オタク懺悔映画というもの
2005年6月29日 映画
「機動戦士ガンダム」がテレビで放送されたのは俺が小学校5年生の頃だったと思う。
地元には民放が2局しかなかったので、本放送より幾分遅れて水曜日の午後5時からの放送だった。裏番組で「キャンディ・キャンディ」が放送されてたからいつも妹とチャンネルの奪い合いをしてたものである。
その後、ガンダム劇場版、「伝説巨神イデオン」その劇場版、「戦闘メカザブングル」、「銀河漂流バイファム」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」を経て、俺は立派なオタク少年になってた。ファンロードも買ってたし「ミンキーモモ」のセル画を手に入れたといってははしゃいでた(笑)。
中学生になってからは、ウォー・ゲームをやり、電気屋に並んでるデモのMZ80に必至にプログラムを打ち込み、友人のPC8001でザナドゥをやりまくるという再起不能のオタク青年となっていた。
そんな中放送されたのが「機動戦士Ζガンダム」である。
正史「機動戦士ガンダム」の7年後の物語、”年月は良くも悪くも人を変化させる”という命題を複雑な人間関係と大河原がこしらえたモビルスーツを若手デザイナーが新たに解釈したマシン群で紡いだ群像劇。
思春期のほぼ全てを富野由悠季に捧げたオタク青年はその物語に見事ハマってしまうことになった。
クワトロ・バジーナとアムロ・レイの立場と思考の差やブライト・ノアの苦悩に頷き、ジェリド・メサの生き様に共感と同情を憶え、レコア・ロンドとエマ・シーンの行動にまだ知らぬ女を感じた。
またお気楽80年代を模した派手なモビルスーツにも萌えた。
というような俺にとって、いや、その時代を生きたほとんどの男の子にとってこの「Z」は忘れられない作品なのだ。
この「Z」が「機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者」として20年の時を経て映画化になった。
内容はまぁ、総集編その一なので特別語るものはない。
重要なのはこの20年で進化したアニメ技術をオリジナルのネガティブ部を補正する為に使っていないという事実である。
具体的に言うと過去の原画をそのまんま使ってるってことだな。
映画を観た多くの人はその違和感に戸惑い、当然のように反発した。
映画ではじめて「Z」を観た人にもはっきりわかる落差は、現在の技術やバンダイの潤沢な予算を使えばたやすいことだったはずだ。にも関わらずオリジナルカットを使用したのは何故か?
総監督の富野氏はかねてよりスポンサー(バンダイ)主体で制作決定された本作を「失敗作だ」と公言してはばからなかった。
それが20年後の現在映画化されたのは、ガンダムがバンダイのドル箱になったことも要因だが、富野氏が失敗作「Z」を許すことができるほど時が経ったのが大きい。
とはいうものの、過去は過去で消すことはできないので、21世紀のクオリティを保ちつつも、原罪を忘れないが為のオリジナルカットではないか?と想像する。
「∀ガンダム」と同じアプローチってワケやね。
聞くところによると。映画版ではあのどうしようもないエンディングが変更されるそうだ。それは大賛成なので是非心に健やかに残るエピローグを作ってもらいたいものである。
70点
地元には民放が2局しかなかったので、本放送より幾分遅れて水曜日の午後5時からの放送だった。裏番組で「キャンディ・キャンディ」が放送されてたからいつも妹とチャンネルの奪い合いをしてたものである。
その後、ガンダム劇場版、「伝説巨神イデオン」その劇場版、「戦闘メカザブングル」、「銀河漂流バイファム」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」を経て、俺は立派なオタク少年になってた。ファンロードも買ってたし「ミンキーモモ」のセル画を手に入れたといってははしゃいでた(笑)。
中学生になってからは、ウォー・ゲームをやり、電気屋に並んでるデモのMZ80に必至にプログラムを打ち込み、友人のPC8001でザナドゥをやりまくるという再起不能のオタク青年となっていた。
そんな中放送されたのが「機動戦士Ζガンダム」である。
正史「機動戦士ガンダム」の7年後の物語、”年月は良くも悪くも人を変化させる”という命題を複雑な人間関係と大河原がこしらえたモビルスーツを若手デザイナーが新たに解釈したマシン群で紡いだ群像劇。
思春期のほぼ全てを富野由悠季に捧げたオタク青年はその物語に見事ハマってしまうことになった。
クワトロ・バジーナとアムロ・レイの立場と思考の差やブライト・ノアの苦悩に頷き、ジェリド・メサの生き様に共感と同情を憶え、レコア・ロンドとエマ・シーンの行動にまだ知らぬ女を感じた。
またお気楽80年代を模した派手なモビルスーツにも萌えた。
というような俺にとって、いや、その時代を生きたほとんどの男の子にとってこの「Z」は忘れられない作品なのだ。
この「Z」が「機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者」として20年の時を経て映画化になった。
内容はまぁ、総集編その一なので特別語るものはない。
重要なのはこの20年で進化したアニメ技術をオリジナルのネガティブ部を補正する為に使っていないという事実である。
具体的に言うと過去の原画をそのまんま使ってるってことだな。
映画を観た多くの人はその違和感に戸惑い、当然のように反発した。
映画ではじめて「Z」を観た人にもはっきりわかる落差は、現在の技術やバンダイの潤沢な予算を使えばたやすいことだったはずだ。にも関わらずオリジナルカットを使用したのは何故か?
総監督の富野氏はかねてよりスポンサー(バンダイ)主体で制作決定された本作を「失敗作だ」と公言してはばからなかった。
それが20年後の現在映画化されたのは、ガンダムがバンダイのドル箱になったことも要因だが、富野氏が失敗作「Z」を許すことができるほど時が経ったのが大きい。
とはいうものの、過去は過去で消すことはできないので、21世紀のクオリティを保ちつつも、原罪を忘れないが為のオリジナルカットではないか?と想像する。
「∀ガンダム」と同じアプローチってワケやね。
聞くところによると。映画版ではあのどうしようもないエンディングが変更されるそうだ。それは大賛成なので是非心に健やかに残るエピローグを作ってもらいたいものである。
70点