熱海とヤキニクというもの
2004年5月31日 映画
2001年の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」、2002年の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で子供のみならずオトナの心までもわしづかみにしたクレしんシリーズの2003年度作品。
過去の2作品が大幅にオトナ寄りになったため今回は反動で子供向けのバカバカしいギャグ路線で行くことにはなんら異論はない。
事実、全編にちりばめられたギャグと監督水島努の真骨頂とも言うべきスピード感溢れるカット割り&演出は「これぞクレしん」と言うべきすばらしさだったし、焼き肉食いたいためだけのストーリーテリングは子供にもわかりやすいだろう。うちの子供達もゲラゲラと笑ってた....
でも
どこか納得いかないこの感覚。
これはなにか?と考えるうちに図らずも子供たちが見せた態度がその答えを如実に物語っていたのである。
それは、一度はゲラゲラと見るのだが、2度目はみない。
子供ってやつは「うんこ」や「ちんちん」が大好きである。注意されるまでバカのひとつ覚えのように「うんこちんちん」でいつまでもゲラゲラ笑える生き物なのだ。
そんな子供が一度観て満足してしまうとは子供向けギャグ映画として致命的、加えて話の根本に矛盾があるもんだからオトナが観ても「?」マークがずっと頭についてまわる。これでは映画に没頭できない。
パロディも地獄の黙示録のキルゴア中佐なんて子供がわからん上にわかる人間が観てもつまらん。
「爆発! 温泉わくわく大決戦 」では、子供の誰ひとり丹波哲郎のことを知らなくてもあんなに面白かったのに...
「ヘンダーランドの大冒険 」では、内容全然ないけどドタバタだけであんなに面白く観れたのに.....
「ルパン三世カリオストロの城」「ドラえもんのび太の恐竜」が今観ても面白い理由、それはドタバタの中にあるヒューマニズムやメッセージをオトナになって理解することができるからである。作り手の意図が理解できることで自身の成長を認識できる。これは作り手にも観客にもとても幸せなことだ。
大変残念だが本作品、そして先般公開された「嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」はその域にはない。「忘れられる作品」であろう。
30点
過去の2作品が大幅にオトナ寄りになったため今回は反動で子供向けのバカバカしいギャグ路線で行くことにはなんら異論はない。
事実、全編にちりばめられたギャグと監督水島努の真骨頂とも言うべきスピード感溢れるカット割り&演出は「これぞクレしん」と言うべきすばらしさだったし、焼き肉食いたいためだけのストーリーテリングは子供にもわかりやすいだろう。うちの子供達もゲラゲラと笑ってた....
でも
どこか納得いかないこの感覚。
これはなにか?と考えるうちに図らずも子供たちが見せた態度がその答えを如実に物語っていたのである。
それは、一度はゲラゲラと見るのだが、2度目はみない。
子供ってやつは「うんこ」や「ちんちん」が大好きである。注意されるまでバカのひとつ覚えのように「うんこちんちん」でいつまでもゲラゲラ笑える生き物なのだ。
そんな子供が一度観て満足してしまうとは子供向けギャグ映画として致命的、加えて話の根本に矛盾があるもんだからオトナが観ても「?」マークがずっと頭についてまわる。これでは映画に没頭できない。
パロディも地獄の黙示録のキルゴア中佐なんて子供がわからん上にわかる人間が観てもつまらん。
「爆発! 温泉わくわく大決戦 」では、子供の誰ひとり丹波哲郎のことを知らなくてもあんなに面白かったのに...
「ヘンダーランドの大冒険 」では、内容全然ないけどドタバタだけであんなに面白く観れたのに.....
「ルパン三世カリオストロの城」「ドラえもんのび太の恐竜」が今観ても面白い理由、それはドタバタの中にあるヒューマニズムやメッセージをオトナになって理解することができるからである。作り手の意図が理解できることで自身の成長を認識できる。これは作り手にも観客にもとても幸せなことだ。
大変残念だが本作品、そして先般公開された「嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」はその域にはない。「忘れられる作品」であろう。
30点