高村薫といえば、戦後日本の歪んだ社会情勢に深く根ざした警察ドラマが得意の社会派ミステリー作家の雄である。
「マークスの山」は連合赤軍の事件をモチーフに、渦中にある青年の内的葛藤を上手に織り交ぜることで合田刑事と警察組織の軋轢を説得力をもって描くことができた無骨なドラマであるし、今回の「レディ・ジョーカー」も本質は合田刑事を中心とした警察ドラマの体をとりながらも、グリコ森永事件のエッセンスを加えることで部落差別問題と日本の構造矛盾を批判した大長編だ。

このクラスの小説になると、映画化はまず無理と思っていい。
なにしろ登場人物の作り込みとテーマとその背景が過剰に絡み合うもんだから、長編のくせに削れる部分が極端に少ないからだ。
1000ページの小説には1000ページなりの理由がある。エピソードだけをおいかけてあらすじを100ページにまとめたところで原作の醍醐味は味わえないばかりか、映画として破綻するのは必至なのだ。となると原作はあくまで原作として、プロデューサーが思う”高村作品”を作り上げなければならない。それを忘れていると痛い目にあうことになるだろう。

事実、「マークスの山」では原作を追っかけるだけのただの中途半端な警察モノを作ってしまい、重々しいカタルシスの一片も味わうことができない駄作となった。
そしてその呪縛はこの「レディ・ジョーカー」にも乗り移ってしまっている。

(原作の読了と問わず)皆が思うのは、「で、だからなに?」だろう。(^_^;)
合田刑事の立ち位置は失ってないものの、その他の登場人物の扱いがひどすぎる。渡哲也をはじめとして吉川晃司、國村隼、大杉漣、岸部一徳、長塚京三、吹越満という日本を代表するバイプレイヤーがそれぞれに素晴らしい演技をしてくれたおかげで画面としては緊張感のある形をしていたが、シナリオがクソすぎるせいで頭に疑問符がつきっぱなし。
小説のプロモーションドラマじゃないんだからせめて渡哲也をはじめとした犯人グループの繋がりと動機、20億円の行方くらいは描いて欲しかった。じゃないと映画じゃねぇだろ。

これが3時間作品だったらまだ見られる作品になってたかも。
俳優陣が頑張っていただけに返す返すも惜しいと思う。

38点

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