うおーーーー!!(T^T)
俺は今、泣きながらタイピングしている。
セルビデオはエロビしか買わない俺が買っちまった。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
2001年公開、21世紀を迎えるのにふさわしい大傑作である。

以前レビューしたときは子供が借りてきてビデオを横目で観た。
http://diarynote.jp/d/38325/20030725.html を参照してもらいたい。
先の日記で俺は
>お涙頂戴ストーリーは観ないことにしている。わざとらしさが鼻につくのと、
>別に泣きたいために映画観てるワケじゃないから。
と書いたが、ワタクシ嘘をついておりました、隊長。
えぇえぇ、泣くの前提で買ってます。
で、予想通りまたまた涙が止まらん。もうバカみたいだ。

ネタバレなので観ないほうがいいのだが、観てもハマるはず。

もたついたと思えた導入部分もよく観ると計算されてるし、ギャグも「クレしん」らしくて及第点。なにより所々にある小物と台詞がすばらしい。そのおかげでスムースに....というか、否応なく(^_^;この世界にのめり込まれてしまう。
昭和40年代の商店街と夕焼け、その匂いを知っている者(俺もそうだ)はたかがアニメに恐ろしい程の望郷感を感じてしまうこと必至。
幼いとき「あ〜あ、もしもボックスかどこでもドアがあればなぁ、のび太は羨ましいなぁ」と思ったことはないだろうか?おれと同じような羨ましさをケンとチャコに感じることだろう。
学業、就職、恋愛、そして結婚。子供も生まれ幸せなはずなのにそれがあまりにも当たり前過ぎて忘れがちになる。頭のどこかにある「こんなはずじゃなかった」という失望感は雑踏の中で更に強調される。
こんなとき「夢」を未来の現実だと信じて疑わなかった過去に戻りたいと望む春日部の住人たちを誰が責められようかっ?!「この21世紀は俺たちが望んだ21世紀じゃない」ケンがつぶやく一言は30代以上の大人の代弁である。
俺も行きたい、20世紀博に行きたい。連れてってくれーーーー!!!

とまぁ三児の父親でも家族を捨ててみたくなるほど危険で魅惑的な20世紀博なのだが、しんちゃんたち春日部防衛隊の面々をはじめ子供達はそれが理解できずに戸惑う。そしてこの物語のテーマであり、21世紀を生きる我々に突きつけられた大きな疑問であるところの一言を放つのだ。、
「懐かしいって、そんなにいいのかな」

爆発的なリメイク、リバイバル等の過去の回帰は文化の進行が限界に達してしまったように感じさせる。もしかして日本人はこのまま60〜90年代をぐるぐる懐かしんで生きていくんじゃないだろうか?という恐ろしい想像をもしてしまうのだ。
結婚をしない、子供を持たない(できない、持てない、じゃないぞ)オトナが増えている現状も未来を信じることができない大きな証拠であるように感じる。
そんな中、このアニメはしんちゃんを通じて21世紀の家族(主におとうさん、おかあさん)よ!未来は決して暗くない、大丈夫だから、信じていこう!と手を差し伸べてくれるのだ。

悪の組織「イエスタディ・ワンスモア」に洗脳されていたひろし、20世紀の匂いで洗脳されているひろしをしんちゃんは彼の臭い足の臭いで目覚めさせる。
彼の過去、ささやかでももの凄い幸福な日々をナレーション無しで回想させる。幼いときの父との思い出、恋愛、失恋、上京し、みさえと知り合い、結婚、父になって、家を建てる。電車で揺られ家につくといつもの顔、みさえ、しんのすけ、ひまわり。
ひろしの足の臭いをおもしろ半分で嗅いで大笑いする子供達、そうやってまた明日が続く.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣。
ちなみにここから最後の小林幸子のエンディングまでずっと涙が止まらんかった。

みさえの洗脳も解いた野原家の人々は「イエスタディ・ワンスモア」が目論む作戦(懐かしい匂いをばらまいて日本中を20世紀博にしようという作戦)を止めるために鉄塔に向かう。その極秘作戦を「イエスタディ・ワンスモア」の親玉ケンは野原家の人々にうち明けるのだけど、彼の心のどこかにも「21世紀を信じてみたい」という気持ちがあったのだろう。「俺にも未来を見せてくれ」というSOSだったのか。

ともあれ家族は「イエスタディ・ワンスモア」の追跡をかいくぐりスイッチに向かう。道中の野原家の人々がイチイチ格好良いのだ。エレベーターのドアを必死におさえながら「俺の人生の幸せをお前にもわけてやりたいぜ!」と言い切るひろし、身を挺してしんちゃんを守るみさえとひま、そしてシロ。
最上階へエレベーターはなおも上昇する。それをボロボロになりながら階段で追いかけるしんのすけ。その中継を見入る20世紀博の住人たち.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣2

エレベーターは最上階、中のケンとチャコはスイッチに向かう。
そのとき!足を掴む陰ひとつ。しんのすけが間に合ったのだ。
振り払っても振り払っても追いすがるしんのすけ。しかしそこで力つきる。
スイッチが入るそのとき!
なんと匂いレベルが下がってるではないか。野原家の行動を見た住人がもう一度未来を信じてみようと思ってしまったのだ。
チャコは問う
「ねぇどうして?!現実の未来なんて醜いだけなのに!」
ボロボロのしんのすけはそれでも目を輝かせてこう言い切る。
「おら、とうちゃんやかあちゃんやひまわりとずっと一緒にいたい。大人になっておねーさんみたいなキレイなおねーさんといっぱいお付き合いしたいから!」
と。
だーーーーーーーー(T_T)...号泣3

よくぞ言ってくれた。これこそこの映画の、原恵一のいいたかったことなのだろう。そして、親である大人全てが自分の愛する子供に思っててもらいたい心意気なのだと思う。過去を生き、現在を生き、未来を生き、そして子供に託すという一生。この普遍的な生き方を忘れそうになってるものはここでガツンとくるはずだ。

さて、野望を絶たれたケンとチャコは希望を失いながらも死にきれずケンの愛車トヨタ2000GTで春日部のたんぼ道を進む。
彼らはどこに向かうのか?
「なんとか生きていくだろ」とひろしが答えるとおり、彼らは大いなる絶望感とそれでも捨てられない希望を持って生きていくだろう。そう信じたい。

最後の小林幸子の歌は母を想う歌である。本編がいささか父親に振りすぎた感があるが故のエンディングだったからかもしれないが、あれはあれですばらしかった。

今回は斜に構えずまっすぐ観てみたが、やっぱり最高である。
まだ観てない人は俺を信じて借りて観てくれ。で、よかったら買ってくれ。
絶対面白いから。もし面白くなかったら
レンタル料金TSUTAYAに替わって返金してあげます。

99点

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索