ご都合主義とひねりの無いストレートなストーリー、B級映画の王道である「処刑ライダー」を観る。
なにが悲しゅーてこんなもんを借りたかというと、観たかった映画のパッケージにこいつが間違って入っていたからである(__;)。TSUTAYAめ、許さん。
もっとも観たかった映画ってーのも「ヒドゥン」でB級SFという点では同じなんだが(笑)。

主演、チャーリーシーン。この映画といい、「ホット・ショット」といいどういう基準で仕事を選んでいるのかわからん。まぁ「ホット...」はパロディ映画だからわかってて出演してるとしてもこいつはなぁ...大まじめだしなぁ...(^_^;

内容は田舎もんの青年が不良にからまれた上に殺されるんだけど、宇宙の神秘で蘇り
並はずれたパワーとスーパーカーを授かって復習するというはなし。
どかーんと爆発したり、不良はもう絵に描いたような救いようのない不良だし、この手の映画にはうってつけのシェリリン・フェン(&そのたわわな乳)も拝見できるので夜中α波を出しながらボケーーっと観る分には最適であろう。

ひとつだけ
弟よ、普通わかるだろ、兄なんだから。あと、その車、ひき逃げ犯の車ってことで手配されてるはずだから喜んでる場合じゃないぞ。とっとと処分するように。

50点
最近また狂ったようにTSUTAYAに通っている。
仕事帰りに当日返却で借りて夜観て日記書いて出勤途中に返す、という繰り返し。
映画館に行く時間がないのはわかるが、既に日記を書くために借りてるっぽくなってる。いかんいかん、映画は楽しく観んとな。
ということで今回は2本だけ借りた(笑)。

一本目「H(エイチ)」
主演は「カル」のヨム・ジョンアと高田延彦を格好良くした感じのチ・ジニ、連続殺人犯に「ラブストーリー」のチョ・スンウ。
ってあれ?この面子ってカンヌで大好評だった「オールドボーイ」のキャストじゃないか?と思って調べたら。
カン・ヘジョン 、ユ・ジテ 、チェ・ミンシク というメンツでした。やっぱり何年経っても韓国人俳優の名前、覚えられず。(__;)

さて「H」のストーリー
10ヶ月前、連続5人の女性を惨殺した事件が発生した。犯人は6人目に殺した女性をバッグに詰めて自首する。
そして現在、それを模倣した殺人事件が発生する。事件を担当するのは10ヶ月前その事件を担当し、犯人の自首後自殺をした刑事の彼女キムと新米刑事カン。二人は先の連続犯シンが関係してると睨む。事件の真相を探るため収監されている連続犯シンとの面会を試みるが尻尾がつかめない。
懸命な捜査末、一人の容疑者が浮かぶ。カンは犯人を追いつめるが3人目の女を殺害し、自らも自殺する。事件は一応の決着をみたと思ったが4人目の犠牲者が出てしまう....

このドラマ、タイトルの「H」の意味がネタバレという「あーなるほどね」的サプライズを狙っているのだが、あまり成功してるとは思わない。
だって「羊たちの沈黙」と「セブン」のプロットを使って「緑のサル」のあの映画を作ったら誰だって「んだぁ!コラ!!」と怒ってサプライズどころじゃないから(笑)。

連続殺人や刑事とその母親の関係性といった基本プロット、伏線の張り方や演出は及第点以上である。しかし惜しむらくはそれが完全に消化されてないことだ。
細部まで練り込んで大ざっぱな感じがなければそれこそ「セブン」を凌ぐ映画になってたと思う。惜しい。

ここからはネタバレ&推測

俺は、はじめの殺人は実はシンではなくキムの彼氏の犯行だと思っている。(6番目だけはシン本人が自分の母親を殺した)犯人が逮捕されたあとその事実を聞かされ彼氏は自殺したのではないか。で、10ヶ月後の犯行だが、シンはカンを以前から知ってて、自分のよく似た境遇の刑事の心を解放してあげようと思ったに違いない。
シンは女医を使い1,2,3番目の犯人を仕立て上げカンの犯行をやりやすくした。1番目と2番目の犯行現場にカンが遅れてきたのは殺人した後だったからだと思う。ところがそこでカンに撃たれてしまったので4番目以降の囮犯人を即席で作った。その後カンはシンに再び会うのだけど、そこで洗脳をしなおして女医を殺害する風にし向けた。なぜって自分が死刑になるのがわかってるからとっとと決着つけたかった。
カンが自分の母親を殺して洗脳が解けたとき、キムがカンを撃ち殺すがこれはキムの彼氏の苦悩をカンに味わってもらいたくなかったのと、母親の下におくりたかったからではないだろうか?

とまぁ憶測を含めて書いたのだけど、誰か真相をしってる人がいたら教えてください。(笑)

54点
「マークスの山」とは、単なるサスペンスではなく重厚な警察ドラマという点で共通している。
「マークスの山」にあって「殺人の追憶」に無いものは殺人者の心情描写であるし、その逆がリアルな時代感だ。
で、こと映画という点で考えると「殺人の追憶」の方が断然引き込まれた。

80年代後半、韓国南部の農村で手足を縛られた若い女性の無惨な変死体が発見される。事件を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は証拠集めも容疑者確定もできずいらついていた。数日後には同様の手口で2人目の犠牲者が出る。それを期にソウル市警からソ刑事が派遣された。二人は性格も捜査手法もことごとく対称的で、たびたび衝突してしまう。捜査は行き詰まり、パク刑事は手当たり次第に容疑者を拷問にかけていく。しかしそれらは犯人ではなかった...
そんな中同僚の刑事が奇妙な一致を発見する。雨の日とラジオのリクエスト、点と点が線につながり、ある容疑者が浮かぶのだが...

俺にとって80年代が近い過去だからというのもあろう。あの時代、確かに韓国は暗い時代だった。日本海の港町に住んでた俺は半島人の「恨」の精神構造に畏怖を覚えたものだ。映画はそんな湿った空気に満ちている。

ハングル語はわからんが、ソン・ガンホの喋り方を聞いていると滑舌がいいワケでもないし、がさつだ。チョゴリの似合う美人もそんなに出演してない。
あるのは、空襲警報や灯火管制の為に書類が読めなかったり、証拠探しの為に必要な機動隊がデモ鎮圧のために出払ってたり、頭の弱い青年を犯人にするための証拠ねつ造であったり、DNA鑑定をアメリカに頼まねばならない弱小国所以の縛り、といった「当時の大韓民国の事情」である。
この闇の部分を俳優にはオーバーアクション&ギャグ(こんなシリアスドラマであんなドロップキックありか?と思うくらい実はギャグ満載)で演じさせながらもカメラと進行はビシーーッと落ち着きを持って演出してある。「シュリ」や「JSA」のように浮かれてないのだ。この節操は韓国人のクセにすごい!(チョー偏見)

エンディングは事件から20年後の現在を描く。
主役のパク刑事は職を辞してセールスマンになってる。車で移動中あの事件現場を通りかかり側溝をのぞき込む。それを不思議そうに眺める少女の一言....
あぁあの時代は途切れた過去ではない、今と繋がっているのだ、とパク刑事だけでなく俺も唖然とさせた。その田んぼの稲の黄金色、それはオープニングの青い空から脈々と繋がる韓国という国そのものであの暗かった時代も確かにあったという事実を突きつける。
そのあたりの演出はすばらしい!韓国で爆発的ヒットした理由もわかる。

ありきたりの題材も丁寧につくればここまで素晴らしい作品になるって好例です。

81点!
タイトルに意味はありません

ハル・ベリーとペネロペ・クルス共演、ホラー専門会社ダークキャッスル制作の第4弾映画。恐いモノ嫌いな俺にとってはこれくらいの恐怖が丁度いいので楽しめた。ホラーというよりはサスペンスに不可解な心霊的要素を組み合わせた作りになっているので「TATARI」を期待して観た人はスクリーンにポップコーンを投げつけたことだろう。

精神科医のハルがある夜事故を起こす、目覚めてみると自分が務める精神病院の独房に入れられてるではないか!聞けば自分は愛する旦那を惨殺したらしい。「私は殺してない!」と同僚に懇願するが彼の目は冷たい。「私をキチガイだと思っているのね!泣」そう、自身が患者であるペネロペに対する態度と同じだったのだ。
そんな中、彼女の前に見知らぬ少女が現れ身に不思議な現象が起こる。彼女の正体は?何を訴えたいのか?! 旦那の死の真相は!? 物置のビデオカメラを見たとき、彼女は全てを知ることとなる.....

オープニングから30分くらいで俺は
精神科医もステキな所長の旦那を持っているというもの全部ハルの妄想で、この物語全てが頭の中だけの出来事であり、シャブ中の旦那を殺した殺人者ハルはその妄想に逃げているだけ。
という夢オチを想像してた(笑)。
ところがホントの幽霊話だったからちょっと戸惑った。

だってさ(ここからネタバレ)
ガラスに息を吹きかけて「NOT ALONE」(犯人は一人じゃないという意味)という文字を書けるならそのまま恨めしい犯人の名前を書きゃいいじゃん。それ以前に二人の犯人のどちらかに取り憑いて殺し合いをさせればいいじゃん。(^_^; それに自分の恨みを晴らすためにハルが必要ならなんであんなに痛めつけるのかわからん。死んじゃったら恨み晴らせないんですけど。

と疑問を持ったままエンディングを迎えた。
感想、こんな映画どこかでなかったか?(^_^;

58点
最近入社したTくん、30歳。
自営の左官業を廃業し、営業の道に飛び込んできた。
とりあえず教える人がいないので、畑違いの俺にオハチがまわってくる。
あのー、俺も仕事があるんですけど? 手当も付かないのに断れない気弱な俺...

さて、このTくん、真面目である。人の目を見てしっかり返事をするし挨拶もきちんとできる。モノを覚えようという必死さも見える。
しかし、すんげぇウザい(笑)。

どれくらいウザいか?
1・相づちが全部驚きのリアクション
2・人の話をおうむ返しでかえす
3・話を膨らませない

これくらいのことで怒るなよ、とお思いでしょう。いや俺も寛容な方なのよ。でもさすがに3日続くと無口になります。
例えば先日の会話はこんな調子だ。

T「オールナイトニッポンて10時からでしたよね」
浜「いやぁ最近聞いてないけど前は1時からじゃなかった?」
T「ええ!1時ですか!」
浜「最近はわからんよ。なに?10時からなの?」
T「いえ、私も聞かないからわかりません」
浜「・・・・・・」
T「・・・・・・」

T「プライベートなこと聞いていいですか?」
浜「なんですか?」
T「浜乙女さんはどこの高校ですか?」
浜「○○高ですよ」
T「ええ!○○高ですか!」
浜「はい」
T「・・・・・・」
浜「・・・・・・」

T「ご両親は健在ですか?」
浜「おかげさまで、Tさんは?」
T「います」
浜「・・・・・・」
T「・・・・・・」

浜「この伝票はこう書いてくださいね」
T「えぇ!この伝票そう書くんですか!」
浜「書き終わったらこのファイルに挟んでおいてください」
T「えぇ!書き終わったらそこに挟むんですか!」
浜「はい、わからないことがあったら聞いてください」
T「(今教えた伝票を指し)すんませんこの伝票の書き方は?」
浜「・・・・・・」

バカか?と思えば

浜「(郡を群と書いて)Tさん、漢字違ってますよ」
T「ああ!間違った!「おおざと」でしたね!」

と、ヘンなマメ知識を持っている。(^_^;

不況だから良い人材余ってるんじゃないのか?
こんなのしか集まらない会社なのか?
もー いやん。(・_・、)

・・・早く辞めてくんねぇかなぁ(笑)
「ファーゴ」「バーバー」のコーエンブラザーズ制作監督脚本のミュージックロードムービー。1930年代のミシシッピを舞台に脱獄して隠しておいた大金を掘り出そうとする3バカトリオの珍道中を珠玉のアメリカンルーツミュージックと乾いた映像で見せる。
主演はジョージ・クルーニー。やっぱこの人はこんな下品な役どころがぴったりだ。「ソラリス」なんかに色気出してないでこういう作品にもっと出るように。

アメリカ南部で労働歌として歌われていたルーツミュージックが一般に知られるようになるのはこの時期だ。アメリカンミュージックはブルースやカントリー&ウエスタンを経て、R&B、ジャズやロックへと変貌を遂げたのだが、ブルースやカントリーのルーツがこのルーツミュージックなのだ。この音楽が物語の重要なスパイスになるのでこの雰囲気を楽しめない門外漢はふるいに落とされるだろう。

ちなみに俺も落とされる派である。(^_^;
大阪人の笑いに対する違和感みたいなもんだ。「いや、面白いのだろうとはわかるけど、個人的には笑えない」みたいな(笑)。

とはいうものの、ふるいの縁に手をかけて最後まで観れたのは全体に漂うまったり感が心地よかったからか。道中知り合うヘンテコな人々...悪魔に魂を売ったミュージシャンやKKK、インチキ聖書セールスマンに虚勢を張る強盗など、そんな人と出会う度にお金を失ったり手に入れたりして進行するプロットは南部版「フォレスト・ガンプ」を観ているような感覚でありました。あれほどハッタリは利いてないけれども。
万人にオススメするというワケにはいきませんが、観たら面白いと思う人も多くいることでしょう。
好きな人は好きなんだろうから。

50点
日本ATGという映画会社がかつてあった。
フランスから始まったヌーヴェルヴァーグの波が日本にも押し寄せ、大島渚ら新進気鋭の監督が台頭してきた。カラーテレビの普及で既に斜陽産業になりかけていた大手映画会社はそれと呼応するようにその規模を縮小し、著名な監督、制作は独立という道を取るようになる。既存の邦画を拒否するもの、洋画をどん欲に吸収しようとするもの、大衆に融合することを快しとしないもの、才能ある若者が映画に携わるようになった。学生運動の激化も遠因になったのかもしれない、ドキュメンタリーが流行ったのもこの時期だ。そんな時代につくられた制作配給会社。
「俺たちゃお前ら(大人社会や世界情勢)の思い通りにはならないぜ!」
当時の多くの若者の思いであったと思う。既得権益や旧態依然とした価値観の破壊と新しい価値観の創造、それこそが映画界における日本ATGの役割であった。

しかし、学生運動がそうであったように、現実をリアルに体現しようとすればするほど時代という壁に突き当たってしまう。理想ばかり先走り、結果的に現実に背を向けてしまうことに気付いたときは、もう(邦画界全般での話だが)花形産業の面影は無くなっていたのだ。
実験的な映画は作られなくなり、多くの才能ある監督は映画界を離れテレビタレントや作家、コメンテーターに転職した。

そんなあおりをうけてATG映画も方向転換を余儀なくされエンターテイメント性を増していくが(森田芳光の「家族ゲーム」や大林宣彦の「転校生」等)、次代を育てることなくここまで来たツケがまわってくることになる。映画を作る演じる人間が居なかったのだ。才能あるものは映画に見切りをつけテレビの世界に入った。自分たちがかつての邦画を捨てたように、ATGが見捨てられたのだ。
その後のATGは大手出版やテレビ業界からお小遣いをもらい細々と配給制作を繰り返すという便利な卸屋と化した。

そんなATGのまだ煌びやかだった時代の映画「竜馬暗殺」を観る。

坂本竜馬に原田芳雄、中岡慎太郎に石橋蓮司。その他ピンク出身の中川梨絵、若かりし頃の松田優作と桃井かおりも出演。
1974年のモノクロ・スタンダード・モノラル撮影。コントラストを強めにした陰湿な雨やぬかるみ、暗い倉といった情景、石橋蓮司や中川梨絵の心情は画面のざらつきと上手くマッチしていた。

内容は暗殺2日前からの竜馬とその周りの人々を描くという手あかのたくさんついた話なのだが、これを史実的な時代劇としてではなく、若者の心情を中心に据えた青春ドラマとなっているところが面白い。
自由奔放に生きる原田、そしてそれを尊敬しながらも嫉妬の火を焦がす石橋、竜馬暗殺の命を受けながらも彼に惹かれる松田、その中でオンナとして生きる中川、桃井。
理想と男女と立場と器量、疑心暗鬼と愛憎相反する危うい5角関係の破綻はまさしく当時の学生運動の内ゲバを模したものであるだろう。
破天荒、でももの悲しい青春群像をという点においても。

殺陣ははっきりいって大したことない。
でもそれで充分。

78点
金玉満堂

 
「きんたままんどう」ではない「こんぎょくまんどう」と発音する。
タイトルでここにやってきた人、ごめんちゃい。

レスリー・チャン主演の香港版「料理人味平」。レスリー・チャンといえば「さらば、わが愛」や「ブエノスアイレス」が有名だが、ほぼ同時期にこういうバカ映画に主演してしまうのはもう香港人はそういうもんなんだ、と納得するしかない。

「料理人味平」といってもレスリー・チャンは味平ではない。なんたって料理作れないんだから。料理を作るのは中国一の料理人でその男と「料理の超人集団」との料理勝負を描く痛快娯楽映画....
内容は無茶苦茶です。笑えもしません。95年の作品なのに漂う80’S臭....
山口百恵って70年代だろ?それがどうしてこんな映画で取り上げられるのか?

前半のドタバタを大幅カットして料理対決をメインに持ってきたら(つまり全編味平ぽく作ってたら)面白かったのになぁ...惜しい。

30点
実は以前から目を付けていた映画である。
多分「スイングガールズ」の公開に合わせてのビデオ化と推測。だって誰も興味ないだろ?マーチングバンドなんて。

アメフトのハーフタイムなどでお馴染みマーチング・バンドをテーマにした青春ムービー。
ニューヨークのハーレム育ちの青年デヴォンはその天才的なドラム・テクニックを認められて鳴り物入りでアトランタのA&T大学に奨学金を得て入学する。A&T大学にはライバル校モーリス・ブラウン大学があったがここ数年は大きく水をあけられていた。入部早々鮮やかなテクニックで周囲を圧倒するデヴォンだったが、その才能に溺れた彼は周囲と亀裂を深めていく...

ダンサーの先輩女子大生との恋
とか
才能に恵まれながらもスコアが読めないことで一時期バンドを辞めてしまう
とか
デキの悪い同級生が最後はP1(一軍みたいなもん)にはい上がってくる
とか
意地悪な上級生や堅物の監督と手をとりあってライバル校に立ち向かう
とか
優勝決定戦ではライバル校と一騎打ち
とか
この手のスポ根ものには定番のシークエンスをきっちり織り交ぜ魅せるあたりは安心してみられる映画である。
惜しむらくは上映時間が長いこと。
人物像の掘り下げがないのは構わないからその分短くまとめて欲しかった。前半が長ったらしい。90分で充分だろう。

後半30分は素晴らしい。
100人を越すバンドがビシッとラインを作る統一感と派手で圧倒的なパフォーマンスは多分生で見たら誰でも感動するはず。
それと小編成で敵同士向き合いながら演奏する「ドラムライン」という競技(?)は格闘技のような緊張感を伴いまた違った意味で感動する。打楽器が如何に人の魂を揺さぶるか?また黒人のリズム感が如何に凄いかを実感できるだろう。
ここのシーンはもうちょっと増やして欲しかった。

日本のプロ野球もしょぼいチアガールなんか使ってないでこういうのやればいいのに。

69点。
ビデオで観る時はヘッドホンして大音量で観てください。
あと時間がない場合は後半1時間だけでも充分楽しめます(笑)。
10点

映画を観る前から分かってる点数の映画だったが観たらやっぱ10点だった(T^T)
ロバート・ロドリゲス、「エル・マリアッチ」やそのリメイク版「デスペラード」、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」を作ったときの情熱はどうしたんだ!バカ映画と指を差されても「これが格好良いんだよ」と鼻で笑うしたたかさはもう無くなったのか?それとも盟友のタランティーノへの嫉妬か?
もしかして、「こんだけバンバン撃たしときゃーOKだろ」と見切ったか、我々を。(笑)
誰がバンデラスにお遊戯をさせろといった?
ウィレム・デフォーをあんな扱いするな。(ミッキー・ロークは可(笑))
サルマ・ハエック全然エロくないじゃねぇか。
ジョニデいらんだろーが。
名優総出演て、そんなことするからこんな中途半端な映画になっちまうのだ、バカもんが。

俺の観たいエル・マリアッチは三日くらい風呂に入らない汗臭い身体から溢れる体臭ムンムンなエル・マリアッチだ。男の俺でもそのフェロモンに吸い寄せられるようなそんなエル・マリアッチなんだよ。
こんな金城武主演みたいなスカっと爽やかな冒険活劇なんか腐るほどあるだろう。勝新だ、「座頭市」を観たいのだ。
ジョン・ウーのようなスタイリッシュアクションを見せたかったのか?だったらタイトルにきちんと書かんかいっ!これ見よがしに「セルジォ・レオーネ監督に捧ぐ」なんて格好つけやがって。

「スパイキッズ」なんて子供向けの映画ばっかり作ってるから頭が足らなくなったのか?
あーあ、もうトホホである。

ふざけてもいいけど、ふざけ方が間違ってます。
キャラクターを大事にしてよーーー(T^T)

想像通りの10点
80年代、日テレの金曜ロードショーがまだ「水曜ロードショー」だった頃、番組で水野晴郎がべた褒めしてた。曰く「ブルースリーの再来だ」と。
次の日から学校ではヌンチャクが無くなり、蛇拳や酔拳の型を真似だした。70年前後に生まれた男子はみんなそうだった。

中国伝統芸能「京劇」出身、「ファイティング・マスター」で映画デビュー後「燃えよドラゴン」にも出演、「ドランク・モンキー」で頭角を現しその後「スパルタンX」「クレージーモンキー」「ポリスストーリー」などアクション映画に次々と出演。また出演だけでなくプロデューサーとしても精力的に活動を続ける。「レッド・ブロンクス」で念願のハリウッド進出を果たした(実際は「キャノンボール」で出演したけどね)香港を代表する国際アクションスター、成龍。またの名をジャッキー・チェン。
彼の出演作は数あれど、一本を選ぶとなると悩みに悩んだ上でこれを勧めたい。
「プロジェクトA」
ジャッキー映画10周年の記念作品を自ら制作監督主演するのもどーかと思うのだが(笑)、その分アクションには気合いが入っている。時計塔からの落下シーンはカットを変えて都合3回撮っている(!)。ワンアクションマルチ撮りというヤワなことはしないのだ。この撮影で首の骨を折り死にかけたのは有名な話である。
また、共演にサモ・ハン・キンポー&ユン・ピョウという当時最高の香港アクションスターそろい踏みってのも豪華だ。海軍兵士のジャッキー、陸軍将校のユン・ピョウ、こそ泥のサモ・ハンがそれぞれの立場で三つ巴で転がりながら進むストーリーも秀逸だ。
なにより素晴らしいのは音楽、ウッチャンがジャッキーをパロるとき必ずといっていいほど叫び歌うことでも有名な主題歌はとにかく耳に残る名曲である。

ひとつ、東宝東和(東和ビデオか?)に注文がある。
DVD版「プロジェクトA」にはその主題歌が収録されていない。また、日本語吹き替えもできない。テレビでジャッキーを知り、ジャッキー=石丸博也で耳慣れてる我々日本人の為にも是非吹き替え版を販売してもらいたい。

87点
この映画、一言で言うなら荒川良々主演のエログロ屈折純愛物語である。
荒川良々と聞いてピンとこない一般人には「ピンポン」のサエないキャプテン役や「下妻物語」の八百屋若旦那、「ロボコン」のロボット部の部長役の頭の足らない役を地でいく若手俳優と言えばわかるだろう。え?わからないって?テレビばっか観てるからです。(笑)
ヒロインは新井亜樹、この子も世間一般で言うと「中の下」レベルのオンナ。決して映画でヒロインを張れる容姿を持ってはいない。
そんな男女で恋愛ドラマを作ってしまうあたり。監督の井口昇は真性のキチガイであろう。いや、主役の抜擢だけでなく、その変態性は彼の撮るカット全てににじみ出ている。特にヒロイン新井亜樹に対する偏執的な愛情は決して美人ではない彼女の無意味なアップ長回しや正座でしびれた足をずーーーっと映してるカットあたりで特に良くわかる。実際に主役の新井亜樹は映画の途中からすごいキレイに映るようになってくるのだけど、これは監督の愛情所以だと思う。もっとも新井亜樹本人はそれをありがた迷惑と感じてる可能性、大だけど。(^_^;
監督はこの新井亜樹で5回はヌイてるとみた。
 
漫画家の同級生を演じるのは乾貴美子。このオンナ、映画で唯一マトモな人間だと思って見てたのだけど、あんな演技ができるのですな。びびった。一番恐かった(^_^;
その他登場人物も劇団大人計画の怪優勢揃いでとても楽しい。
大人計画俳優陣はここでチェックだ。
http://www9.big.or.jp/~otona/page007.html

ストーリーもねじ曲がっている。
漫画家で自閉症気味の主人公にはトラウマがある。それは小学生のとき大好きだった従姉妹のお姉さんのセックスを見たことだ。いや、セックスといってもちんちんとまんまんの結合ではなく、彼氏が従姉妹の目の玉を引っ張り出して愛撫してるところなんだけど。(^_^; とにかく彼にとってセックスは「目ん玉びろーーーん」であるのだ。
そんな漫画家のもとに新人編集者がつく。このオンナも潔癖性で対人恐怖症というおおよそ編集の仕事に向かない人間で、漫画家の一語一句にビクビクする始末。そのくせ彼氏はちゃんと居るのだけど、この彼氏ってのがまたイヤラシイ毛むくじゃらのおっさん(松尾スズキ)で当然セックスは無し。
虐められたトラウマを持つ者がなんかの拍子に虐める側にまわることはよくある話で漫画家はそのおどおどした編集を虐めることでうっぷんを晴らしてたのだが、ある時彼女の顔を傷つけてしまう。その事件がきっかけで漫画家と編集は職を失ってしまうのだ。「彼女に謝らなきゃ」漫画家は彼女のアパートに向かう。果たして彼女は居るのだが、彼女の傷跡には.....

はっきりいって出演者の演技は舞台向けのちょっとオーバーアクションで決して映画向きではない。ビデオ撮影(一部ハンディ使ってると推測)なので画面が汚い。くわえて特殊メイクも金がかけられないからちゃちぃ。レーベルが自主作品を主に扱うイメージリンクスという会社なので、致し方なのないことであろう。
しかし、そういう制作サイド負の要素を凌駕する内容の負と言いましょうか、グロさが際立っているのであんまり気にしなくていいかもしれない(笑)。

後半、彼女との待ち合わせに向かうシーンでは「ゾンビ」をフューチャーしながらも純愛なので最後はハッピーエンドである。
しかし、色々なハッピーエンドがあるものだ。俺はこのシーンでブッたまげたが、こういう世界観が存在し、こんな映画が商業ベースにのってTSUTAYAに列ぶことからもそんなに特殊じゃないのかもしれない。「セカチュー」を観たやつ全員に魅せて「イヤーーきしょーーーい!」と泣き叫ぶ姿を見てほくそ笑みたいものである。

80点。
「切り裂きジャック」と「ジョニー・デップ」と「ヘザー・グレアム」という売れるファクターが揃っているのに全然しょぼいゴシックホラー。
いや、ジョニデらしいっちゃーらしいのよ。基本的に仕事の選び方が間違ってるあたりハリウッドトップ俳優とは明らかに違うのはどちらかというと好感が持てる。

1888年イギリス、数年前に妻と子供を失ったアバーライン警部は予知夢が見えるという特殊能力が備わっていた。そんな彼に女性が殺されるという夢が見えた。次の日娼婦の惨殺死体が発見された。事件担当のアバーライン警部は捜査にあたるが思わぬ妨害に遭い真相には迫れない。そうしてるうちに第2第3の殺人事件が起こってしまう。浮かび上がるある組織の存在。
犯人は誰だ?ある組織の正体とは?.....全ては一流階級の紳士と娼婦の恋愛から始まったのだった。

と、あらすじを書いてるとすげー面白そうだ(笑)。
それと、美術やちょこちょこ出てくる小ネタは19世紀のイギリスの雰囲気が出てて良い。こういった世界観が好きな人はそれだけで楽しめるだろう。
問題は3つ。

1・かりにも刑事を名乗る人間がアヘンはマズいだろう。幻覚(予知夢)を見せるために必要なこととするのなら、その予知能力が事件解決にいっこも役立ってないことや、恋愛の要素を詰め込まんとするあまり展開が早急になりすぎて感情移入ができないことなどの決定的な脚本ミスが多く見られる。

2・翻訳を意図的にどぎつくして無理矢理R15を取り、映画にハクをつけるというバカげた配給会社の策略

3・ヘザー・グレアムのエロシーンがなかったこと。

特に3については納得いかん。娼婦役でR15なら無くてはならんカットだ!!
なにやっとんじゃー>ヒューズ兄弟

40点だな
ニュースを見て嫌〜〜〜な気分になる。
チェチェン独立派の人質事件である。
報道では犯人側が自爆か誤作動かは不明だが、体育館内で爆弾を爆発させ人質がパニックになったのを見てロシアの部隊が突入したそうである。100人以上の死者らしい。一昨年のモスクワ劇場の占拠事件では人質800人のうち200人足らずを死亡させるという大失態を演じたにもかかわらずこの結果か....(__;)

どうしてチェチェンの人々はこういう無謀なことをするのか?
まずはこちらを見ていただきたい。
http://chechennews.org/

チェチェンにはチェチェンの理由がある。
もっともロシアにもロシアの理由があるのだけど。

一番の理由は石油利権だろう。それに宗教がからむので問題がややこしくなる。
経済が東西冷戦を終結させたのだけど、南北の対決を生んだ。旧ソ連地域に眠る莫大な天然資源、これにもアメリカがオイルメジャーというお面を被って介入している。

結局アレですか?
持ってる者とそれを欲しがる大国同士の決め事ってやつですか。
金の為なら人殺しも有りなんですね。まぁ民族も宗教も違うから良心の呵責もないのでしょうな。ロシアのパイプライン確保の為に同胞アメリカも頑張ってくれてるし、人質の100人や200人しょうがないってか。

目には目をのイスラム原理主義者にとって如何に無駄で無謀な戦略かってわかってるはずなのに..

結局死ぬのは弱い者なのねぇ。
と、なにも出来ない俺なんかは苦い酒を飲むしかないのだけど。

とりあえずチェチェンについて知りたい人、この本はお薦めです。
MU−6
MT−4
MT−6 OR MU−6
MU−6
MU−7
MT-10 AND U-8
MU-8
MU-6
MU-6

回答無し 若干名

一部リンク先で話題となってる「乙女値」の自己分析結果である(笑)。
女性の方からのお返事ばっかりだったので一概にはいえないが、とりあえず女性は自身が「受動的」であると分析してる人が多いということは言えるだろう。
また、Uが多いことから「ハグもキスも好きだけど、やっぱチンコ大事」派が多数を占めていることもこの統計でわかる(笑)。
ついでに言うと、5が標準値と言ってるにもかかわらず5以上の数値をつけている人が多いのだが、これは「ワタシは多分世間一般の女性よりスケベだと思う」と考えてる人が多いといえる。その中で6が多数を占めるがこの心理は「世間一般の女性よりスケベだとは思うけど、そんな変態ではないのよ。ちょっとエッチって程度なんだから」という自己防衛の心理を読みとることができる(笑)。

さて、釣られてみたものの、回答してくれない方々なのだが、相手に答えを委ねる段階で既にMなのは判断できる。TかUかの差だが、相手に委ねるセックスをする方つまり男性主導のセックスはまず挿入を伴うはずだ。そのセックスに満足してるなら疑いなくUと判断してるところを躊躇してしまうのは深層心理の中にTに対する願望があると考えられるので潜在的Tの可能性が高い。
問題は数字である。
顔もわからないリンク先の人間とはいえ自分の性癖を伝えるのは抵抗がある、と理性的に考えられる人なら数字は2〜4かもしれないし、引かれると困るくらいのネタだから書けないと思ってるのなら8〜10かもしれない。このあたりはわからないので変数Xで表すと

MT-Xとなる。

以上、証明おわり(笑)。

ご協力ありがとうございました。

ちなみにおれは

SU-2くらいだ(笑)

※さゆきさま
ブックマークありがとうございます。
相互いただきました。
宜しくお願いします
昨日の値だが、数人の方から「わかりにくい」というご意見を頂いた。
いや、俺もテキトーに書いてるのでそんな真剣になられても困るのだけど(笑)、まぁ注目していただいてるというのは有り難いのでもう少しキチンと定義したいと思う。
ついでにこの値に名前を付けてみた。
「乙女値」(笑)
うるぐすの「ホリウ値」みたいなもんだ。

さて、昨日の日記も参考にしてもらいたい。
TとUをソフトとハードに分類したが、これを廃止したいと思う。ハード&ソフトはあくまで数字で反映させることとする。TとUの差は挿入の重要性の差としたい。
数字は偏差値化して5を標準値とし、1〜10の間で変動する。
以上。

具体的に書いてみよう。
「ワタシ、彼氏ずぅ〜っとだっこしてたい。キスもチョー気持ちいい。でもセックスは正常位で、イクってよくわからないけど、ワタシで気持ちよくなってくれたら嬉しいな。」
という人は MT-2 くらいか。

「目隠しされるのが感じる。バイブも使ったことあるけれど本物が一番ね。彼氏の感じてる顔みてるをワタシも濡れてきちゃう」
ってのは ST-6 だな。

「3P大好き!できればもっとたくさんの人に犯されたい」
は MU-10 だろう。

「男なんか必要ない、バイブで充分です」
は SU-1 になるかもしれない。

問題は、「攻めるのも攻められるのも好き。どっちも気持ちよい」
って場合だが、よく考えてみてもらうときっとどっちかがより好きか解ってくると思うのでじっくり考えて答えを出してもらいたい。
これは最終的な性癖ではなく、相手によっても変わっていくものであるから現時点での正直な思いを数値にしてもらえれば幸いだ。
って幸いなのか?(笑)

それでもやっぱりどっちも好き!っていっしゃる御仁には
Ω(オメガ)を使う

「セックスならどんなのでも好き!激しいのお願いね」
ってーのは Ω-10 って具合だ。(笑)

これでどうだろう?
先日、「どんなエッチをするんですか?」と質問を受けた。
「よーし、今から実践してあげよう」
という返しをするほどテクややり方に自信もないのでテキトーに答えてたが、あらためて考えてみると、この質問の答えは単純にはいかないことに気付く。

毎回同じセックスをしてるヤツなんかいないだろう。相手がかわれば役割も変わるし、たとえ相手が同じでもその日の気分や調子によって(笑)順番がかわったりするものだ。
くわえてそれを他人に説明するもどかしさや恥ずかしさも手伝ってなかなか伝えきれないのが現状ではないだろうか。
そこでおれは考えた。自分はどんなエッチを得意とするのか?を相手に的確に伝える術をだ。
あ、そうそう
「そんなこと聞いてくるやつなんか普通いません」
という当たり前の疑問は無視するのでそのつもりで。

まずベタではあるが、性癖をSとMに分類する。ここでいうところのSMは小難しいSMの世界は関係なくとりあえず「攻める側」か「受け身」かに分ける。
「口でしてあげるのが好き!」ってひとはS、「してもらうのが好き」はMという具合にだ。
次にTとUに分類する。これはトップとアンダーの略である。肉体的な意味ももちろんあるが、「キスやハグやおさわり」といったソフトをT、ちんちんとまんまんのドッキングを含めたハードをUとしたい。
それに強度を数値化してくわえる。
例えば
MT-1
と記すればそれは「チューしてもらうのが好き」ってことになる。
SU-5
になると「がっつんがっつんエッチするのが好きだ!」ってワケだ。
数値は主観的であるし、細かい部位に関しては不備があるけどおおそよの性癖はわかるのではないだろうか。

さて、みなさんは?
一時期社会現象になった「エヴァンゲリオン」の劇場用2作目。
1作目でとりあえずテレビシリーズの落とし前をつけたつもりがつけきれず(笑)(テレビ版を含めると)三たび制作された完結編である。
社会現象となっただけあって巷には「エヴァ本」と呼ばれる解説本が腐るほどあるので今さら俺が書いたところで誰かの二番煎じにしかならないのはわかっている。
じゃー書くなよ、とおっしゃるな。先日からの子供との約束「ビデオを借りない」令が発動中なので見たいの観れないのよ。
ということで深夜枠で観たこいつをレビュー。

庵野監督といえば古くは「ふしぎの海のナディア」「トップをねらえ」等、オタクな方々に神様と崇められた御仁である。
そんな人が己を批判するような反オタクアニメ....というか反社会的引きこもりアニメをテレビを含めて三作も作るとはたいしたものだ。
実力あるアニメーターが自分の好き勝手なアニメを作ってそれを観客に見せる、まぁ大概の作品はそんなものだが、己を否定するのは珍しい。しかもみせられた側は置いてけぼりになるのを見越して言い切るのも凄いと思う。

元々、他人とうまくコミュニケーションがとれない男の子を軸に人と人との関係性を多くの登場人物を通して描きながらも人類のあり方をも旧約聖書をモチーフに訴える、という物語であるので、落としどころはこんな感じになるのはわからないでもない。ないけれども、前半の主人公碇シンジ君が他人に傷つけられることがイヤで「そんななら人のカタチなんか無くなってしまえばいい」と望むシーンのリアル感と後半の「傷つくかもしんないけどやっぱ自分は自分だよ」と気付くシーンの陳腐さが気になってしょーがなかった。
んで最後のアスカの首を絞めて泣き崩れるシーン、「気持ち悪い」って言わせて終演て....(^_^;
監督はシンジ君にどうして欲しかったのか?これを観た観客になにを訴えたかったのか?「人は傷つきながらでも生きていかねばならないよ。オトナにならねばいけないよ」ということを言いたいんじゃないのか?
もしかしてそういうことを監督自身も信じてないのか?
「オトナになれよ」とほざくお前がコドモかよ!と言いたい。

映像表現は素晴らしい。漢字を多用した美術設定は昔からあるけど、それをアートまで高めたのは評価できる。各種デザインアートにも少なからず影響を与えたのは事実なんだし。
で、この作品の問題点はここにあるように思うのだ。

設定と美術の秀逸さでオタクだけでなく一般人まで巻き込んだ「エヴァ現象」、それは小難しい旧約聖書の解釈なり、近未来の日本の描写であったり、監督の(既存の)カッティング技術だったり、単純に「格好良い」とか「知性がありそう」という単なるイメージだったのだ。
しかし、それが金になると飛びついたバンダイ、角川等のプロバーは更なる付加価値を作品に求めた。ネットや解説本で必要以上に肉付けされ、それにがんじがらめになってしまった監督。大風呂敷を広げるだけ広げてしまった以上、もはや映画化を断るだけの力や強い意志がなかった、というのが真相なのかもしれない。
だとしてもウンコのような映画をみせられるものの身にはならんといかんだろう、クリエーターとしては。(^_^;

そう考えると可哀想な映画だ。

29点
当時のアポロプランに係わった人が1995年製のこの作品を観たときこういったそうだ。
「よくもまぁこんな映像が残っていたな」と。

アポロの発射シーンのことである。
発射するアポロをなめるように上から撮影することなんか実際は無理なのでもちろんこれはCGなんだけど、液体窒素で凍ったアポロの表面がバラバラと剥がれるシーンや、何トンという物質が重力に逆らって天に昇るカットの重量感とかは本物以上に本物ぽかった。10年近く前のCG技術なので色の置き方に多少違和感が残るが、6〜70年代アメリカのパステルトーンのイメージと相まって全体的に浮きすぎとまではいってないのが救い。なにより実際のアポロスタッフをも騙せた映像はやっぱり素晴らしいというべきだろう。

主人公のアポロ13のキャプテンににトム・ハンクス、NASAの管制塔リーダーにエド・ハリス、急きょ搭乗が決まった操縦士にケヴィン・ベーコン、という俺の好きな俳優さんそろい踏み、ということだけで文句のつけようがないのだけど、一番良かったのはゲイリー・シニーズ@ダン中尉であろう。風疹の為飛べなかったパイロット、彼が仲間を助けるために寝る間も惜しんでシミュレーターと格闘する姿はかっちょよかった。ただひとつ、トム・ハンクスとは「フォレスト・ガンプ」以来の絡みとなるのだが、どーしてもそのイメージが強くて違和感があったのが悔やまれる。ちなみにその違和感は「グリーンマイル」へ続くのだが。

メジャーアクターと大金を使って作った「プロジェクトX」であるので、ドラマチックな抑揚はない。そのせいか、あれだけの大作であるにもかかわらず映画的な評判はあまり高くない。
でもヒューストンのスタッフが知恵を出し合い問題に当たるシークエンスや当時の時代考証とその再現、前述したリアルを追求してはいるけど大げさでないCGの使い方等、アメリカ映画のいい部分が全面に出た佳作だと思う。

ファミコンなみのコンピューターと精度の低いオメガスピードマスターを使ってマニュアルで大気圏突入するなんざ人間業ではございません。すげぇよ、ラヴェルキャプテン!!

88点
そー言えば最近詠ってない。
「三十文字的通信性」とかタイトルを付けてるクセにちょっとサボってる。
毎日短歌や俳句を詠むという行為は題材が必要なので、風景を観察する目が養われる。五七五あるいは五七五七七という枠で全てを表現せねばならんのと数多ある季語を知ることで国語力をつけることができる。
国語偏差値40台の俺にはうってつけの勉強方法でなのだが、いかんなぁ...真面目にやんないと。

小学校の担任が俳句が好きで生徒につくらせていた。季語も字数もいい加減だ。ただ「感じたことを言葉にしてみろ」「人真似はするな」それだけ。
書いた散文の中で必要な言葉を選び他を捨て、その言葉を膨らませる作業を経て五七五のリズムに乗せる。個人が感じたことを歌にするのだから優劣はない。
そう教えられた。
中学のとき小林一茶にちなんだ全国俳句大会で「仁」賞(佳作程度か)をもらったのだが、この句がテキトーに考えて思い入れもなんにもない句だったので、所詮俳句といっても50音の言葉遊びか、と急に熱が冷めた。国語嫌いってのもあったし(笑)。
短歌に出会ったのは社会人になってから。
誰の歌か忘れたが
「あの角で 金木犀が咲くことも 知らないでいた サヨナラというまで」
という歌に衝撃を受けたからだ。
当時、フラれたばっかだったので余計心に染みたのだろう(笑)

言葉自体に力はない。
でも、魂をこめる器にはなる。
一字一句を大切に綴れば珠玉の歌になるはずなのだ。
俺もそんなのを目指したいもんである。

日に焼けた 鎖骨に残す 赤い痕
 蛍に煽られ 甘ゆく香る

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