作者の一番書きたかった部分があるのだ。監督もそれを理解した上であえて仰々しい演出をしなかった。故にSFファンタジーになりえた。
こういう節操のある映画が作れるとはまだまだ邦画にも期待ができるってもんだ。
さて、色々物議をよんでるオレンジレンジの「花」だが、俺はこのアイドルラッパーグループにはなんの思い入れもないので単純に映画音楽として語らせてもらうなら特別ダメなこともなかったし、最高というほどのものでもなかったというところか。
ともかく、キレイな竹内結子を観るだけでも充分もとがとれる映画である。惜しむらくはオッサン独りでは映画館に入りにくいところか。ということで是非彼女奥さんを誘って観てもらいたい。
俺?俺は妹に頼み込んで付き合ってもらいました。
77点
竹内結子、猿顔だぁチョーシこきすぎだぁと貶しまくってましたが、考えを改めます。竹内結子ちゃんならびにその関係者、そして世の竹内結子ファンを名乗る全ての人に謝ります。ごめんなさい、竹内結子ちゃんはとってもかわいいです。
「いま会いにゆきます」
原作の売れ方やその上っ面のストーリーから「セカチュー」の二番煎じ(「黄泉がえり」を含め三匹目のどじょう説もあり)と言われることの多いこの作品だが、全く違う。これは儚いSFファンタジーなのだ。
そんな比較されることの多いこの作品をテレビ屋で初監督の土井裕泰は丁寧に料理した。原作の淡々とした軽さを抑えて(原作での佑司君のコメディリリーフ的役割をカット)プロットに奥行き(一人称的ストーリーテリングを廃し俯瞰的な描写にしたこと&エピソードの追加)を与えたのだ。それでいてほぼ原作のイメージを踏襲するキャスティングをもってきた。
果たしてこの作戦は見事成功した。竹内結子の可憐さと強さ、中村獅童のおどおど感と甲高い声、佑司役の武井証くんのひ弱さと屈託のない笑顔。その他脇をかためる俳優陣も申し分ない。物語もより普遍的になり深みが出てきた。
特に賞賛を送りたいのは澪の去るシーンを必要以上に大げさにしなかったことだ。この映画は「別れる者の悲哀」を描いてるのでない、「立ち向かう勇気と愛」を描いてる。エピローグで巧とともに我々が全てを知ったとき、そしてこの映画のタイトル「いま、会いにゆきます」の意味がわかったとき、思わず流れる涙にこそ原作者の一番書きたかった部分があるのだ。監督もそれを理解した上であえて仰々しい演出をしなかった。故にSFファンタジーになりえた。
こういう節操のある映画が作れるとはまだまだ邦画にも期待ができるってもんだ。
さて、色々物議をよんでるオレンジレンジの「花」だが、俺はこのアイドルラッパーグループにはなんの思い入れもないので単純に映画音楽として語らせてもらうなら特別ダメなこともなかったし、最高というほどのものでもなかったというところか。
ともかく、キレイな竹内結子を観るだけでも充分もとがとれる映画である。惜しむらくはオッサン独りでは映画館に入りにくいところか。ということで是非彼女奥さんを誘って観てもらいたい。
俺?俺は妹に頼み込んで付き合ってもらいました。
77点