監督のジェームズ・ワンが脚本のリー・ワネルにインディーズムービーの原案見せたとき「まぁいいんじゃない?」と言われたそうだ。この「まぁいいんじゃない」は彼がそんなに面白くないアイディアに対してよく使う返事で、それに気付いたリーは慌ててジェームズに電話をかけて褒め称えたそうである。もし気付かずにいたらこの作品もこの2人も世に出ることはなかったかもしれない。
撮影期間18日間、うち、一週間で全体の80%を撮り終えたという27歳の若い二人が作ったこの低予算インディーズは一級品のサイコサスペンスに仕上がった。
インディーズではお目にかかることのないケアリー・エルウィス、ダニー・グローバーらが手弁当で出演をOKしたのはその脚本の妙故であろう。「CUBE」的シチュエーションムービーの傑作、必見。

目が覚めたらそこはバスルーム、足には鎖が繋がれ対角の壁には同じく繋がれた男、そして二人の間には自殺死体。ほかにはテープレコーダー、一発の銃弾、タバコ2本、着信専用携帯電話、そして2本のノコギリ。状況がまるで呑み込めず錯乱する2人に、「6時までに目の前の男を殺すか、2人とも死ぬかだ」というメッセージが告げられる....

これだけで面白そうじゃないっすか。
しかし内容はどんでん返しにつぐどんでん返し。というか、2度目がもっと楽しく鑑賞できるであろう作り方。これは「シックス・センス」以上と断言できる。
くわえてたたみ込まれるような後半の展開は「セブン」の嫌さを遙かに凌駕し、観賞後ぐったりすることうけあい。で、小一時間もすると誰かに話したくなってたまらなくなるのだ。(笑)

あーーーーでもここから先は書きたいけど書けない(^_^;)
公式サイトにも書いてあるのでヒントくらいはいいだろう。
犯人は「※(ここも案外とネタバレの可能性があることが指摘されましたので削除させていただきます。2004/11/5)らしいぞ。
是非劇場で観て欲しい。

90点

※6万ヒッツ多謝!
FMVの新シリーズCM、キムタクと哀川翔が共演してるやつだが、あれを嫁さんが見て「格好良い」と言い出した。「ゼブラーマン」を観た影響も多少あると推測。
俺が借りてくるVシネマをバカにしてた分際でなにをかいわんや、という話だが、そんなみみっちぃことを突っ込んで険悪になるのもアレだったので(笑)とりあえず流して聞いてると、なんか面白い出演映画はないかと聞いてくるではないか!

三池崇史アンド哀川翔といえばこれしかないだろう「DEAD OR ALIVE」三部作。

荒唐無稽、抱腹絶倒、疾風怒濤。数多あるスゴ系四文字熟語を総動員してもこの映画にかなうモノではない。主演は哀川翔&竹内力。この二人が刑事とヤクザ、殺し屋同士、警官とアンドロイド(笑)になってタイトルの如く生死をかけたスーパーアクションを繰り広げるスペクタル日本映画である。数々のメジャームービーからのリスペクトとVシネ独特の世界感の見事な融合は観るものを虜にしてやまない。特に「ファイナル」でのワイヤーアクションは本場香港のソレを彷彿とさせる素晴らしいものであった。また、各作品のエンディングの爆発もこれこそアクション映画!とテレビに向かって喝采を送ったね、俺は。

俺の中では手塚治虫の「火の鳥」クラスのサーガを感じてしまうのだが一般的評価はどうも芳しくない。寂しい限りである。
でも私のことを愛してるならこの映画を観て!BY百恵ちゃん@潮騒
てな具合に嫁さんに薦めてみたのだが、案の定、不評でした(笑)。

88点
「クエスチョン」
夫婦の性生活に特化した「フルモーション」というレーベルから出た第一弾。エロビデオ業界人の気合と良心をひしひしと感じることができる良作である。

主演は水元ゆうな、もちろんAV女優である。俺はこの子を知らなかったのだが最近はこんなにもレベルが高いのか!↓参照
http://msd.no-ip.com/dvd/shop/d4988117030669.htm
いや、ボディだけじゃなくって演技においても。(^_^;)
監督は田口ランディの「アンテナ」で助監督をつとめた亀井亨。オリジナルエロドラマ、いわゆるTSUTAYAで18歳未満でも借りられるエッチなビデオを中心に活躍する監督なのだが、AVでは決して出来ないカメラワークやカッティング見せつけてくれる。

サラリーマンの順は真理と結婚して1年、二人の趣味はクイズを出し合うことだった。食事をしながら、散歩をしながら、釣りをしながら。クイズを考えている時の真理が、順は好きだった。だが、二人には「約束」があった。それはセックスをしない事だった....

脚本ははっきりいって煮詰めが甘い。「結局セックスかよ」的大団円はセックスレスの深刻さを捉えてるとは思えないし、女性性を表現してるとは言い難いからだ。(セックスに恐怖感ある処女がフェラなら大丈夫ってことありえるのか?)
しかし、過去のトラウマ故に愛してるけど身体をゆるせない真理、この難しい役どころをやりきった主役がピカイチであった。はっきりいってこれが大根だとこのドラマはただのエロ度の薄いAVになるだろう。水元ゆうな19歳、レンタルビデオ屋の片隅で埋もれるには惜しい逸材である。

多くのセックスレス夫婦に観てもらいたいのだが、問題はその妻が水元ゆうなじゃないところだろう(笑)
あと、R15だから中学生は観ちゃダメよ(はあと)

65点

反省というもの

2004年11月5日 映画
リンク頂いてる方より、映画のオチがわかっちゃった(^_^;)というコメントをいただいた。
犯人探しを楽しむ話において、観る前からオチの読める物語ほどつまらないものはなく、それを言っちゃう行為ほどの愚行はない。

ニフティサーブ時代からネットを始めて12年、己の書き込みの責任を明確にすることと、自分に対する戒めのため、おおよそのことは自ら削除せず訂正で済ませてきたが今回はその該当部分は削除させて頂きたいと思う。

多少言い訳をさせてもらうと俺はあのヒントと予告で○○○が○○○したとき○○から○○を出したのを観て、「あーきっと実は○○が○○で、最後は○ー○○○○○○○○○的なオチなんだろう」と想像してたからあのヒントがそういう意味だったのかとわかったときすごくびっくりしたのです。色々な意味で。

ということであのヒントじゃわからんだろうと判断した上での掲載だった。
とはいうもののそれが呼び水になりオチがわかる人がいる以上、削除が正しいと判断した次第。

あとはその方の想像したオチが外れであることを願うばかりである。

ほんと申し訳ありませんでした。
最近やっとわかった。
クリスチャン・スレーターって元ボクシングチャンピオンの畑山に似てるのな。
そう思ってしまうと頭の中がスーパーフェザー級のWBA世界戦になっちゃうのだが、映画の方もスーパーフェザーな感じのコミカル作品であった。

「クライム&ダイヤモンド}
服役中に脱獄したフィンチ(C・スレーター)とマイコー(リチャード・ドレイファス)は身分を詐称するために他人の身分証を手に入れる。狙いはマイコーが隠したダイヤモンド。けれど手に入れた身分証がマフィアに追われてる男のものだったからさあ大変。組織が送った殺し屋ジム(ティム・アレン)に監禁されたフィンチは自分が別人だということを蕩々と話すのだった。

まずは数々の映画へのオマージュが効いている。
オープニングはモーリス・ビンダー調のクラシックなもの。ティム・アレン演ずる殺し屋は大の映画好き。プロットはタランティーノをリスペクトしたものであることは疑いようもないことだろう。
普通、これだけパクったら(笑)大概鼻につくか、興味が失せるものなのだが、この作品はとぼけた感じとクライムものとしてはのんびりとした描写のおかげでとても好感が持てる良作に仕上がっている。

くわえて中盤以降のダイヤモンド強奪から、スパイスの効いたエンディングまでフルコースの皿が列ぶが如く立て続けに話が繋がっていくところは喩えそのエピソードひとつひとつがどこかにあったクラシックからのパクりだったとしても(実際パクりかどうか不勉強故に知らないが、なにかしら古臭いというイメージが払拭できない(笑))爽快感にも似た感想を持ってしまうのはやっぱいい映画ということなんだろう。

ある意味、ベタな映画である。
初っ端のバート・レイノルズの小咄とオープニングの映像にニヤリとする人は最期まで楽しめることだろう。

72点
マッチスティックマン=マッチ棒男とは詐欺師のスラングだという。
意味は、頭がないとつかいものにならないから。(想像)

ロイは相棒のフランクと共に小さな詐欺を繰り返しながらそれなりの暮らしをする自称詐欺アーティスト。そんな彼の悩みは潔癖性と開所恐怖症(っての?広いところが苦手やつって。閉所恐怖症の逆だ)。医者から処方を受けた薬が手放せない。
そんな彼にフランクはカウンセラーを紹介する。カウンセリングでその病気の原因が過去の自分にあることを知り、ロイはなりゆきで娘アンジェラと再会することになるのだが.....

「マッチスティックメン」
製作にロバート・ゼメキスとリドリー・スコットがタッグを組み、ニコラス・ケイジ主演に据えるというなんとも贅沢な映画であるが、観るべきとこはそこじゃーない。
アンジェラ役のアリソン・ローマンのハの字のまゆげと低いだんごっ鼻と大きな口とイチイチ愛らしくてたまらないその仕草を堪能するのが正道だ。

ということで、アリソン・ローマンである。アンジェラの年齢設定は14歳、アリソン・ローマンの当時の実年齢24歳なのだが、これがもう全然違和感ないくらいハマってるのが素晴らしい。ちなみにアリソン・ローマンは「ホワイト・オランダー」でも14歳の娘役を演じている。こっちはシリアスなアリソンを楽しむことができるだろう。
そして、そして!!なにより俺の’04年度最優秀作品賞候補「ビッグフィッシュ」のサンドラ(青年期)役でみせた可憐な姿はいかにもヲタのティム・バートンが好みそうなソレだった。上記2作品に比べると光ってるとは言い難いが、欧米人としては彫りの浅い地味目は顔立ちと華奢なボディはやっぱ可愛いと言わざるを得ないだろう。
ってそういう言い方はどうかと思うが。
ヲタのティム・バートンからグロのリドリー・スコットまで認めさせてしまうとはもの凄い女優である。
浜乙女36歳、ちょっと萌えました。この子が好きならロリコンだと言われれば、俺はその辱めを甘んじて受ける覚悟である。(笑)

あ、忘れてた。映画ね、「マッチスティックメン」。
うーん、ニコラス・ケイジはやっぱアクションよりこういう役どころが似合います。「ザ・ロック」のバカ当たりが原因だろーが、ちょっと回り道した感じ。

70点
以前、ここでも書いたのだが目に余るのでもう一度書く。
なにか?日本アニメ史上最低の唾棄映画「火垂るの墓」についてである。

次男坊(小学3年生)の授業で上映したそうだ。で、感想文提出。どう思った?と聞いてみると「戦争はひどい」とのこと。
物語の上っ面しかとらえることのできない小学生低学年ならたぶんみんなそう答えるであろう。「恐い」「かわいそう」という感想もあると思う。
問題はそれを薦める先生や「せっちゃんかわいそう」と毎年涙を流す大人たちである。貴様らまで小学生低学年レベルでどーするよ?

この映画は戦争という大きな背景はあるものの、物語のフローチャートを追っていくとせっちゃんの死の直接が戦争ではないことがすぐわかる。
直接原因は「意固地な兄が意地を張りすぎた」ことである。そのせいで「幼い妹を餓死させ自分も死んだ」。それはとても悲しい物語であるが、となるとこの映画の主旨は
1「意地を張っちゃいけないよ。日和っても生きてさえいれば幸せになれるよ」
または
2「不幸にも死んじゃったけど、どんな小さな命でも生きた証があるんだよ」
であるべきなのだ。教育的な映画として上映するならくわえて目的であるモノをも制作者は示さなければならないと考える。
ところがこの映画にはそれを指す描写は微塵もない。
画面に映るのは兄妹の悲惨な穴ぐら生活とそれと対比するような上流階級の子供、そして意地悪な親戚や自分たちには目もくれない一般人である。
監督脚本の高畑勲はなぜこの人たちを登場させたのか?この登場人物を描かなければならなかった理由はなにか?
答えはひとつ、せっちゃんを殺すため だけである。

そう、この物語はせっちゃんをいかに殺すか?ということをモチーフに肉付けされているのだ。
たとえば現実では当時の日本には戦災孤児であふれかえってた。彼らは泥水をすすり、アメリカ人に媚びを売り、時には万引きなんぞをして生き、現在の繁栄日本の礎を築いてきた。そんな戦災孤児がたくさんいるなかで、両親が死んでも頼れる親戚があるということがどれだけ幸せであろうか?しかし、そういうシーンは意識的にカットしてある。なぜなら、そういう孤児を画面に登場させちゃうと兄妹が「可哀想」じゃなくなるからだ。
たとえば兄の性格、当時の14歳は少なくとも現在の14歳に比べると分別や生活力忍耐力はあるだろう。にもかかわらずあの精神構造ならびに行動パターンはもはや病的と言わざるを得ない。
つまりリアリティが皆無なのだ。

いや、映画はフィクションである。物語を100分の時間内に明確に表現するため多少の嘘ごまかしは必要だ、という意見ももちろんあるだろう。俺も嘘の世界観に浸り涙を流すことを否定するつもりはない。
しかし、愛する者を殺すために取捨選択された「火垂るの墓」で涙を流すことは断固拒否したい。この物語は人に対する愛情に欠けた者達が己のイデオロギーを叫びたいがためにアニメという隠れ蓑を使って作った映画だからだ。

21世紀の大人なら原作の野坂昭如と高畑勲の薄っぺらい左翼イデオロギーへの同情とそれによって殺されたせっちゃんが毎年毎年さらし者のようにテレビで上映されるたびに心を痛めないといけないはずだ。
こともあろうに学校教育者がそんなこともわからんとは.....

日本の夜明けはまだまだ遠いのか。
-100点

11月12日の日記

2004年11月12日
昨日かけなかったので秘密だけ更新します。
この後作られる多くの映画に少なからず影響を与えた冒険活劇の金字塔「ルパン三世 カリオストロの城」

往年のルパン好きの方々から見たら幾分評価が落ちるのはわかる。
ルパンの魅力であるところのエロスとダークさとスタイリッシュなところを排除し活劇に特化させた本作は許し難いのだろう。まぁ前作の「マモー(ルパンVSクローン人間)」もよかっただけに余計にね。
あと、宮崎のロリコン趣味が許せんという声も多い。純粋で汚れないものの象徴としてのクラリスとそれに恋するルパンってーのがむかつくらしい。

原作のダークテイストを持つテレビアニメは1971年の放送である。このルパンをリアルタイムで観た四十以上のおっさんが「昔の方がよかった」と文句をつけるのはわかるが、「カリオストロ」すらリアルタイムに観てない若造が新旧2つを比べてどーのこーの書いてるのを見るとちょっと待て、と言いたくもなる。

はっきり書いちゃうが
ストーリー、テンポ、音楽、脚本、美術どれをとっても文句のつけようのないこの「カリオストロの城」を観ながらそんな台詞を吐くヤツは目くらとしか言い様がない。昔のルパンがオンナも抱いたりワルサーで人を殺していようが、はたまた宮崎駿がロリコン趣味であろうがなかろうが、そんなもんどっちでもよろしいのだ。問題は「カリオストロの城」が面白い映画かっつーこと。
オープニングの国営カジノのシーンからエンディングの銭形のとっつぁんとのカーチェイスまで隙のない脚本は宮崎駿がこれを越えるホンを未だ作れてないくらいことや後のルパンシリーズでこれ以上の作品が現れてないことからもわかるし、クラリスの時折見せる強さは純真無垢の少女というよりオードリーと共通する可憐さと捉える方が自然だ。

映画はその人の歴史でもある。
マイフェイバリットルパンが「DEAD OR ALIVE」な人もいるだろうし、「マモー」の人もいるだろう。「念力珍作戦」の人もいるかもしれない(笑)
http://www.toho-a-park.com/video/new/nenriki/d_index.html 参照)
「カリオストロ」を知らないなら薦めるし、知っててかつ「DEAD OR ALIVE」が好きな人ならとやかく言わない。人間性をこっそり疑うだけだ(笑)。

傑作である「マモー」や初期のテレビ版ルパンを否定するわけではないのよ。モンキーパンチをオマージュした別物という色眼鏡を外してもらえるだけでいい。
改造フィアットを楽しそうに操るルパン、シケモクをうまそうにくわえる次元、クラリスの姿に「可憐だ」とつぶやく五右衛門、最後の最後にくっさい台詞を吐く銭形....
きっと本作品も貴方の好きなルパン三世であるはずだ。

100点
史上最低の映画監督はだれか?
と問われれば、色々な名前の人が出て来るであろう。
例えば井筒監督、「口ばっかで他人の映画をこきおろしやがって自分もクソみたいなシャシンしか撮ってないくせに」
例えば那須博之、「ビーバップとかヌルいアイドル映画だけ作ってりゃいいものを会社に言われたからって力量以上の原作に手を出して台無しにしやがって」
例えば水野晴郎、「映画好きとかいっといてお前が一番解ってねぇじゃんか」
例えばS・キング、「他人に撮らせたら原作が台無しってんで自分でとったらそのザマか」

という大御所を引き離し、世界的に「最低映画監督」となるとこの人をおいて他にはおるまい。
エドワード・D・ウッド・Jrことエド・ウッド。ときにはダニエル・デイビスの名で俳優にもなった、世界を代表するクソ映画メイカーだ。
女装癖がありアル中、情熱だけは人一倍あるが監督としての才能は悲しいほどない。
彼が手がけた渾身のSFスリラー(笑)「プラン9・フロム・アウター・スペース」では「ドラキュラ」で有名なべラ・ルゴシを起用するも途中で死んだので生前の同カットを多用したり見た目まで全然違う俳優の顔を隠して撮りきり、完成させてしまうという暴挙にでる。もちろんそんな最低映画に買い手がつくはずがないので劇場公開はなされなかったが、テレビ深夜枠で繰り返し放映されその群を抜いた最低具合で大評判になった。続く「死霊の盆踊り」で脚本を務めるものの、四百字詰め原稿用紙一枚で事足りる内容の無さ(観たことある人しかわからんが、大げさじゃなく本当に原稿用紙一枚分の内容なんです。だってただ踊ってるだけの映画なんだもん)に再び話題沸騰、一躍カルトムービースターとなる。

さて、そんなエドウッドの半自伝的映画がその名も「エド・ウッド」である。
前述の「プラン9...」の制作現場を描いた悲喜劇。
監督はティム・バートン、主演はジョニー・デップという「シザーハンズ」コンビが世に問う....わないな、これは(笑)。人間エドウッドを好きな人達が彼を偲んで作った備忘録であり、己の内にあるエドウッド的なものを告白した自叙伝であろうと思う。
この作品でティム・バートンは「他人はのび太を笑うだろう。でも俺ものび太だ。君ものび太じゃないか?いいんだよ、のび太で」と世の引きこもりに温かい手を差し伸べてると言えば言いすぎだろうか?
この映画を観てニヤニヤする人もいるだろう。あっけにとられる人もいるかもしれない。俺はいつ観てもグッと来ちまう。だって俺も口先だけののび太だからだ。

偏愛を描く天才ティムバートンの一番彼らしい作品であろう。
79点
のりちゃん婚約!
うちの娘と同じ名前(意識してつけたワケではない)なのと御容姿がちょっとアレなんで(笑)心配してたがめでたいことである。
旦那さんになる黒田さんも誠実そうで良いオトコだ。
ただ、かしこまりすぎて
「紀宮様とはメールとか電話で連絡しあってるんですか?」
というレポーターの質問に
然るべき通信手段を用いて...」
と答えるのはちょっとバカっぽいのでやめたほうがいいぞ。
ルパンつながりでもう一本。「ルパン三世 風魔一族の陰謀」
まだ日テレの支配下に入ってないときに作られた劇場版第4作。

飛騨高山の神社で五右衛門の結婚式が執り行われていた。新婦はからくり細工を生業としてきた墨縄家総帥の孫娘の紫。婚姻の証として家宝の壺が五右ェ門に渡されようとしたそのとき、覆面の一団が紫をさらっていってしまった。
覆面男たちの正体は風魔一族。墨縄家が地中深くに隠した財宝を狙っての誘拐だった。
紫と墨縄家を守ろうと孤軍奮闘する五右衛門、財宝を頂戴したいルパンと次元、不二子。さらにルパン逮捕に躍起になる銭形警部まで入り乱れての財宝探しが展開する。

という、まぁ「キングソロモンの秘宝」系のよくあるプロットである。
ただ、この映画のすごいところは業界のタブーに果敢に挑戦しているところであろう。
それは声優の総入れ替えを敢行していることだ。
古川登志夫@ルパン、銀河万丈@次元、塩沢兼人@五右衛門というキャスティングは大外れではないものの、前作を引きずってしまうという感が否めず、失望の声と旧作のファンからはそっぽを向かれるという中途半端な結果を生むこととなる。
この失敗のせいで後釜にクリカンを据えるという愚行を繰り返すことになるのだが、この作品の失敗をはね除け古川登志夫を使っていたのならルパンはまた違った魅力を持つことになったはずであろう。つくづく東宝と日本テレビは罪なことをしたもんである。

それは内容についても言える。
前作「バビロンの黄金伝説」の失敗を踏まえて挑んだ本作品。「侍ジャイアンツ」「未来少年コナン」の大塚康生を迎えた作画は当時の水準以上のレベルであったし、全編飛騨高山を舞台にし、五右衛門を主役に抜擢するという過去に囚われない意欲的なストーリーももっと高く評価されねばならない。
なによりこの作品は原作、そして「カリオストロの城」を越えてやろうという力を感じるのだ。もっともそれが多少空回りしてる感は否めないのだが。(^_^;)
その若い力をただ一回の失敗でつみ取る東宝のやり方は(たとえすでにルパンでは興業収益に陰りが見えてたとはいえ)褒められたものではないだろう。

この作品を境にルパンは惰性で作られる単なる年末スペシャル番組と化してくる。山田康男が亡くなった段階ですでにこういう結果は見えていたのかもしれない。ただそれに反発した若手アニメーターと職人声優さんの意地というものを垣間見ることができる本作品はやっぱり俺の好きな「ルパン三世」であるのだ。

82点
最近のむかつくCMにアリエールピュアグリーンのCMがある。
仕事から疲れて帰ってきた旦那(原田泰三)に奥さんが
あなたの愛は嬉しいけど〜でもほらバイ菌うつっちゃう〜♪
とのんきに歌ってるあれである。

てめぇのフェイスタオルと旦那のソックス一緒にするのそんなイヤかっ!
疲れてそのままでも寝たいのに汚れ物を洗濯機に入れるという優しさは有り難迷惑ってか!!
セックスのときはもっと汚いとこ舐めてるくせに靴下になるとこれかよ!
そのくせシャツ着て居間で寝てる旦那にはなんのフォローもないのな。
「ふふっ(^_^)..」ってバカか!あの格好は昨晩帰ってきてそのまま雑魚寝してる格好だぞ?!妻ならちゃんと布団で寝かせろ!

大体「バイ菌だらけの旦那の靴下と奥様の大切なタオルを一緒に洗っても心配ないですよ」と堂々と宣うCMコンセプトが気にいらん。たとえそう思ってても(笑)もうちょっと遠慮というものが必要ではないだろうか?夫婦とはいえ他人同士、親しき仲にも礼儀あり、である。

泰三!お前、もうちょっとガツンと言ったほうがいいぞ。

2004/11/20追記
泰三ではなく泰造ですた \(__ ) ハンセィ
パッケージとタイトルを見て
「あれ?エイリアンVSプレデターってもうビデオになってたっけ?」
マジで思って借りてしまいました。

謎の洞窟から緑に光る石が発見される。その石には大昔のDNA情報が封印されていた。軍の要請を受け、グッドマン教授がそのDNAを解析し生物を作り上げるが、その生物こそ食物連鎖の頂点にいる動物なのだった...

謎の遺跡
マッドサイエンティスト
得体の知れない怪物

と、サンピン映画のツボを見事おさえたクソ映画である。
パッケージとオープニングのギャップはまさしくサプライズ、シャマランなんか目じゃないぜ!
あとエイリアンて異星人のことだから人間のDNAを使った作った生物はエイリアンじゃないよ。人造生物だな。
そんな生物の弱点がアレなんて、最後までビックリさせてくれちゃってーーこのー憎いあんちくしょうめ!(はあと)

配給はクリエイティブアクザ、Vシネとかの企画会社である。パッケージデザインの押し出しの強さはこれ故か。
久々にヘコみまくった作品(__;)...
10点
友人が結婚するとのことで、祝いの飲み会を開くことになる。
芋焼酎をしこたま飲んで二次会に。しかし俺はもう金がなかったので、そのまま帰ろうと思ってた。「ハマさんどこ行くんすかぁ」Rくんが引き留める。金がないことを告げると「おごりますから行きましょうよ」と言われる。随分としつこく勧誘されたが、後輩におごってもらうのも心苦しいのでとりあえず5000円ばかし借りることにしてお誘いにのることにした。(笑)
スナックには縁のない俺なので、一緒にいたRくんの行きつけのお店に行くこととなる。平日なのでお客さんはなし、俺らの貸し切り状態だった。
「いらっしゃいませ〜〜」
ママはTRFのYUKIちゃん似の30歳、その他4名の女の子がいた。客がいなかったこともあって、総勢5名の女の子をはべらせてのハーレム状態(^O^)
のはずであった。

俺の隣に座ったのは静香ちゃん、テキトーに話をしてる分にはよかったが、俺がよく使うボディタッチ術(笑)「肘の皮膚のたるみで年齢を当てる術」を使って遊んでるときに事態は急変する。静香ちゃんの手首から肘にかけて無数のためらい傷..(^◇^;)
見なかったことにしようと袖を降ろすが早いか彼女が耳元で「私、ちょっと鬱なのね」と衝撃告白(^_^;)....
こういう自傷行為のある人は総じて自己顕示欲が強い。如何に自分が苦労してきたか、処方されてる薬の種類、高校生の息子の話(っておい!お前いくつだよ!(笑))、わかれた旦那の話.....と喋る喋る(^_^;)。周りには他の客はいないのでマンツーマンでの会話である。ウザい...逃げれない...(__;)
さて、こういった場合、みなさんならどういう態度をとるだろう?

1「そんな辛気くさい話はやめてもっと楽しい話をしようよ」と話題を変える
2「いい加減にしろ!鬱陶しい!」とチェンジを告げる
3 無視する
4 店を出る

こんなところだろうか?
しかし、小心者でええ格好しぃでエロマシーンな俺は

5 相談に乗るフリをする

という手に出る。(笑)
「ホントはこんな所で働いてる場合じゃないの」という愚痴に「なら辞めろよ〜」というツッコミはおいといて「大変だなぁ..」と同情してみせる。
それからは彼女の独壇場だ。聞いたことない薬の名前を並べてあれがどーだこれがどーだと説明してくれるわ、最近性欲も衰えたこのままオンナが終わるのかもしれないと嘆くわ.....2時間喋りっぱなし。(__;)
「それって口説けばオチるんじゃない?」と思ったあなた!甘いっ!ベリベリスイートベイブだ!友人がカラオケ歌ったのに拍手したら「私、この拍手のパチパチって音を聞いただけで動悸が激しくなるの」とかボソっと言われるんだぞ?「手首の傷は心の傷」なんだぞ?(^_^;) そんなの恐いっす(笑)
Rくんを見ると申し訳なさそうにこっち見てるし。(^◇^;)

結局都合3時間、ずっと聞き役でありました。おあいそして店を出てからRくんの首をしめたのは言うまでもない。(笑)
俺はほとほとオンナを見る目がないと思った。

竹内結子、猿顔だぁチョーシこきすぎだぁと貶しまくってましたが、考えを改めます。竹内結子ちゃんならびにその関係者、そして世の竹内結子ファンを名乗る全ての人に謝ります。ごめんなさい、竹内結子ちゃんはとってもかわいいです。

「いま会いにゆきます」
原作の売れ方やその上っ面のストーリーから「セカチュー」の二番煎じ(「黄泉がえり」を含め三匹目のどじょう説もあり)と言われることの多いこの作品だが、全く違う。これは儚いSFファンタジーなのだ。
そんな比較されることの多いこの作品をテレビ屋で初監督の土井裕泰は丁寧に料理した。原作の淡々とした軽さを抑えて(原作での佑司君のコメディリリーフ的役割をカット)プロットに奥行き(一人称的ストーリーテリングを廃し俯瞰的な描写にしたこと&エピソードの追加)を与えたのだ。それでいてほぼ原作のイメージを踏襲するキャスティングをもってきた。
果たしてこの作戦は見事成功した。竹内結子の可憐さと強さ、中村獅童のおどおど感と甲高い声、佑司役の武井証くんのひ弱さと屈託のない笑顔。その他脇をかためる俳優陣も申し分ない。物語もより普遍的になり深みが出てきた。

特に賞賛を送りたいのは澪の去るシーンを必要以上に大げさにしなかったことだ。この映画は「別れる者の悲哀」を描いてるのでない、「立ち向かう勇気と愛」を描いてる。エピローグで巧とともに我々が全てを知ったとき、そしてこの映画のタイトル「いま、会いにゆきます」の意味がわかったとき、思わず流れる涙にこそ原作者の一番書きたかった部分があるのだ。監督もそれを理解した上であえて仰々しい演出をしなかった。故にSFファンタジーになりえた。
こういう節操のある映画が作れるとはまだまだ邦画にも期待ができるってもんだ。

さて、色々物議をよんでるオレンジレンジの「花」だが、俺はこのアイドルラッパーグループにはなんの思い入れもないので単純に映画音楽として語らせてもらうなら特別ダメなこともなかったし、最高というほどのものでもなかったというところか。

ともかく、キレイな竹内結子を観るだけでも充分もとがとれる映画である。惜しむらくはオッサン独りでは映画館に入りにくいところか。ということで是非彼女奥さんを誘って観てもらいたい。
俺?俺は妹に頼み込んで付き合ってもらいました。

77点

中学生のときは中三の子と高三の子の区別はついてたと思う。
「高三の女子高生のおねぃさん」というだけでニキビ面した俺なんか股間を無意味に膨らませたもんだ。
その頃の30代への印象はまさしく「オッサンオバサン」だろう。早く子供を産んだ人になると高校生の子を持つ30代もいるのだから、まさしく自分の両親を見るような目で見てたに違いない。

時は流れ(笑)自分も三十路を過ぎるとわかってくるのは30代といっても30歳と39歳では体力、容姿、思慮深さ、どれをとっても(当たり前だが)全然違うということだ。で、30代の方々はおおよそではあるが、39歳の人と30歳の人を見分けることができる。ところが18歳と16歳の区別が付かなくなる。昔はあんなにもはっきり区別できてた中三と高三を十把一絡げで「若いあんちゃん嬢ちゃん」としてしまう。

このことで、人は自分の年齢プラスマイナス10歳の年齢しか判別できないのではないか?という説にたどりつく。
ということは範囲以外の人は自分の興味の対象外、つまり、「どーでもよい人たち」となるのだ。これは恋愛にたいしても適用され、18の子が40歳の奥様に惚れることはないし、逆もまたそうと言えるのではないだろうか。
もちろん世には色々な性癖の人が居て、義母マニアとかロリコンとかショタとかファザコン等々そういう特殊なケースもあるし、惚れた人がそういう年だった、ということはあろう。その限りではない場合もあることは忘れてはならないが。

この仮説の証明は以外と簡単である。
自分の恋愛体験、性体験を思い出していただければよい。
おおよその性行為の相手の年齢は己の年齢と大差ないはずである。18の時は18歳なりに自分の守備範囲の人と愛し合ったし、30のときもそうだろう。でも18の時は30歳の人を見て「可愛い」とか思ったことはないはずだ。自分の守備範囲ではない三十路のオンナはただの「オバサン」と写っていたことだろう。

かように成長に伴って自分の性的対象は変化していくものなのだが、ひとつとても気がかりなことがある。
40歳、50歳を過ぎても性的対象はそういう風にシフトしていくのか?ということだ。いやいや、俺も四捨五入して40歳なんだから40歳でも許容範囲に入ってきてるなぁと思いますよ。でも、50はキツいような気がする。いくらなんでもそこまで許せるようなるとはとても思えないのだ(笑)。
しかし、過去を思い起こしてみると18のときには「30歳はキツいよな」と思ってた記憶が無きにしもあらずで、今は「三十路ブラボーーー!!」の自分を見ていると、そんなもんかな?とも思ったりしてる自分もいる。
そのうち「50ブラボー!」とか「還暦ブラボー!!」になったりするのか?!

30過ぎてもわからないことは山のようにあるのだ。実感。(笑)
以前、だいありーのーとを一番最初に書いたのは誰か?という旅に出た。

http://diarynote.jp/d/38325/20030913 参照

あまりにヒマなので今度はみなさんがはじめてブックマークをした人を辿ってとこまで行けるか?という旅に出ることにする。
(ドラクエのテーマソングを思い出しながら読んでください)

バレるとアレなのでスタートは某所からということで。(^_^;)
旅の序盤は音楽関係の方々の日記が続く。
ベーシスト、ドラマー等々続くわけだが、結構閉鎖が多い。クリエイティブな人が必ずしもクリエイティブな日記をかけるワケではないということがわかる。

つづいては日々の出来事や過去の体験をつらつらと書いたまさしく日記なページ。
会計士をめざす人、外国在住の人、普通の主婦、学生さん...
だいありーのーとはブログと銘打っているがカスタマイズがしにくいのと検索機能が決定的にダメだ。大手ブログと比べて致命的といっていいのだけど、わかりやすさは天下一品だしそんな大げさな機能はいらないと考えてる人も多いのだろう、こういった備忘録がわりにつけてる人がたくさんいらっしゃる。

日記の旅も中盤、ここで気になったのは、進んでいくと男→女→男→女..と交互にページが開かれることが多いということだ。これはつまり、男は女に、女は男にリンクを張る傾向にあるといえる。備忘録といいながらもしっかり異性を意識してるのな。
かくいう俺も....いやーーーん(。-_-。)ポッ

さて、そんな旅の途中で巡り会う日記でキツいのは鬱&ボーダーの日記であろう。
「死にたい」って最後に書いた日記の日付が2001年1月3日だったりなんかすると、「生きてるのだろうか?」とちょこっと心配になったり。(^_^;)
まぁちょこっとだけだけどな、外道な俺だから。(笑)
あとジャニーズ系もキツい。タッキー&翼でそこまでアツくなれる君たちに乾杯。

さて、この旅もそろそろ終わりが近づいてきた。
自分が最初にブックマークをつけた人は必然的に自分より先に日記をつけてる人になるので、旅を続けていればどんどん古参のメンバーになってくるのは道理である。
で、所詮ウェブの日記ということで書き逃げ&閉鎖&移転の場合が多く、死屍累々のありさま、最後はブックマークしない主義の人の日記に行き着いた。

すんません、感動的なこともなく旅は終わってしまいました(^_^;)。
うーん、消そうかなぁとも思ったが、せっかくかいたのでこのままアップすることにする。

ただ、オチもつかないのでは申し訳ないってことであなたの知らないとっておき情報をひとつ。

男性のちんちんは左向きが多い。
なぜなら社会の窓は左前なのでちんちんの出し入れがしやすいから。
昨日ブックマークの旅の日記を書いたばかりなのに、今日から表示がかわってしまった。嫌がらせか?
でもまぁ、こっちの方が相互の方々の日記チェックがしやすいので良しとしましょう。

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うーむ、久々に「カドカワらしい」作品であった。
「青い炎」、嵐のメンバー二宮くん(ニノってゆーらしい)とあやや主演、蜷川幸雄監督の青春サスペンス映画。

ロードレーサーで通学する秀一は母と妹との三人暮らし。ところがそこに10年前に離婚した義理の父親が居座ってしまう。おいだそうと提案する秀一だが、母はなぜか話をはぐらかすばかり。警察や法律では問題が解決できないと悟った秀一は、自らの手で父親を殺害する決意を固める。完全犯罪を狙った彼だったがそれが恋人の知るところとなり......

なにがカドカワらしいかっつーと、たいしたことないアイドルに金をかけてもっともらしい映画を作るところ。映画然としてるのと蜷川監督がその舞台演出家の意地をかけて演技指導したからだろう、ソツのない映画となっている。
ただひとつ、厳しい指導で有名な蜷川幸雄だが、ミリ単位の演技を要求するわりには脚本に新鮮味ナッシングなところとカメラワークにメリハリがないのはやっぱ舞台出身故なのかとちょっと興ざめ。

昔のカドカワはよかったなぁ。つかね、角川春樹制作作品が好きなのだ。
80年代の怒濤の制作ラッシュはそのほとんどがクソ映画だったとしても俺のフェイパリットムービーとなってる作品がいくつかある。「Wの悲劇」や「天国にいちばん近い島」「いつか誰かが殺される」も楽しんで観たもんな。渡辺典子、今は土曜ワイドの常連になっちゃったけど、当時は俺の一番のオナペットだったし。(笑)

ということで、この「青の炎」、その時代の角川映画のテイストを色濃く残してると思うのだ。兄のことを追い出した歴彦氏だが、兄弟、血は争えんなぁと思ったのであった。

50点
三谷幸喜が演出脚本を務めた舞台演劇を本人が映画にリメイクした「笑の大学」。
制作=亀山千広、監督=星護というフジ系テレビ屋が作った映画であるが、さすが読売演劇大賞、脚本が素晴らしくスピーディーなのでとても楽しく観ることができた。

舞台は太平洋戦争末期の東京、低俗な大衆演劇を取り締まる警視庁の検閲官に役所広司、劇団笑の大学の座付き作家に稲垣吾郎。その他ちょい役で色々な俳優さんが出てくるが(大人計画や木梨憲さん等々)基本的には二人舞台の原作演劇を踏襲している。ちなみに演劇の方は検察官役に西村雅彦を起用。

三谷幸喜のすごいところはその間の取り方とテンポ、そして常人には考えられないセンスであろう。
たとえば彼は東京サンシャインボーイズを主宰するかたわらテレビ作家としても活躍してたのだが、あるとき「サザエさん」の脚本を書いたことがあった。その中でタラちゃんに筋肉増強剤を打ってオリンピックに出る夢を見させるという無茶苦茶なストーリーを書いたのだ。当然の如くそれはプロデューサーの逆鱗に触れることになり、以後サザエさんの仕事は来なくなったという伝説を持つ。
タラちゃんにドーピングするなんて、一般人が考えてもダメなものを一応それで飯食ってる三谷がわからないワケないと思うのだが、あまりに面白かったのでそのまま書いちゃったのではないだろうか?
怒られても怒鳴られても許可されるワケないフザけた脚本をもってきて痛い目にあう。これはそのまま稲垣吾郎の役どころでもあった。

戦時中の検閲というのがそこまで厳しいかどうかわからない。多分三谷幸喜も知らない(笑)。しかし、序盤から中盤にかけての作家と検閲官との攻防、真剣勝負の中のおかしさはくだらないダジャレをも一級のギャグにしてしまうほどの説得力がある。まさしくシチュエーションの勝利だろう。

問題は演出。
エンディングがクドすぎる、ここが一番の問題。いや、笑いと感動ってのは三谷作品には重要だろうけどあそこまでお涙頂戴な演出する必要ないだろう?泣けってことか?俺に、ゴローちゃんで。(^_^;)

それがなきゃ一級品なのになぁ、惜しい。
とはいうものの全体的にはこれぞ三谷幸喜作品!と「許可」の判子をポンと押したくなる内容でありました。
おあとがよろしいようで。

61点

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