ウンコチンチンというもの
ツカミ良さげなタイトルをつけてみた。
ウンコ話とチンコ話は小学生から大人に至る全ての男子を虜にする。なんでだろう?

ウンコネタはこちら、俺はすんげぇ笑った。
http://nya.livedoor.biz/archives/50206016.html
ベンデルとスゲーデル.....(笑)

さて、チンコネタである。

女子同士がエッチした相手のチンコの話をする場合、大きいだの小さいだの話しますがそれは大概悪印象を持って話題にされることが多い。
「人差し指サイズだったYO !(某P談)」
「こっちなんてタケノコだYO!(某K談)」
  例 ↑
で結局「あんまり気持ちよくなかったぁ」という笑い話に落ち着く。

チンコの大小で全人格が評価され、小さくても大きすぎても物笑いのネタにされるんだから相手はたまったもんじゃないが、男は男で「しまり悪い」だの「臭い」だの話してるんだからまぁどっちもどっちだろうけどな。(あ、これはPさんKさん関係ない話ね)
俺はもうイイ大人なんだからモノの大小で一喜一憂することはないが、面と向かって「小さっ!( ゜д゜) 、ペッ」とか言われるとヘコむかもしれん....
って一憂してるじゃんか<俺(笑)

でもここでひとつ偏見を捨てフラットな気持ちで考えて欲しい。
一人エッチをする人なら良くわかると思うが、決して自身の理想サイズの武器を使ってイタしてるワケじゃないはずだ。せいぜい自分の指(または同等の武器)を使ってイタすだろうし、ソーニューを伴わない場合も数多いだろう。
ふたりエッチの時でも肉体的満足は彼氏の舌や指で十二分に達成することが多いのではないか?「実際のところ、中ではイケない。豆がイイ」という女性は相当数いることからもソーニューにおける快楽が絶対的ではないということが言える。

気持ち良さはチンコの大小ではないということなのだ。
今さら書く話でもないが、みなさんが彼氏彼女と組んずほぐれつエッチするときも意識的にしろ無意識にしろ、精神的快楽を与えているのだ。
女性は特にそうだが、肉体的な快楽は精神的な快楽と密接にリンクしている。その場のムードや言葉、イメージ等々でチンコの大きさなんぞはどうとでもフォローできるのである。もちろん物理的にソーニュー不可なシロモノもある。だからといってエッチ自身が不可能というワケではない。老年代のエッチや事故や病気で形状が維持できない方々もそれなりのセックスライフを楽しんでいるのだから、モノの大小なんざ小さい問題であろう。彼らは快楽をソーニューではなく精神的なところに持ってくることでハンデを克服している。

つまり人差し指サイズだのタケノコだの笑うのは、ぶっちゃけエッチ下手だったと言ってるのと同義なのだ。そうだろう?>女子
であるなら、フツーに「エッチ上手くなかった!」と笑ってやってくれ。チンコの話にすり替えるな。
大きくても小さくても皮被ってても形がヘンでも黒くてもピンクでも笑われてたんじゃーーどうして良いかわからんじゃーないか!(´・ω・`)ショボーン

ちなみに俺のサイズは.....以下秘密で↓

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