家族とはなんぞや?
好きになった者同士が同じ人生を歩むという事はともすれば普遍的と考えがちだが、実は近代日本にある一過性の風習であるということに気付く。
と同時にその風習はとてもステキなものだと感じることができるのである。

「ナビィの恋」

沖縄にある小さな島、粟国島。そこに都会につかれた娘が帰ってきた。船にはひとり旅の青年と老紳士が乗船していたがその老紳士こそ、かつて娘の祖母のナビィが最も愛した男であったのだ......

沖縄人がおおらかで屈託がないのは彼の戦争で多くの犠牲者を出したという事実とおそらく無関係ではない。
多くの人が死に、畑が焼かれ、終戦後島ごと捕虜になった島人は泣きはらしたあとに立ち上がり笑いはじめた。それは諦めにも似た切なさを含めつつも心の底から楽しんでるように感じる。この多くの日本人にはないメンタリティが恐ろしく魅力的で悪魔的な吸引力があることに愕然としてしまうのである。

映画の登場人物はみんなお気楽である。
60年も経って迎えにくるサンラーもそれに乗っかるナビィもそれでも海を見つめる恵達もそして島にいる住民も全員が全員お気楽すぎる。はじめは映画独特のステレオタイプ演出か?と違和感があったが、違った。こういう考え方なのだ。
個々人に捉まえるパーソナルな部分だけでなく島人として捉えるパブリックな恋愛。それが同居する収まりの良さや、恵達が使う英語もどきに見て取ることができる。

ってナニ言ってるかわかりませんか?
映画のラストの宴会シーン、こんなに楽しそうなシーンなのに、実際楽しいのに何故か頬を伝う涙。この涙の訳を一生懸命探してるところなのよ。(笑)

すんげぇ良かった。
それだけは言えます。

90点

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