気になる続編というもの
2004年8月2日 映画
今ではすっかり枯れ果てたスピルバーグとルーカスだが、あふれ出るアイディアとパワーと夢で充ち満ちてた時期があった。
12歳から8ミリで映画を撮り始めてその後勝手にユニバーサルでアルバイトをやりはじめ、25歳のとき「激突!」で高い評価を得、2年後の「ジョーズ」でハリウッドにこの人あり!と言われた天才スティーブン・スピルバーグ。
「アメリカングラフティ」と「スターウオーズ」の成功で一躍トップ監督として注目を浴びるがプロデュースの方が肌に合ってるという理由で制作に転向、ルーカス・フィルムとILMを創設し、映像技術の発達に尽力した男ジョージ・ルーカス。
このハリウッドを代表する若い二人が「もう一度冒険映画を作ろう!」とはじめて手を結んだ映画、これが面白くないはずがないじゃないか。
81年制作だからもう20年以上前の作品、だからインディ役のハリソン・フォードも若い!今でも渋いけどとにかくニヒルでかっちょいい。「大逆転」のデンホルム・エリオット、「パーフェクト ストーム」のカレン・アレンも若ーーーい。「スパイダーマン2」のアルフレッド・モリナもキレがありますなぁ...
と、ジジィのような鑑賞になってしまうのは致し方のないことなのでご意見無用である。
それとあんまり残酷シーンに五月蠅くなかったからか、正義の味方のはずのインディ博士は悪役を殺しまくります(笑)。剣相手の的にも躊躇なく銃を使うあたり思わず笑ってしまった。今じゃ撮れないだろうなぁ、こういう無意識の明るい差別映画は。(笑)
とにかく久々に借りてみてやっぱり面白いことを再認識。
「魔宮の伝説」の方が面白かった記憶があるので早速借りてこよう。「最後の聖戦」は内容はたいしたことなかったけど、今はなきリバー・フェニックスくんとショーン・コネリーのおっさん臭いイヤラシサが楽しめるからこれも借りだ。
4はどうなるんでしょうか?
3作セットで96点
12歳から8ミリで映画を撮り始めてその後勝手にユニバーサルでアルバイトをやりはじめ、25歳のとき「激突!」で高い評価を得、2年後の「ジョーズ」でハリウッドにこの人あり!と言われた天才スティーブン・スピルバーグ。
「アメリカングラフティ」と「スターウオーズ」の成功で一躍トップ監督として注目を浴びるがプロデュースの方が肌に合ってるという理由で制作に転向、ルーカス・フィルムとILMを創設し、映像技術の発達に尽力した男ジョージ・ルーカス。
このハリウッドを代表する若い二人が「もう一度冒険映画を作ろう!」とはじめて手を結んだ映画、これが面白くないはずがないじゃないか。
81年制作だからもう20年以上前の作品、だからインディ役のハリソン・フォードも若い!今でも渋いけどとにかくニヒルでかっちょいい。「大逆転」のデンホルム・エリオット、「パーフェクト ストーム」のカレン・アレンも若ーーーい。「スパイダーマン2」のアルフレッド・モリナもキレがありますなぁ...
と、ジジィのような鑑賞になってしまうのは致し方のないことなのでご意見無用である。
それとあんまり残酷シーンに五月蠅くなかったからか、正義の味方のはずのインディ博士は悪役を殺しまくります(笑)。剣相手の的にも躊躇なく銃を使うあたり思わず笑ってしまった。今じゃ撮れないだろうなぁ、こういう無意識の明るい差別映画は。(笑)
とにかく久々に借りてみてやっぱり面白いことを再認識。
「魔宮の伝説」の方が面白かった記憶があるので早速借りてこよう。「最後の聖戦」は内容はたいしたことなかったけど、今はなきリバー・フェニックスくんとショーン・コネリーのおっさん臭いイヤラシサが楽しめるからこれも借りだ。
4はどうなるんでしょうか?
3作セットで96点
納得のできにくい結末というもの
2004年8月2日 映画
死刑制度
犯罪の若年化(まぁウソだけど)と凶暴化(これもウソだけど)に危機感を抱いた人、見ず知らずの被害者に思い切り感情移入できる素晴らしい方々から罰則の強化を望む声が大きくなっている。
中でも死刑はその制度の賛成派反対派の議論の的になることが多い。
当然だ、人間が人間を殺す法なのだから。
反対派の人が口々にいう「加害者の人権」は被害者の人権を奪っておいてどの口がゆーか、という話だし、賛成派の人の遺族を前面に押し出したアジテーションも正直食傷ぎみである。
死刑制度を論ずるに注意しなければならないことは、感情的な議論に陥いらないようにすることだ。現在の議論はお互いの感情論のみのぶつかり合いで受け手(ここでは事件に直接関係ない我々ということだが)に考える時間を与えてくれない。故に上っ面のみの良心的理想論を唱えてるにすぎない。善悪の二元論で全てを片づけようとするからこんな狭窄的なハナシになるのだ。
このモチーフを「ダウンタウン物語」「ミシシッピー・バーニング」を作った英国人アラン・パーカーが作るとこういう風なストーリーになった。
物語の舞台は大統領ジョージ・W・ブッシュが知事を務めていたテキサス州。全米一死刑執行されている州である。
新聞社にある死刑囚の取材依頼が入る。彼は死刑制度廃止を唱える運動だったのだが、こともあろうにその同僚をレイプし殺害した罪で捕まったのだった。
彼は記者に事件のことを話し始める。家族のこと、大学教授だったころの話、そして事件のこと....
真犯人は誰か?死刑執行まであと三日、死刑囚は助かるのか?
新聞記者ビッツィーはコトの真相を知り愕然とする.....
死刑囚にケビン・スペイシー。容疑者役をやらせたらさすが大御所、アンソニー・ホプキンスの次によく似合う。
新聞記者に「タイタニック」のケイト・ウィンスレット。殺される同僚に「トゥルーマンショー」のローラ・リニー、老け顔だから40オーバーかと思ってたら今年ようやく40、すんげぇ良い身体してます。
その他脇役もいい仕事をしていて一級のサスペンスに仕上がっている。
↓ここからネタバレ
アラン・パーカーは死刑反対派だと思う。
ケビン・スペイシー演じるデビッド・ゲイルに劇中で「いかなる理由があろうとも、人が人を殺める死刑制度に正当性など無く、凶悪犯罪の抑止にもつながらない」 と言わせてるし、なにより公開番組で知事に言われた「そこまで言うなら最近の死刑囚でえん罪だという事件を教えてくれ」というツッコミに監督の用意した答えを観たらそれは明かである。
犯した罪を悔い、父親の尊厳を自らの死を持って守ろうとしたデビッド、白血病で死ぬことではなく死刑廃止という理想を成就するために死んだコンスタンス。
それは滅びゆくものの美学とも捉えることができる。
デビッドが妻に送った現金とはがきは愛する息子への後悔と贖罪と思いやりだろうし、ビッツィーに送った「オフレコ」のビデオテープは事実をはっきり伝えることで彼女の後悔の念を少しでも和らげる優しさからだと思う。
主人公の死という結末にもかかわらず清々しさにも似た感情を抱いてしまうのはそのせいだろうと考える。
でも
デビットやコンスタンスに言わせてるじゃないか
「目には目をの精神でとうとう全員めくらになった」と。
「凶悪犯罪に死刑で対抗しても憎しみの心しか残らない」と。
アラン・パーカーがやったのは、死刑肯定論者に対する反対論者の「目には目を」じゃないのか?
自らえん罪を作り上げる、死ぬことで聖者になれる。確かにそうだろう、でも答えはそんな簡単ではない、二人のセンセーショナルな死は一時はメディアに取り上げられるだろうが、結局またヒステリックな賛成反対の餌食となるだけなのだ。
この映画のコピーは「あなたはこの結末に納得できますか?」である。
俺は納得できたが、心のもやもやは残った。
これは人によっていかようにも捉えることができる希有な作品だと思う。
78点
犯罪の若年化(まぁウソだけど)と凶暴化(これもウソだけど)に危機感を抱いた人、見ず知らずの被害者に思い切り感情移入できる素晴らしい方々から罰則の強化を望む声が大きくなっている。
中でも死刑はその制度の賛成派反対派の議論の的になることが多い。
当然だ、人間が人間を殺す法なのだから。
反対派の人が口々にいう「加害者の人権」は被害者の人権を奪っておいてどの口がゆーか、という話だし、賛成派の人の遺族を前面に押し出したアジテーションも正直食傷ぎみである。
死刑制度を論ずるに注意しなければならないことは、感情的な議論に陥いらないようにすることだ。現在の議論はお互いの感情論のみのぶつかり合いで受け手(ここでは事件に直接関係ない我々ということだが)に考える時間を与えてくれない。故に上っ面のみの良心的理想論を唱えてるにすぎない。善悪の二元論で全てを片づけようとするからこんな狭窄的なハナシになるのだ。
このモチーフを「ダウンタウン物語」「ミシシッピー・バーニング」を作った英国人アラン・パーカーが作るとこういう風なストーリーになった。
物語の舞台は大統領ジョージ・W・ブッシュが知事を務めていたテキサス州。全米一死刑執行されている州である。
新聞社にある死刑囚の取材依頼が入る。彼は死刑制度廃止を唱える運動だったのだが、こともあろうにその同僚をレイプし殺害した罪で捕まったのだった。
彼は記者に事件のことを話し始める。家族のこと、大学教授だったころの話、そして事件のこと....
真犯人は誰か?死刑執行まであと三日、死刑囚は助かるのか?
新聞記者ビッツィーはコトの真相を知り愕然とする.....
死刑囚にケビン・スペイシー。容疑者役をやらせたらさすが大御所、アンソニー・ホプキンスの次によく似合う。
新聞記者に「タイタニック」のケイト・ウィンスレット。殺される同僚に「トゥルーマンショー」のローラ・リニー、老け顔だから40オーバーかと思ってたら今年ようやく40、すんげぇ良い身体してます。
その他脇役もいい仕事をしていて一級のサスペンスに仕上がっている。
↓ここからネタバレ
アラン・パーカーは死刑反対派だと思う。
ケビン・スペイシー演じるデビッド・ゲイルに劇中で「いかなる理由があろうとも、人が人を殺める死刑制度に正当性など無く、凶悪犯罪の抑止にもつながらない」 と言わせてるし、なにより公開番組で知事に言われた「そこまで言うなら最近の死刑囚でえん罪だという事件を教えてくれ」というツッコミに監督の用意した答えを観たらそれは明かである。
犯した罪を悔い、父親の尊厳を自らの死を持って守ろうとしたデビッド、白血病で死ぬことではなく死刑廃止という理想を成就するために死んだコンスタンス。
それは滅びゆくものの美学とも捉えることができる。
デビッドが妻に送った現金とはがきは愛する息子への後悔と贖罪と思いやりだろうし、ビッツィーに送った「オフレコ」のビデオテープは事実をはっきり伝えることで彼女の後悔の念を少しでも和らげる優しさからだと思う。
主人公の死という結末にもかかわらず清々しさにも似た感情を抱いてしまうのはそのせいだろうと考える。
でも
デビットやコンスタンスに言わせてるじゃないか
「目には目をの精神でとうとう全員めくらになった」と。
「凶悪犯罪に死刑で対抗しても憎しみの心しか残らない」と。
アラン・パーカーがやったのは、死刑肯定論者に対する反対論者の「目には目を」じゃないのか?
自らえん罪を作り上げる、死ぬことで聖者になれる。確かにそうだろう、でも答えはそんな簡単ではない、二人のセンセーショナルな死は一時はメディアに取り上げられるだろうが、結局またヒステリックな賛成反対の餌食となるだけなのだ。
この映画のコピーは「あなたはこの結末に納得できますか?」である。
俺は納得できたが、心のもやもやは残った。
これは人によっていかようにも捉えることができる希有な作品だと思う。
78点