苦い思い出というもの
2003年7月15日 ヘタレ恋愛話高校時代、いつもツルんで遊んでた仲間。ヤスはその中にいた。
「親友」という言葉が照れくさくて必要以上に干渉しないってのが俺達の不文律。お互いの家庭環境もいい加減にしか知らなくて電話もそんなにしなかったが、妙にウマが合って学校サボって雀荘いったり、映画観たり、バカ話して笑い転げたり、毎日が楽しかった。勉強はみんなそんなに出来なかったけどさ。
とある夏の日、仲間のトオルが耳打ちする。
「よぉヤスにさ、好きな女できたみたいよ」
「マジっすかっ!!」
噂は瞬く間に仲間の中で広まることになる。みんな彼女はいなかった。男同士でバカやるのが楽しかったから。だけどやっぱ「彼女」というものが欲しかったし、誰それがどこそこで手を繋いで歩いてたとか聞くと羨ましかった。
「ど、どんなやつよ」
俺はつとめて冷静にトオルに聞く。
「商業科のキムラさん」
「うそー」
商業科のキムラさんと言えば、地元のすっごいでかい網元の一人娘、特別美人というワケじゃないけど、愛想のいいどちらかと言えばかわいい感じの子だ。評判は普通科の俺らにも届いてた。
俺達はそんなキムラさんにぞっこんのヤスのことをお節介にも応援することにした。彼女は何部か?好きな芸能人は誰か?意中の人はいるのか?果ては、どのルートで通学するのか?履いてるシューズのメーカーまでチェックした。普通科のヤスって男の情報をキムラさんの耳の届くところにさりげなく流したりもした。
ヤスになんとかしてうまくいってもらいたいと頑張ってたワケでは、実はない。多少マンネリ化した学校生活のスパイスのつもりだった。俺らははしゃぎながら調査と称する遊びに熱中した。
ヤスもまんざらでもないらしく、ついには「来週の土曜告白しよう」と考えるまでに至ってた。俺らは拍手した。
土曜、教室で即行ミーティングを開いてどう告白するか計画を立てた。
キムラさんは帰宅部だから今日は午後から暇なはずだ。
商業科にはトオルの妹がいるから彼女に頼んでキムラさんを呼び出してもらおう。
変な邪魔が入らないよう各所に関所をつくろう。
兄ちゃんから借りた短ランも持ってきた。
うまくいったら近所のお好み焼き屋で昼食を一緒に食べような。
「バカ、キムラさんと食べんだよ!」
みんなで笑った。うまく行くと思ってた。
でも、待ち合わせの時間を1時間過ぎても彼女は現れなかった。慌てて教室に向かうともう誰もいなかった。彼女の下駄箱には内履きズックが残っていた。
ヤスはフラれたのだ。
想いの丈を伝えることすらできない不戦敗。急な用事が出来たのかもしれない、誰かが言ったが慰めにもなってなかった。
「仮に付き合えないとしてもちゃんと返事するのが礼儀だろ。」
俺は納得がいかなかった。
他人の色恋沙汰は堀の外でみてるのが楽しい。わかっちゃいるけど10代の憤りはシニカルな格言じゃ収まりがつかない。元々はおちゃらけた暇つぶしのはずが、いつのまにか熱血青春ドラマになっていた。その日の夜、俺はキムラさんに電話かける決心をし、お好み焼きの大を怒りながら食った。
午後7時、意を決してダイヤルを回す。数回の呼び出し音の後、お父さんらしき人が出た。
「○○高校の○○です。○○さんいらっしゃいますか?」
数秒の保留音、そしてキムラさんが電話口に現れた。
ヤスにとってはもう放っといてもらいたかったにちがいない。傷口に塩を塗られるようなお節介だったことだろう。でも俺は腹の虫が治まらなかった。自己を正当化する幼稚な正義感のみで彼女に問いつめた。どうして来なかったのか、そんなに嫌いだったのか?はっきりいって欲しい..等々。
「だからさ...」と言いかけた途端、受話器の向こうから怒鳴り声が聞こえた。
「何言ってんだ!!」
さっきの父親だった。横で聞いてて溜まりかねて受話器を奪ったらしい。どうやら俺をヤス本人と勘違いしてるようだったが一方的に怒鳴られた俺はただ聞くしかなかった。
「チョンの分際で!」
ガチャン!電話が切れた。
「コノヒトハナニヲイッテルノダロウ?」
俺は呆然と立ちつくすだけだった。
「チョンの分際で!」という言葉が耳にこびりつく。
チョンが朝鮮人を表すスラングだということは知っていた。それとヤスが結びつかない。しかし、それをヤス本人に聞くのはなんとなく気が引けた。トオルに聞いてみる。やつはホームランバーをうまそうにナメながらあっさり「そうだよ、知らなかった?」と教えてくれた。
住んでる家から10キロ近くチャリで通学してた俺だけが土着の風習や情報に無頓着だった。聞けば親がパチンコ屋でボロ儲けしてて町内から煙たがられている、だの、親戚に犯罪者がいる、だの、奇形児が産まれた、だの、どこまでがホントでどこまでがウソかわからない話をペラペラしゃべった。俺はトオルのホームランバーを奪って横のドブに捨て、蹴りを一発入れたあとチャリでヤスの家に向かった。
ヤスにあってどうするのか?なにもわからないままペダルを漕ぐ。だけど、アイツに会わなければ、という変な義務感と責任感めいた衝動のみで必至に漕いだ。
ヤスの家の呼び鈴を押す、何回目かに母親らしき人が出る。ヤスの所在をたずねると知らないとのこと。そして「あんたらみたいな友達がいるからウチの子ヘンな目で見られるのよ、もう遊ばないで!」と捨て台詞とともにインターフォンが切れた。後から聞いた話だが、キムラさんの父親がヤスのウチに「お宅の息子がちょっかい出して困る」というクレームを出したらしい。
20年近く前の地方の小さな港町、まだまだ理不尽な壁があちこちにあった。力も知識もない俺は自分の無力さにも気付かず差別という大きな波にただ翻弄されるだけだった。
とぼとぼ帰宅中、前からヤスがやってきた。
「よお」
「おお」
次の言葉が出てこない。元はと言えば俺のお節介が招いた結果だった。だけど変な意地が俺に頭を下げさせなかったのだ。続く沈黙。
「ありがとな」
先に口を開いたのはヤスだった。寂しく笑ったが、それはオンナにフラれたからか、育ちの問題からくる諦めの笑いかはわからなかった。
「いや、俺のほうこそ....」
俺の言葉を遮りヤスがチャリを反転させながら言う。
「おい、お好み食おうぜ」
彼はもしかしたらこういう結果になることをわかってたのかもしれない。「ありがとう」は事情もしらずにはしゃぎまわった俺に対する許与の言葉だったのだと思う。そう信じたい。
俺らはいつものお好み焼き屋にむかった。
昔の青くて苦い思い出
*****
乾いた鼓声 浴衣のうなじ 練り歩き
いにしえ人と 盆勧進
「親友」という言葉が照れくさくて必要以上に干渉しないってのが俺達の不文律。お互いの家庭環境もいい加減にしか知らなくて電話もそんなにしなかったが、妙にウマが合って学校サボって雀荘いったり、映画観たり、バカ話して笑い転げたり、毎日が楽しかった。勉強はみんなそんなに出来なかったけどさ。
とある夏の日、仲間のトオルが耳打ちする。
「よぉヤスにさ、好きな女できたみたいよ」
「マジっすかっ!!」
噂は瞬く間に仲間の中で広まることになる。みんな彼女はいなかった。男同士でバカやるのが楽しかったから。だけどやっぱ「彼女」というものが欲しかったし、誰それがどこそこで手を繋いで歩いてたとか聞くと羨ましかった。
「ど、どんなやつよ」
俺はつとめて冷静にトオルに聞く。
「商業科のキムラさん」
「うそー」
商業科のキムラさんと言えば、地元のすっごいでかい網元の一人娘、特別美人というワケじゃないけど、愛想のいいどちらかと言えばかわいい感じの子だ。評判は普通科の俺らにも届いてた。
俺達はそんなキムラさんにぞっこんのヤスのことをお節介にも応援することにした。彼女は何部か?好きな芸能人は誰か?意中の人はいるのか?果ては、どのルートで通学するのか?履いてるシューズのメーカーまでチェックした。普通科のヤスって男の情報をキムラさんの耳の届くところにさりげなく流したりもした。
ヤスになんとかしてうまくいってもらいたいと頑張ってたワケでは、実はない。多少マンネリ化した学校生活のスパイスのつもりだった。俺らははしゃぎながら調査と称する遊びに熱中した。
ヤスもまんざらでもないらしく、ついには「来週の土曜告白しよう」と考えるまでに至ってた。俺らは拍手した。
土曜、教室で即行ミーティングを開いてどう告白するか計画を立てた。
キムラさんは帰宅部だから今日は午後から暇なはずだ。
商業科にはトオルの妹がいるから彼女に頼んでキムラさんを呼び出してもらおう。
変な邪魔が入らないよう各所に関所をつくろう。
兄ちゃんから借りた短ランも持ってきた。
うまくいったら近所のお好み焼き屋で昼食を一緒に食べような。
「バカ、キムラさんと食べんだよ!」
みんなで笑った。うまく行くと思ってた。
でも、待ち合わせの時間を1時間過ぎても彼女は現れなかった。慌てて教室に向かうともう誰もいなかった。彼女の下駄箱には内履きズックが残っていた。
ヤスはフラれたのだ。
想いの丈を伝えることすらできない不戦敗。急な用事が出来たのかもしれない、誰かが言ったが慰めにもなってなかった。
「仮に付き合えないとしてもちゃんと返事するのが礼儀だろ。」
俺は納得がいかなかった。
他人の色恋沙汰は堀の外でみてるのが楽しい。わかっちゃいるけど10代の憤りはシニカルな格言じゃ収まりがつかない。元々はおちゃらけた暇つぶしのはずが、いつのまにか熱血青春ドラマになっていた。その日の夜、俺はキムラさんに電話かける決心をし、お好み焼きの大を怒りながら食った。
午後7時、意を決してダイヤルを回す。数回の呼び出し音の後、お父さんらしき人が出た。
「○○高校の○○です。○○さんいらっしゃいますか?」
数秒の保留音、そしてキムラさんが電話口に現れた。
ヤスにとってはもう放っといてもらいたかったにちがいない。傷口に塩を塗られるようなお節介だったことだろう。でも俺は腹の虫が治まらなかった。自己を正当化する幼稚な正義感のみで彼女に問いつめた。どうして来なかったのか、そんなに嫌いだったのか?はっきりいって欲しい..等々。
「だからさ...」と言いかけた途端、受話器の向こうから怒鳴り声が聞こえた。
「何言ってんだ!!」
さっきの父親だった。横で聞いてて溜まりかねて受話器を奪ったらしい。どうやら俺をヤス本人と勘違いしてるようだったが一方的に怒鳴られた俺はただ聞くしかなかった。
「チョンの分際で!」
ガチャン!電話が切れた。
「コノヒトハナニヲイッテルノダロウ?」
俺は呆然と立ちつくすだけだった。
「チョンの分際で!」という言葉が耳にこびりつく。
チョンが朝鮮人を表すスラングだということは知っていた。それとヤスが結びつかない。しかし、それをヤス本人に聞くのはなんとなく気が引けた。トオルに聞いてみる。やつはホームランバーをうまそうにナメながらあっさり「そうだよ、知らなかった?」と教えてくれた。
住んでる家から10キロ近くチャリで通学してた俺だけが土着の風習や情報に無頓着だった。聞けば親がパチンコ屋でボロ儲けしてて町内から煙たがられている、だの、親戚に犯罪者がいる、だの、奇形児が産まれた、だの、どこまでがホントでどこまでがウソかわからない話をペラペラしゃべった。俺はトオルのホームランバーを奪って横のドブに捨て、蹴りを一発入れたあとチャリでヤスの家に向かった。
ヤスにあってどうするのか?なにもわからないままペダルを漕ぐ。だけど、アイツに会わなければ、という変な義務感と責任感めいた衝動のみで必至に漕いだ。
ヤスの家の呼び鈴を押す、何回目かに母親らしき人が出る。ヤスの所在をたずねると知らないとのこと。そして「あんたらみたいな友達がいるからウチの子ヘンな目で見られるのよ、もう遊ばないで!」と捨て台詞とともにインターフォンが切れた。後から聞いた話だが、キムラさんの父親がヤスのウチに「お宅の息子がちょっかい出して困る」というクレームを出したらしい。
20年近く前の地方の小さな港町、まだまだ理不尽な壁があちこちにあった。力も知識もない俺は自分の無力さにも気付かず差別という大きな波にただ翻弄されるだけだった。
とぼとぼ帰宅中、前からヤスがやってきた。
「よお」
「おお」
次の言葉が出てこない。元はと言えば俺のお節介が招いた結果だった。だけど変な意地が俺に頭を下げさせなかったのだ。続く沈黙。
「ありがとな」
先に口を開いたのはヤスだった。寂しく笑ったが、それはオンナにフラれたからか、育ちの問題からくる諦めの笑いかはわからなかった。
「いや、俺のほうこそ....」
俺の言葉を遮りヤスがチャリを反転させながら言う。
「おい、お好み食おうぜ」
彼はもしかしたらこういう結果になることをわかってたのかもしれない。「ありがとう」は事情もしらずにはしゃぎまわった俺に対する許与の言葉だったのだと思う。そう信じたい。
俺らはいつものお好み焼き屋にむかった。
昔の青くて苦い思い出
*****
乾いた鼓声 浴衣のうなじ 練り歩き
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