ボールパークでゴー というもの
2004年6月10日 スポーツ
勝った。
初回、井川の立ち上がりをとらえた3点を守りきりなんとか辛勝。高橋健も良いのか悪いのか、ヒットはポコポコ打たれるものの、無四球で3勝目。ホッとした。
郷土の誇り浅井の好プレーも見れたし、大竹&佐々岡も見れたし、カープファンとしては高い金と時間をかけて球場に足を運んだ甲斐があったというものである。
我が郷土は正力オーナーの生まれ故郷ということから読売ファンが異常に多い。下手したらパリーグのペナントレースよりイースタンリーグの巨人戦のほうが入りがよかったりする。で、その次にうざったいくらい多いのが阪神ファンである。
確かにカープよりはメジャーだろうが、球場の8割を覆う縦縞には参った。一球一投に騒ぎやがって(__;)..
百歩譲って阪神側アルペン、外野席、バックネットで騒いでるのなら許す。広島の内野席しかもベンチ後ろでカープ選手にヤジを飛ばすってのはどーよ?一応広島のホームゲームになってるんだから敬意を表してもらいたいもんである。
あと、六甲おろしは日本人全員歌えると思ってるんじゃなかろーか?という自信満々な大合唱も腹立つ(笑)。
まぁ12安打で2点しかとれなかったところが今年のTの不調を物語っていたというところだろう。4月の段階なら首位決戦だったのが、最下位争いのゲームになろうとはCファンもTファンも思ってなかったがな。(^_^;
とにかく美味しい酒が飲めてよかった。
初回、井川の立ち上がりをとらえた3点を守りきりなんとか辛勝。高橋健も良いのか悪いのか、ヒットはポコポコ打たれるものの、無四球で3勝目。ホッとした。
郷土の誇り浅井の好プレーも見れたし、大竹&佐々岡も見れたし、カープファンとしては高い金と時間をかけて球場に足を運んだ甲斐があったというものである。
我が郷土は正力オーナーの生まれ故郷ということから読売ファンが異常に多い。下手したらパリーグのペナントレースよりイースタンリーグの巨人戦のほうが入りがよかったりする。で、その次にうざったいくらい多いのが阪神ファンである。
確かにカープよりはメジャーだろうが、球場の8割を覆う縦縞には参った。一球一投に騒ぎやがって(__;)..
百歩譲って阪神側アルペン、外野席、バックネットで騒いでるのなら許す。広島の内野席しかもベンチ後ろでカープ選手にヤジを飛ばすってのはどーよ?一応広島のホームゲームになってるんだから敬意を表してもらいたいもんである。
あと、六甲おろしは日本人全員歌えると思ってるんじゃなかろーか?という自信満々な大合唱も腹立つ(笑)。
まぁ12安打で2点しかとれなかったところが今年のTの不調を物語っていたというところだろう。4月の段階なら首位決戦だったのが、最下位争いのゲームになろうとはCファンもTファンも思ってなかったがな。(^_^;
とにかく美味しい酒が飲めてよかった。
一昨日の血液型の件、相互の方からご指摘があったが、その通りでした(笑)
B-B A-A A-BでもOは生まれます(笑)
シツレイしました。訂正しておきますね(^◇^;)
********
昭和63年冬、昭和天皇の容態が悪く、日本国内いたるところで快気祈願の御記帳が行われていたときのことである。
当時横浜の大学生だった俺は同郷の友人M(八王子在住)と新宿で飲んでた。午後10時をまわろうか?というときにMが突然切り出した
「おいハマ、記帳にいこう」
日本国民たるもの、陛下の御快気を願うのは当然の努め。幸いにもここは東京、皇居も近いから陛下のお側でお祈りをしようではないか!
と右翼なみに盛り上がり二人して皇居に向かうことになったのだが、北陸から出てきた田舎者は皇居を知らない。タクシーをとばすほどの金ももちろんない。
「どうしたもんかね?」
としばらく考えて、半蔵門線にのることにする。何故か?「半蔵門」ってのが皇居っぽかったからだ(笑)。
田舎もんが必ず持ってるシステム手帳の路線図をたよりに半蔵門線の半蔵門駅に向かう。到着したのは11時を少しまわった頃だった。ホームを出ると確かに皇居はあったが、妙に静まりかえってる。「あぁ、ここは裏門なんだろう、正面に向かってみよう」と皇居正門を目指し歩くことにした。
さて、天皇崩御が近いそんな折り夜中に、野郎二人が、皇居のまわりをうろついたら、それは思い切り不審者と思われても仕方がない。100メートルごとに立つ警官がいぶかしげに見る。そのたびに「記帳しにきたんだけどどこでやってるんだろうねぇ」と聞こえよがしに声を出しながら堀のまわりを歩いた。今にして思えば、そのとき記帳時間が終了してることを一言いってくれればこんな目に遭わずに済んだのだが、当時は全国から警官が招集されてたと言うからもしかして俺らみたいな田舎もんが警備にあたっててその事実を知らなかったのかもしれない。
しばらく歩いてると堀の中に白く動く物体を発見する。堀の中に入ってまで警備する人がいるのか、ご苦労なことだ、と思ったが、よく考えてみると堀の周りにこれだけの人間がいて堀の中を警備する必要はないということに気付く。それに警備なら照明をつけてるはずだ....
一瞬背筋が寒くなる。「過激派かもしれない」
大至急近くにいる警官を掴まえる。
「すんませんあそこに人影があるんですけど」
警官は持っている懐中電灯で照らすが距離がありすぎて光が届かない。大きく声をかけるとスッと木陰に隠れるではないか。
慌てた警官は無線で応援を要請した。ただならぬ雰囲気に興奮する俺ら。近くの警官が集まってくる。
「投光器!投光器!!」叫ぶ警官。皇居側にも人が集まっているのだろう明るい光が揺れている。
すわっ!こりゃ大事件だ!!
と胸を躍らせて見守る。大型の投光器が到着し、過激派の隠れた木陰を照らしたそのとき!
パタパタパタパタパタパタパタ......
その過激派は大空にはばたった。
鳥? そう、鳥(笑)
.........一瞬の出来事に固まる警官と俺ら。
まだ騒がしく叫んでる無線からの声だけ聞こえる.....
怒られはしなかったものの、俺らは事情聴取をうけることになる。そのときはじめて記帳は午後8時で終了するとのことを聞いた。
俺が声をかけた警官は多分始末書ものだったろう。悪いことをしたものだ。
ようやく解放されたのが0時を少しまわった頃。
とぼとぼと帰路につく2人だったが、夜はまだ終わらなかった。
つづく
B-B A-A A-BでもOは生まれます(笑)
シツレイしました。訂正しておきますね(^◇^;)
********
昭和63年冬、昭和天皇の容態が悪く、日本国内いたるところで快気祈願の御記帳が行われていたときのことである。
当時横浜の大学生だった俺は同郷の友人M(八王子在住)と新宿で飲んでた。午後10時をまわろうか?というときにMが突然切り出した
「おいハマ、記帳にいこう」
日本国民たるもの、陛下の御快気を願うのは当然の努め。幸いにもここは東京、皇居も近いから陛下のお側でお祈りをしようではないか!
と右翼なみに盛り上がり二人して皇居に向かうことになったのだが、北陸から出てきた田舎者は皇居を知らない。タクシーをとばすほどの金ももちろんない。
「どうしたもんかね?」
としばらく考えて、半蔵門線にのることにする。何故か?「半蔵門」ってのが皇居っぽかったからだ(笑)。
田舎もんが必ず持ってるシステム手帳の路線図をたよりに半蔵門線の半蔵門駅に向かう。到着したのは11時を少しまわった頃だった。ホームを出ると確かに皇居はあったが、妙に静まりかえってる。「あぁ、ここは裏門なんだろう、正面に向かってみよう」と皇居正門を目指し歩くことにした。
さて、天皇崩御が近いそんな折り夜中に、野郎二人が、皇居のまわりをうろついたら、それは思い切り不審者と思われても仕方がない。100メートルごとに立つ警官がいぶかしげに見る。そのたびに「記帳しにきたんだけどどこでやってるんだろうねぇ」と聞こえよがしに声を出しながら堀のまわりを歩いた。今にして思えば、そのとき記帳時間が終了してることを一言いってくれればこんな目に遭わずに済んだのだが、当時は全国から警官が招集されてたと言うからもしかして俺らみたいな田舎もんが警備にあたっててその事実を知らなかったのかもしれない。
しばらく歩いてると堀の中に白く動く物体を発見する。堀の中に入ってまで警備する人がいるのか、ご苦労なことだ、と思ったが、よく考えてみると堀の周りにこれだけの人間がいて堀の中を警備する必要はないということに気付く。それに警備なら照明をつけてるはずだ....
一瞬背筋が寒くなる。「過激派かもしれない」
大至急近くにいる警官を掴まえる。
「すんませんあそこに人影があるんですけど」
警官は持っている懐中電灯で照らすが距離がありすぎて光が届かない。大きく声をかけるとスッと木陰に隠れるではないか。
慌てた警官は無線で応援を要請した。ただならぬ雰囲気に興奮する俺ら。近くの警官が集まってくる。
「投光器!投光器!!」叫ぶ警官。皇居側にも人が集まっているのだろう明るい光が揺れている。
すわっ!こりゃ大事件だ!!
と胸を躍らせて見守る。大型の投光器が到着し、過激派の隠れた木陰を照らしたそのとき!
パタパタパタパタパタパタパタ......
その過激派は大空にはばたった。
鳥? そう、鳥(笑)
.........一瞬の出来事に固まる警官と俺ら。
まだ騒がしく叫んでる無線からの声だけ聞こえる.....
怒られはしなかったものの、俺らは事情聴取をうけることになる。そのときはじめて記帳は午後8時で終了するとのことを聞いた。
俺が声をかけた警官は多分始末書ものだったろう。悪いことをしたものだ。
ようやく解放されたのが0時を少しまわった頃。
とぼとぼと帰路につく2人だったが、夜はまだ終わらなかった。
つづく
4万ヒットです。
恥知らずなオナニー日記にもかかわらずお越しいただきありがとうございます。
相変わらず14歳の裸で検索に引っかかっておりますが、そのような記述なひとつもございませんので、その趣味の方はとっとと「戻る」ボタンを押してご退出くださいますようよろしくお願い申し上げます。
さて、三菱自動車が大変だ。
相次ぐリコール隠し発覚で新車販売台数が前年同月比50%ダウンだという。
三菱ディーラーの友人もさすがに応えてるようだ。
田舎のディーラーなので都心部より縁故販売が見込めるというものの、コンシューマ向けの小型車なんかは軒並みがた落ちなんだそうだ。中には電話で中傷する連中もいるらしい。
可哀想に
と思う。リコール隠しをしたのは「三菱自動車」で全国にあるギャラン店やカープラザ店といったいわゆる「三菱自動車販売」店ではない。彼らも三菱から車を買って商売してるのだ。現場の不具合要請を無視され、顧客に文句を言われてるのだからある意味一番の被害者であろう。
20年前の「ターボオールラインナップ」作戦で失敗したミツビシは、同族の造船や重機関係から優秀な人材を集め奇跡的な復活を果たす。
バブルの勢いも手伝ったが「ディアマンテ」「パジェロ」「ギャラン」のヒット、ラリーでのランエボの活躍、往年の「GTO」「FTO」の復活等、90年代はミツビシの時代だった(ときもあった)。
それが、ターボで懲りてなかったのかGDIオールラインナップでケチがつき、「今さら」感溢れる大型SUVの投入、そして今回のリコール隠しだ。自動車上層部の派閥間抗争が今回の事態を生じさせたとも漏れ聞こえる。官僚体質とは言われているのでまんざら眉唾とも思えないことが恐ろしい。
はじめて乗ったのはミラージュだった。
ミツビシ初の横置きFFにスーパーシフトという副変速機がついた車、結構走ってたよなぁ。それからリベロにも乗った。小ぶりなワゴンで使い勝手は大変よかった。両車ともエンジンはモサモサして回らなかったがとても頑丈だったと記憶している。
世界最小V6エンジンを競って造ったり
自社の重役専用車をラインナップに揃えたり
単なるハコセダンをカリカリのラリーカーに仕立てたり
実は日本最初の量産自動車メーカーだったり。
買う買わないは別にして(笑)そんなカーメーカーは嫌いじゃない。
もう一度「すげーーー」という車を造ってもらいたい。それが、メーカーとしての責任ある答えだと思う。
恥知らずなオナニー日記にもかかわらずお越しいただきありがとうございます。
相変わらず14歳の裸で検索に引っかかっておりますが、そのような記述なひとつもございませんので、その趣味の方はとっとと「戻る」ボタンを押してご退出くださいますようよろしくお願い申し上げます。
さて、三菱自動車が大変だ。
相次ぐリコール隠し発覚で新車販売台数が前年同月比50%ダウンだという。
三菱ディーラーの友人もさすがに応えてるようだ。
田舎のディーラーなので都心部より縁故販売が見込めるというものの、コンシューマ向けの小型車なんかは軒並みがた落ちなんだそうだ。中には電話で中傷する連中もいるらしい。
可哀想に
と思う。リコール隠しをしたのは「三菱自動車」で全国にあるギャラン店やカープラザ店といったいわゆる「三菱自動車販売」店ではない。彼らも三菱から車を買って商売してるのだ。現場の不具合要請を無視され、顧客に文句を言われてるのだからある意味一番の被害者であろう。
20年前の「ターボオールラインナップ」作戦で失敗したミツビシは、同族の造船や重機関係から優秀な人材を集め奇跡的な復活を果たす。
バブルの勢いも手伝ったが「ディアマンテ」「パジェロ」「ギャラン」のヒット、ラリーでのランエボの活躍、往年の「GTO」「FTO」の復活等、90年代はミツビシの時代だった(ときもあった)。
それが、ターボで懲りてなかったのかGDIオールラインナップでケチがつき、「今さら」感溢れる大型SUVの投入、そして今回のリコール隠しだ。自動車上層部の派閥間抗争が今回の事態を生じさせたとも漏れ聞こえる。官僚体質とは言われているのでまんざら眉唾とも思えないことが恐ろしい。
はじめて乗ったのはミラージュだった。
ミツビシ初の横置きFFにスーパーシフトという副変速機がついた車、結構走ってたよなぁ。それからリベロにも乗った。小ぶりなワゴンで使い勝手は大変よかった。両車ともエンジンはモサモサして回らなかったがとても頑丈だったと記憶している。
世界最小V6エンジンを競って造ったり
自社の重役専用車をラインナップに揃えたり
単なるハコセダンをカリカリのラリーカーに仕立てたり
実は日本最初の量産自動車メーカーだったり。
買う買わないは別にして(笑)そんなカーメーカーは嫌いじゃない。
もう一度「すげーーー」という車を造ってもらいたい。それが、メーカーとしての責任ある答えだと思う。
血液型占いというもの
2004年6月6日 ちょっと考えてみた
昨日の「ホムクル」の血液型特集だが、「やはりそうか」と膝を打った次第である。
世の中の人間が4種類に分けられるワケがないという真っ当なご意見もわかるが、血による性格差は実体験とそて往々にしてあるのだからある程度は認めないといけないのだろう。
O型が免疫力が強いというのは意外だ。遺伝的には劣性のクセに。
考えてみれば俺の周りにいるO型(主に女性)は確かに打たれ強い。いや、強いというか「意に介さず」的なところがあるから嫌味とか通用しないところが多いのだ。かと思えば感動のツボが違ったりして突然泣き出したりするので一緒にいると疲れることが多い。
AB型が東大生に多いのはなんか納得できる。天才肌なんだろう。ナニ考えてるかわからんが一緒にいて疲れることはないといったところか。俺のオヤジがそうだ。(笑)
さて、テレビではA型とB型のカップル、O型とAB型のカップルの相性は良くないといってるが、うちは両親がO型とAB型、俺らがA型とB型の夫婦なんですけど?(^_^;
まぁ決してラブラブではないけど。(笑)
さて、テレビではつっこんで話してなかったが、各々には各々の血液型の特徴プラス遺伝的性質が加味されるのではないかと想像する。
ここからは素人考えなのでソースも根拠もないことをお断りしておく。
A型は A-A A-B A-O A-AB B-AB
B型は B-B A-B B-O A-AB B-AB
AB型は A-B A-AB B-AB AB-AB
O型は A-O B-O O-O B-B A-A A-B
の組み合わせで誕生する。
親の性格性質というのも継承されていくと考えると、同じA型の子供でもA同士の夫婦の子供とBとABの子供では明らかに違うはずである。
つまり大枠として「A型は真面目で几帳面」と言えるが、資質によって大きく左右されるということだ。O型とAB型の子供であるA型の俺は部屋は掃除後かたづけが大嫌いで飽き性だが、新学期にはノートや鉛筆は真っさらなのを揃えないと気が済まないタイプであった。
これからの血液型占いは、だから、親の血液型も含めて占うとより信憑性が増すのではないか?新しい占いをブレイクさせようと考えてる占い師や出版社各位は是非考えてもらいたい。なーに、アイデア料はサービスしておこう。
また、確率上もっとも早く淘汰されるはずのO型がこうもしぶとく生き長らえてるのは行動的な愛らしさに寄るところが大きい。「しょーがねぇなぁ」と言われながらも許してもらえる雰囲気がO型人間にはあるように思われるのだ。小動物が総じてかわいいのは強者に愛でてもらうことで、身を守る為であるのだが、O型にはそれとよく似た狡猾さを感じる。古い言葉で申し訳ないが「ぶりっこ」ってやつだ。
なんか書いてるうちにどんどんステレオタイプな大上段からの物言いになってしまったのでこのあたりでやめておこう(^_^;。
個人的にはB型オトコとは全然合わない。彼女になる人はB型の子が多い。
この二つから俺はB型に振り回されるタイプのA型なんである。
世の中の人間が4種類に分けられるワケがないという真っ当なご意見もわかるが、血による性格差は実体験とそて往々にしてあるのだからある程度は認めないといけないのだろう。
O型が免疫力が強いというのは意外だ。遺伝的には劣性のクセに。
考えてみれば俺の周りにいるO型(主に女性)は確かに打たれ強い。いや、強いというか「意に介さず」的なところがあるから嫌味とか通用しないところが多いのだ。かと思えば感動のツボが違ったりして突然泣き出したりするので一緒にいると疲れることが多い。
AB型が東大生に多いのはなんか納得できる。天才肌なんだろう。ナニ考えてるかわからんが一緒にいて疲れることはないといったところか。俺のオヤジがそうだ。(笑)
さて、テレビではA型とB型のカップル、O型とAB型のカップルの相性は良くないといってるが、うちは両親がO型とAB型、俺らがA型とB型の夫婦なんですけど?(^_^;
まぁ決してラブラブではないけど。(笑)
さて、テレビではつっこんで話してなかったが、各々には各々の血液型の特徴プラス遺伝的性質が加味されるのではないかと想像する。
ここからは素人考えなのでソースも根拠もないことをお断りしておく。
A型は A-A A-B A-O A-AB B-AB
B型は B-B A-B B-O A-AB B-AB
AB型は A-B A-AB B-AB AB-AB
O型は A-O B-O O-O B-B A-A A-B
の組み合わせで誕生する。
親の性格性質というのも継承されていくと考えると、同じA型の子供でもA同士の夫婦の子供とBとABの子供では明らかに違うはずである。
つまり大枠として「A型は真面目で几帳面」と言えるが、資質によって大きく左右されるということだ。O型とAB型の子供であるA型の俺は部屋は掃除後かたづけが大嫌いで飽き性だが、新学期にはノートや鉛筆は真っさらなのを揃えないと気が済まないタイプであった。
これからの血液型占いは、だから、親の血液型も含めて占うとより信憑性が増すのではないか?新しい占いをブレイクさせようと考えてる占い師や出版社各位は是非考えてもらいたい。なーに、アイデア料はサービスしておこう。
また、確率上もっとも早く淘汰されるはずのO型がこうもしぶとく生き長らえてるのは行動的な愛らしさに寄るところが大きい。「しょーがねぇなぁ」と言われながらも許してもらえる雰囲気がO型人間にはあるように思われるのだ。小動物が総じてかわいいのは強者に愛でてもらうことで、身を守る為であるのだが、O型にはそれとよく似た狡猾さを感じる。古い言葉で申し訳ないが「ぶりっこ」ってやつだ。
なんか書いてるうちにどんどんステレオタイプな大上段からの物言いになってしまったのでこのあたりでやめておこう(^_^;。
個人的にはB型オトコとは全然合わない。彼女になる人はB型の子が多い。
この二つから俺はB型に振り回されるタイプのA型なんである。
待て待て、ちょっと待ってくれ。
「近頃凶悪事件が多くて物騒だ」
なんてホントにそうか?
と思い、犯罪白書を見てみる。
http://www.moj.go.jp/HOUSO/2002/table.html#z01
ここのグラフを見てみると確かに犯罪は増えている。ついでに検挙率も低下していることから「日本の安全神話が崩れた」とか騒がれてるワケだが、これには大きなカラクリがある。犯罪の認知件数(警察が犯罪について、被害の届出等によりその発生を確認した件数)には器物破損などの微罪も含まれるのだが、以前は不認知とされていたものが、統計に計上されるようになったのだ。
つまり今まで在ったにも係わらず計算してなかった犯罪をカウントするようになった。また「痴漢」行為も迷惑防止条例違反から強制わいせつ罪したおかげで認知としてカウントされるようになった。
ついでに2000年前後の警察の不祥事の発覚からメンツの回復と矛先の転換の為にやっきになって逮捕者を出したのと、警察官を1万人増員したおかげで見逃されてた犯罪が摘発されるようになったのも大きな要因だ。
検挙率の低下は警察自身がこれまでの方針を転換したことによる。
詳しくはここ
http://www1.jca.apc.org/aml/200401/index.shtml
の37482をご参照いただきたい。
まぁこんなところが統計上の犯罪増加の要因である。
ちなみに殺人事件は年々減っているこいうことを付け加えておこう。
さて、それでは少年犯罪はどうだろう?
殺人を犯した少年犯は40年代までは200〜400人、現在は70〜100人だ。普通に減ってるのだな。横領は増えているが、これはチャリンコの乗り逃げがほぼ100%だそうだ。
「いや、これまでは昨今のような凶悪事件はなかった」
とおっしゃる方もいるかもしれない。
これを見て欲しい
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/jsyouwa.htm
昔っからいるのだ。こういうやつは。(^_^;
ちなみに、凶悪事件を起こした少年が再犯する可能性は過去の統計から4%強、ほとんどの少年少女は更生したと考えるのが正しい。実名報道される大人の再犯率はその10%弱、ほぼ倍である。これは社会的制裁が罪を償った後でも尾を引き、健全が社会生活が送れないが故とのことだ。
再犯や被害者の立場にたって実名報道や過度な罰則を与えるのが良しとする識者はこのあたりのことをわかっているのだろうか?
さて、それではなぜこれだけ少年犯罪が取り扱われているのだろう?
ここに簡潔にかかれているのでチェックね。
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000824a.html
テレビの見過ぎってことですな(笑)
治安対策として監視カメラ導入など「不信」に基づいた街づくりよりも「信頼」を醸成する街づくりこそ犯罪予防の基本というのが犯罪統計の専門家の意見らしい。
そうか、とりあえず社会との連帯感が大切なのね。
「近頃凶悪事件が多くて物騒だ」
なんてホントにそうか?
と思い、犯罪白書を見てみる。
http://www.moj.go.jp/HOUSO/2002/table.html#z01
ここのグラフを見てみると確かに犯罪は増えている。ついでに検挙率も低下していることから「日本の安全神話が崩れた」とか騒がれてるワケだが、これには大きなカラクリがある。犯罪の認知件数(警察が犯罪について、被害の届出等によりその発生を確認した件数)には器物破損などの微罪も含まれるのだが、以前は不認知とされていたものが、統計に計上されるようになったのだ。
つまり今まで在ったにも係わらず計算してなかった犯罪をカウントするようになった。また「痴漢」行為も迷惑防止条例違反から強制わいせつ罪したおかげで認知としてカウントされるようになった。
ついでに2000年前後の警察の不祥事の発覚からメンツの回復と矛先の転換の為にやっきになって逮捕者を出したのと、警察官を1万人増員したおかげで見逃されてた犯罪が摘発されるようになったのも大きな要因だ。
検挙率の低下は警察自身がこれまでの方針を転換したことによる。
詳しくはここ
http://www1.jca.apc.org/aml/200401/index.shtml
の37482をご参照いただきたい。
まぁこんなところが統計上の犯罪増加の要因である。
ちなみに殺人事件は年々減っているこいうことを付け加えておこう。
さて、それでは少年犯罪はどうだろう?
殺人を犯した少年犯は40年代までは200〜400人、現在は70〜100人だ。普通に減ってるのだな。横領は増えているが、これはチャリンコの乗り逃げがほぼ100%だそうだ。
「いや、これまでは昨今のような凶悪事件はなかった」
とおっしゃる方もいるかもしれない。
これを見て欲しい
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/jsyouwa.htm
昔っからいるのだ。こういうやつは。(^_^;
ちなみに、凶悪事件を起こした少年が再犯する可能性は過去の統計から4%強、ほとんどの少年少女は更生したと考えるのが正しい。実名報道される大人の再犯率はその10%弱、ほぼ倍である。これは社会的制裁が罪を償った後でも尾を引き、健全が社会生活が送れないが故とのことだ。
再犯や被害者の立場にたって実名報道や過度な罰則を与えるのが良しとする識者はこのあたりのことをわかっているのだろうか?
さて、それではなぜこれだけ少年犯罪が取り扱われているのだろう?
ここに簡潔にかかれているのでチェックね。
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/dekigoto/000824a.html
テレビの見過ぎってことですな(笑)
治安対策として監視カメラ導入など「不信」に基づいた街づくりよりも「信頼」を醸成する街づくりこそ犯罪予防の基本というのが犯罪統計の専門家の意見らしい。
そうか、とりあえず社会との連帯感が大切なのね。
ずるい映画というもの2
2004年6月4日 映画
うおーーーー!!(T^T)
俺は今、泣きながらタイピングしている。
セルビデオはエロビしか買わない俺が買っちまった。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
2001年公開、21世紀を迎えるのにふさわしい大傑作である。
以前レビューしたときは子供が借りてきてビデオを横目で観た。
http://diarynote.jp/d/38325/20030725.html を参照してもらいたい。
先の日記で俺は
>お涙頂戴ストーリーは観ないことにしている。わざとらしさが鼻につくのと、
>別に泣きたいために映画観てるワケじゃないから。
と書いたが、ワタクシ嘘をついておりました、隊長。
えぇえぇ、泣くの前提で買ってます。
で、予想通りまたまた涙が止まらん。もうバカみたいだ。
ネタバレなので観ないほうがいいのだが、観てもハマるはず。
もたついたと思えた導入部分もよく観ると計算されてるし、ギャグも「クレしん」らしくて及第点。なにより所々にある小物と台詞がすばらしい。そのおかげでスムースに....というか、否応なく(^_^;この世界にのめり込まれてしまう。
昭和40年代の商店街と夕焼け、その匂いを知っている者(俺もそうだ)はたかがアニメに恐ろしい程の望郷感を感じてしまうこと必至。
幼いとき「あ〜あ、もしもボックスかどこでもドアがあればなぁ、のび太は羨ましいなぁ」と思ったことはないだろうか?おれと同じような羨ましさをケンとチャコに感じることだろう。
学業、就職、恋愛、そして結婚。子供も生まれ幸せなはずなのにそれがあまりにも当たり前過ぎて忘れがちになる。頭のどこかにある「こんなはずじゃなかった」という失望感は雑踏の中で更に強調される。
こんなとき「夢」を未来の現実だと信じて疑わなかった過去に戻りたいと望む春日部の住人たちを誰が責められようかっ?!「この21世紀は俺たちが望んだ21世紀じゃない」ケンがつぶやく一言は30代以上の大人の代弁である。
俺も行きたい、20世紀博に行きたい。連れてってくれーーーー!!!
とまぁ三児の父親でも家族を捨ててみたくなるほど危険で魅惑的な20世紀博なのだが、しんちゃんたち春日部防衛隊の面々をはじめ子供達はそれが理解できずに戸惑う。そしてこの物語のテーマであり、21世紀を生きる我々に突きつけられた大きな疑問であるところの一言を放つのだ。、
「懐かしいって、そんなにいいのかな」
爆発的なリメイク、リバイバル等の過去の回帰は文化の進行が限界に達してしまったように感じさせる。もしかして日本人はこのまま60〜90年代をぐるぐる懐かしんで生きていくんじゃないだろうか?という恐ろしい想像をもしてしまうのだ。
結婚をしない、子供を持たない(できない、持てない、じゃないぞ)オトナが増えている現状も未来を信じることができない大きな証拠であるように感じる。
そんな中、このアニメはしんちゃんを通じて21世紀の家族(主におとうさん、おかあさん)よ!未来は決して暗くない、大丈夫だから、信じていこう!と手を差し伸べてくれるのだ。
悪の組織「イエスタディ・ワンスモア」に洗脳されていたひろし、20世紀の匂いで洗脳されているひろしをしんちゃんは彼の臭い足の臭いで目覚めさせる。
彼の過去、ささやかでももの凄い幸福な日々をナレーション無しで回想させる。幼いときの父との思い出、恋愛、失恋、上京し、みさえと知り合い、結婚、父になって、家を建てる。電車で揺られ家につくといつもの顔、みさえ、しんのすけ、ひまわり。
ひろしの足の臭いをおもしろ半分で嗅いで大笑いする子供達、そうやってまた明日が続く.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣。
ちなみにここから最後の小林幸子のエンディングまでずっと涙が止まらんかった。
みさえの洗脳も解いた野原家の人々は「イエスタディ・ワンスモア」が目論む作戦(懐かしい匂いをばらまいて日本中を20世紀博にしようという作戦)を止めるために鉄塔に向かう。その極秘作戦を「イエスタディ・ワンスモア」の親玉ケンは野原家の人々にうち明けるのだけど、彼の心のどこかにも「21世紀を信じてみたい」という気持ちがあったのだろう。「俺にも未来を見せてくれ」というSOSだったのか。
ともあれ家族は「イエスタディ・ワンスモア」の追跡をかいくぐりスイッチに向かう。道中の野原家の人々がイチイチ格好良いのだ。エレベーターのドアを必死におさえながら「俺の人生の幸せをお前にもわけてやりたいぜ!」と言い切るひろし、身を挺してしんちゃんを守るみさえとひま、そしてシロ。
最上階へエレベーターはなおも上昇する。それをボロボロになりながら階段で追いかけるしんのすけ。その中継を見入る20世紀博の住人たち.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣2
エレベーターは最上階、中のケンとチャコはスイッチに向かう。
そのとき!足を掴む陰ひとつ。しんのすけが間に合ったのだ。
振り払っても振り払っても追いすがるしんのすけ。しかしそこで力つきる。
スイッチが入るそのとき!
なんと匂いレベルが下がってるではないか。野原家の行動を見た住人がもう一度未来を信じてみようと思ってしまったのだ。
チャコは問う
「ねぇどうして?!現実の未来なんて醜いだけなのに!」
ボロボロのしんのすけはそれでも目を輝かせてこう言い切る。
「おら、とうちゃんやかあちゃんやひまわりとずっと一緒にいたい。大人になっておねーさんみたいなキレイなおねーさんといっぱいお付き合いしたいから!」
と。
だーーーーーーーー(T_T)...号泣3
よくぞ言ってくれた。これこそこの映画の、原恵一のいいたかったことなのだろう。そして、親である大人全てが自分の愛する子供に思っててもらいたい心意気なのだと思う。過去を生き、現在を生き、未来を生き、そして子供に託すという一生。この普遍的な生き方を忘れそうになってるものはここでガツンとくるはずだ。
さて、野望を絶たれたケンとチャコは希望を失いながらも死にきれずケンの愛車トヨタ2000GTで春日部のたんぼ道を進む。
彼らはどこに向かうのか?
「なんとか生きていくだろ」とひろしが答えるとおり、彼らは大いなる絶望感とそれでも捨てられない希望を持って生きていくだろう。そう信じたい。
最後の小林幸子の歌は母を想う歌である。本編がいささか父親に振りすぎた感があるが故のエンディングだったからかもしれないが、あれはあれですばらしかった。
今回は斜に構えずまっすぐ観てみたが、やっぱり最高である。
まだ観てない人は俺を信じて借りて観てくれ。で、よかったら買ってくれ。
絶対面白いから。もし面白くなかったら
レンタル料金TSUTAYAに替わって返金してあげます。
99点
俺は今、泣きながらタイピングしている。
セルビデオはエロビしか買わない俺が買っちまった。
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
2001年公開、21世紀を迎えるのにふさわしい大傑作である。
以前レビューしたときは子供が借りてきてビデオを横目で観た。
http://diarynote.jp/d/38325/20030725.html を参照してもらいたい。
先の日記で俺は
>お涙頂戴ストーリーは観ないことにしている。わざとらしさが鼻につくのと、
>別に泣きたいために映画観てるワケじゃないから。
と書いたが、ワタクシ嘘をついておりました、隊長。
えぇえぇ、泣くの前提で買ってます。
で、予想通りまたまた涙が止まらん。もうバカみたいだ。
ネタバレなので観ないほうがいいのだが、観てもハマるはず。
もたついたと思えた導入部分もよく観ると計算されてるし、ギャグも「クレしん」らしくて及第点。なにより所々にある小物と台詞がすばらしい。そのおかげでスムースに....というか、否応なく(^_^;この世界にのめり込まれてしまう。
昭和40年代の商店街と夕焼け、その匂いを知っている者(俺もそうだ)はたかがアニメに恐ろしい程の望郷感を感じてしまうこと必至。
幼いとき「あ〜あ、もしもボックスかどこでもドアがあればなぁ、のび太は羨ましいなぁ」と思ったことはないだろうか?おれと同じような羨ましさをケンとチャコに感じることだろう。
学業、就職、恋愛、そして結婚。子供も生まれ幸せなはずなのにそれがあまりにも当たり前過ぎて忘れがちになる。頭のどこかにある「こんなはずじゃなかった」という失望感は雑踏の中で更に強調される。
こんなとき「夢」を未来の現実だと信じて疑わなかった過去に戻りたいと望む春日部の住人たちを誰が責められようかっ?!「この21世紀は俺たちが望んだ21世紀じゃない」ケンがつぶやく一言は30代以上の大人の代弁である。
俺も行きたい、20世紀博に行きたい。連れてってくれーーーー!!!
とまぁ三児の父親でも家族を捨ててみたくなるほど危険で魅惑的な20世紀博なのだが、しんちゃんたち春日部防衛隊の面々をはじめ子供達はそれが理解できずに戸惑う。そしてこの物語のテーマであり、21世紀を生きる我々に突きつけられた大きな疑問であるところの一言を放つのだ。、
「懐かしいって、そんなにいいのかな」
爆発的なリメイク、リバイバル等の過去の回帰は文化の進行が限界に達してしまったように感じさせる。もしかして日本人はこのまま60〜90年代をぐるぐる懐かしんで生きていくんじゃないだろうか?という恐ろしい想像をもしてしまうのだ。
結婚をしない、子供を持たない(できない、持てない、じゃないぞ)オトナが増えている現状も未来を信じることができない大きな証拠であるように感じる。
そんな中、このアニメはしんちゃんを通じて21世紀の家族(主におとうさん、おかあさん)よ!未来は決して暗くない、大丈夫だから、信じていこう!と手を差し伸べてくれるのだ。
悪の組織「イエスタディ・ワンスモア」に洗脳されていたひろし、20世紀の匂いで洗脳されているひろしをしんちゃんは彼の臭い足の臭いで目覚めさせる。
彼の過去、ささやかでももの凄い幸福な日々をナレーション無しで回想させる。幼いときの父との思い出、恋愛、失恋、上京し、みさえと知り合い、結婚、父になって、家を建てる。電車で揺られ家につくといつもの顔、みさえ、しんのすけ、ひまわり。
ひろしの足の臭いをおもしろ半分で嗅いで大笑いする子供達、そうやってまた明日が続く.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣。
ちなみにここから最後の小林幸子のエンディングまでずっと涙が止まらんかった。
みさえの洗脳も解いた野原家の人々は「イエスタディ・ワンスモア」が目論む作戦(懐かしい匂いをばらまいて日本中を20世紀博にしようという作戦)を止めるために鉄塔に向かう。その極秘作戦を「イエスタディ・ワンスモア」の親玉ケンは野原家の人々にうち明けるのだけど、彼の心のどこかにも「21世紀を信じてみたい」という気持ちがあったのだろう。「俺にも未来を見せてくれ」というSOSだったのか。
ともあれ家族は「イエスタディ・ワンスモア」の追跡をかいくぐりスイッチに向かう。道中の野原家の人々がイチイチ格好良いのだ。エレベーターのドアを必死におさえながら「俺の人生の幸せをお前にもわけてやりたいぜ!」と言い切るひろし、身を挺してしんちゃんを守るみさえとひま、そしてシロ。
最上階へエレベーターはなおも上昇する。それをボロボロになりながら階段で追いかけるしんのすけ。その中継を見入る20世紀博の住人たち.....
だーーーーーーーー(T_T)...号泣2
エレベーターは最上階、中のケンとチャコはスイッチに向かう。
そのとき!足を掴む陰ひとつ。しんのすけが間に合ったのだ。
振り払っても振り払っても追いすがるしんのすけ。しかしそこで力つきる。
スイッチが入るそのとき!
なんと匂いレベルが下がってるではないか。野原家の行動を見た住人がもう一度未来を信じてみようと思ってしまったのだ。
チャコは問う
「ねぇどうして?!現実の未来なんて醜いだけなのに!」
ボロボロのしんのすけはそれでも目を輝かせてこう言い切る。
「おら、とうちゃんやかあちゃんやひまわりとずっと一緒にいたい。大人になっておねーさんみたいなキレイなおねーさんといっぱいお付き合いしたいから!」
と。
だーーーーーーーー(T_T)...号泣3
よくぞ言ってくれた。これこそこの映画の、原恵一のいいたかったことなのだろう。そして、親である大人全てが自分の愛する子供に思っててもらいたい心意気なのだと思う。過去を生き、現在を生き、未来を生き、そして子供に託すという一生。この普遍的な生き方を忘れそうになってるものはここでガツンとくるはずだ。
さて、野望を絶たれたケンとチャコは希望を失いながらも死にきれずケンの愛車トヨタ2000GTで春日部のたんぼ道を進む。
彼らはどこに向かうのか?
「なんとか生きていくだろ」とひろしが答えるとおり、彼らは大いなる絶望感とそれでも捨てられない希望を持って生きていくだろう。そう信じたい。
最後の小林幸子の歌は母を想う歌である。本編がいささか父親に振りすぎた感があるが故のエンディングだったからかもしれないが、あれはあれですばらしかった。
今回は斜に構えずまっすぐ観てみたが、やっぱり最高である。
まだ観てない人は俺を信じて借りて観てくれ。で、よかったら買ってくれ。
絶対面白いから。もし面白くなかったら
レンタル料金TSUTAYAに替わって返金してあげます。
99点
そんな貴方に捧ぐ画像というもの
2004年6月3日 学校・勉強昨日はPTA役員の歓送迎会で飲んだのだが、なんで帰宅が3時なのか?
とりあえずここ見て朝からコーヒー吹き出しました。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=4340
*******
目覚めれば 焙じ煎る香 充ち満ちて
エプロンの君 背中から抱く
とりあえずここ見て朝からコーヒー吹き出しました。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=4340
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目覚めれば 焙じ煎る香 充ち満ちて
エプロンの君 背中から抱く
こんな鉄拳は世界征服できないというもの
2004年6月2日 映画
音楽も演劇もライブが一番だ。
臨場感、演者と観客との駆け引きが緊張感を生み、やりとりが一体感を生む。
最近ではビデオライブもあるみたいだが、生身のオンナを抱いたあとのマスターベーションみたいなもんだ。あの感覚を知ると物足りなくなる(笑)。あ、俺は全日本オナニスト協会常任理事なんでコンスタントに右手子ちゃんとデートしてるけどな。
お笑いも同じだ。
若手芸人の勢いやベテランの味など、ライブで見ると迫力が違う。
下手なヤツなんかはシナリオを追っていくだけで精一杯で観客のことを考えてないので全然つまらん。アドリブのひとつくらい利かせろっつーの。
さて、鉄拳である。
スケッチブックネタというやつはネタがもう描いてあるので、ウケようがウケまいが、事前に用意したネタ以上のことは出来ない。ある意味とても高等な技術を要する。過去にはMANZAI-Cやあばれヌンチャクなど数々の芸人が挑戦したが、一世を風靡したとまでは言い難い。鉄拳なんかネタ的には「いつもここから」の足下にも及ばないにもかかわらず笑ってしまうのは、ひとつのギャグに固執しそれを出すタイミングと、間の取り方が絶妙だからだ。言ってしまえば瞬間芸なのである。(ホリケンの秋葉カンペーも似たところある)
その良さを全部取っ払ってCGだのアニメだの使って寒いギャグを連発したところで笑うべきものはなにもない。それすらもわからなかったのか?制作サイドは。IKKANよ、てめぇんとこの芸人の売り方くらい把握しとけ。
ひっさびさにくだらないビデオを観た。本は面白かったので余計ショック。
全部観ずに返却したのははじめてではなかろーか? 1点。
臨場感、演者と観客との駆け引きが緊張感を生み、やりとりが一体感を生む。
最近ではビデオライブもあるみたいだが、生身のオンナを抱いたあとのマスターベーションみたいなもんだ。あの感覚を知ると物足りなくなる(笑)。あ、俺は全日本オナニスト協会常任理事なんでコンスタントに右手子ちゃんとデートしてるけどな。
お笑いも同じだ。
若手芸人の勢いやベテランの味など、ライブで見ると迫力が違う。
下手なヤツなんかはシナリオを追っていくだけで精一杯で観客のことを考えてないので全然つまらん。アドリブのひとつくらい利かせろっつーの。
さて、鉄拳である。
スケッチブックネタというやつはネタがもう描いてあるので、ウケようがウケまいが、事前に用意したネタ以上のことは出来ない。ある意味とても高等な技術を要する。過去にはMANZAI-Cやあばれヌンチャクなど数々の芸人が挑戦したが、一世を風靡したとまでは言い難い。鉄拳なんかネタ的には「いつもここから」の足下にも及ばないにもかかわらず笑ってしまうのは、ひとつのギャグに固執しそれを出すタイミングと、間の取り方が絶妙だからだ。言ってしまえば瞬間芸なのである。(ホリケンの秋葉カンペーも似たところある)
その良さを全部取っ払ってCGだのアニメだの使って寒いギャグを連発したところで笑うべきものはなにもない。それすらもわからなかったのか?制作サイドは。IKKANよ、てめぇんとこの芸人の売り方くらい把握しとけ。
ひっさびさにくだらないビデオを観た。本は面白かったので余計ショック。
全部観ずに返却したのははじめてではなかろーか? 1点。
盗んだ男とおいてかれる男というもの
2004年6月1日 映画
格好良いなぁ、沢田研二。
ステキだなぁ、70年代。
というわけで、日本を代表するアクション映画の再観。
冴えない理科教師が原爆を作って日本を脅迫するというお話なのだが、これが有無を言わさないパワーで進行していくもんだから、「え? え? えぇ〜〜?」と気付けば画面に引っ張り込まれてしまう。
確かに行間を読めば、当時の社会情勢(原発問題、犯罪スタイル、シラケムード等)を批判してる風にも見えなくもない。しかし、若干32歳の新進気鋭の長谷川和彦はそういう真面目っぽい部分を隠れ蓑にしてとんでもないバカアクション映画を作りやがった。はっきりいってこの映画に比べたらいろんな物議を呼んだ「バトルロワイヤル」なんでかわいいもんである。
さて、そんなバカ映画も時代を重ねると熟成されるのか、当時の評価とは違ってくる。なによりあの時代に対する嫉妬の炎がメラメラとわき出てくるのだ。
いや、俺も70年代の恩恵は受けちゃいないが(仮面ライダーとウルトラマンにリアルタイムで巡り会えたことくらい)、「破壊」を肯定的な衝動として世間一般に認めてもらえるという時代は幸せだったんだろうなぁ、と理解はできる。それは「破壊」の後の「再生」になんらかの希望が持てたということの裏返しだから。
天皇の戦争責任を問うた老人は皇居で射殺された。
意味もなく原爆を作った男は被爆し、歯茎から血が出る。
命の重さの大小ではなく、重さの単位の違いというか、明らかに今とは違う価値観に戸惑い、羨望するのだ。
と、難しく書いてみたが、そんなことを考えずとも楽しめる作品であることはたしか。「んなバカなぁ(^_^;」とツッコミ入れながら観てもらいたい。
82点。
********
君方に 想い隠して 打つメール
押せぬボタンと 溜まる恋文
ステキだなぁ、70年代。
というわけで、日本を代表するアクション映画の再観。
冴えない理科教師が原爆を作って日本を脅迫するというお話なのだが、これが有無を言わさないパワーで進行していくもんだから、「え? え? えぇ〜〜?」と気付けば画面に引っ張り込まれてしまう。
確かに行間を読めば、当時の社会情勢(原発問題、犯罪スタイル、シラケムード等)を批判してる風にも見えなくもない。しかし、若干32歳の新進気鋭の長谷川和彦はそういう真面目っぽい部分を隠れ蓑にしてとんでもないバカアクション映画を作りやがった。はっきりいってこの映画に比べたらいろんな物議を呼んだ「バトルロワイヤル」なんでかわいいもんである。
さて、そんなバカ映画も時代を重ねると熟成されるのか、当時の評価とは違ってくる。なによりあの時代に対する嫉妬の炎がメラメラとわき出てくるのだ。
いや、俺も70年代の恩恵は受けちゃいないが(仮面ライダーとウルトラマンにリアルタイムで巡り会えたことくらい)、「破壊」を肯定的な衝動として世間一般に認めてもらえるという時代は幸せだったんだろうなぁ、と理解はできる。それは「破壊」の後の「再生」になんらかの希望が持てたということの裏返しだから。
天皇の戦争責任を問うた老人は皇居で射殺された。
意味もなく原爆を作った男は被爆し、歯茎から血が出る。
命の重さの大小ではなく、重さの単位の違いというか、明らかに今とは違う価値観に戸惑い、羨望するのだ。
と、難しく書いてみたが、そんなことを考えずとも楽しめる作品であることはたしか。「んなバカなぁ(^_^;」とツッコミ入れながら観てもらいたい。
82点。
********
君方に 想い隠して 打つメール
押せぬボタンと 溜まる恋文
熱海とヤキニクというもの
2004年5月31日 映画
2001年の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」、2002年の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で子供のみならずオトナの心までもわしづかみにしたクレしんシリーズの2003年度作品。
過去の2作品が大幅にオトナ寄りになったため今回は反動で子供向けのバカバカしいギャグ路線で行くことにはなんら異論はない。
事実、全編にちりばめられたギャグと監督水島努の真骨頂とも言うべきスピード感溢れるカット割り&演出は「これぞクレしん」と言うべきすばらしさだったし、焼き肉食いたいためだけのストーリーテリングは子供にもわかりやすいだろう。うちの子供達もゲラゲラと笑ってた....
でも
どこか納得いかないこの感覚。
これはなにか?と考えるうちに図らずも子供たちが見せた態度がその答えを如実に物語っていたのである。
それは、一度はゲラゲラと見るのだが、2度目はみない。
子供ってやつは「うんこ」や「ちんちん」が大好きである。注意されるまでバカのひとつ覚えのように「うんこちんちん」でいつまでもゲラゲラ笑える生き物なのだ。
そんな子供が一度観て満足してしまうとは子供向けギャグ映画として致命的、加えて話の根本に矛盾があるもんだからオトナが観ても「?」マークがずっと頭についてまわる。これでは映画に没頭できない。
パロディも地獄の黙示録のキルゴア中佐なんて子供がわからん上にわかる人間が観てもつまらん。
「爆発! 温泉わくわく大決戦 」では、子供の誰ひとり丹波哲郎のことを知らなくてもあんなに面白かったのに...
「ヘンダーランドの大冒険 」では、内容全然ないけどドタバタだけであんなに面白く観れたのに.....
「ルパン三世カリオストロの城」「ドラえもんのび太の恐竜」が今観ても面白い理由、それはドタバタの中にあるヒューマニズムやメッセージをオトナになって理解することができるからである。作り手の意図が理解できることで自身の成長を認識できる。これは作り手にも観客にもとても幸せなことだ。
大変残念だが本作品、そして先般公開された「嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」はその域にはない。「忘れられる作品」であろう。
30点
過去の2作品が大幅にオトナ寄りになったため今回は反動で子供向けのバカバカしいギャグ路線で行くことにはなんら異論はない。
事実、全編にちりばめられたギャグと監督水島努の真骨頂とも言うべきスピード感溢れるカット割り&演出は「これぞクレしん」と言うべきすばらしさだったし、焼き肉食いたいためだけのストーリーテリングは子供にもわかりやすいだろう。うちの子供達もゲラゲラと笑ってた....
でも
どこか納得いかないこの感覚。
これはなにか?と考えるうちに図らずも子供たちが見せた態度がその答えを如実に物語っていたのである。
それは、一度はゲラゲラと見るのだが、2度目はみない。
子供ってやつは「うんこ」や「ちんちん」が大好きである。注意されるまでバカのひとつ覚えのように「うんこちんちん」でいつまでもゲラゲラ笑える生き物なのだ。
そんな子供が一度観て満足してしまうとは子供向けギャグ映画として致命的、加えて話の根本に矛盾があるもんだからオトナが観ても「?」マークがずっと頭についてまわる。これでは映画に没頭できない。
パロディも地獄の黙示録のキルゴア中佐なんて子供がわからん上にわかる人間が観てもつまらん。
「爆発! 温泉わくわく大決戦 」では、子供の誰ひとり丹波哲郎のことを知らなくてもあんなに面白かったのに...
「ヘンダーランドの大冒険 」では、内容全然ないけどドタバタだけであんなに面白く観れたのに.....
「ルパン三世カリオストロの城」「ドラえもんのび太の恐竜」が今観ても面白い理由、それはドタバタの中にあるヒューマニズムやメッセージをオトナになって理解することができるからである。作り手の意図が理解できることで自身の成長を認識できる。これは作り手にも観客にもとても幸せなことだ。
大変残念だが本作品、そして先般公開された「嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」はその域にはない。「忘れられる作品」であろう。
30点
最近のウイルスメールは半端じゃない(__;)
一日30通くらい届くんだけど、なんとかならんのか?いや、届くのは別にいいんだけど、PCに届いたメールは携帯に転送かけてるから、ウイルスを受信するたびにピコピコうるさいのだ。かといって仕事上のメールもあるから転送解除できないし。
みなさんも早急に自分のPCをチェックしましょう。
さて、「砂の器」である。中居くんがドラマ主演で話題になったのか、過去の作品がDVDになって復活。松竹系のビデオなんてそんなにないからとりあえず復活するのは素直に喜びたい。
’04版の「砂の器」は時間があるときぼちぼちと観てたが、その薄っぺらさに笑っちゃって大変楽しくみさせていただいた記憶がある。中居くんは人を笑わせるのがうまいなぁ。あのドラマをあの脚本とキャストで作っちゃうTBSはホントにすごいと思う。こと、名作のリメイクという点ではフジの方がよほど真摯だということが良くわかった。
ということで’74版「砂の器」だが、まずスタッフ&キャストが凄い。
「天城越え」「ゼロの焦点」等、清張作品を撮らせたら右にでるものはいない野村芳太郎、脚本に山田洋次、音楽は東京交響楽団という原作に負けず劣らない重厚な布陣。キャストは今西刑事役に丹波哲郎、和賀英良役に加藤剛を迎え森田健作、笠智衆、菅井きん、佐分利信、緒形拳、渥美清、加藤嘉という松竹内外を問わないまさしくオールキャストを揃えてる。
当時は日本映画界も斜陽期に入り、そんなに予算はかけられなかったはずだ。
また大御所の原作を大きく曲げて作ったシナリオは清張ファンから異論も出たと聞く。しかし、明らかに原作より面白くなったシナリオを「どうだ!」と、このスタッフが作り、キャストが演じるのである。昭和日本映画の心意気を感じるではないかっ!
’04版で感動した人は是非こちらを観ていただきたい。時代設定が多少違うので違和感はあるかもしれないが(らい病と太平洋戦争の知識くらいは必要)きっと何十倍も感動できるだろう。
74点
一日30通くらい届くんだけど、なんとかならんのか?いや、届くのは別にいいんだけど、PCに届いたメールは携帯に転送かけてるから、ウイルスを受信するたびにピコピコうるさいのだ。かといって仕事上のメールもあるから転送解除できないし。
みなさんも早急に自分のPCをチェックしましょう。
さて、「砂の器」である。中居くんがドラマ主演で話題になったのか、過去の作品がDVDになって復活。松竹系のビデオなんてそんなにないからとりあえず復活するのは素直に喜びたい。
’04版の「砂の器」は時間があるときぼちぼちと観てたが、その薄っぺらさに笑っちゃって大変楽しくみさせていただいた記憶がある。中居くんは人を笑わせるのがうまいなぁ。あのドラマをあの脚本とキャストで作っちゃうTBSはホントにすごいと思う。こと、名作のリメイクという点ではフジの方がよほど真摯だということが良くわかった。
ということで’74版「砂の器」だが、まずスタッフ&キャストが凄い。
「天城越え」「ゼロの焦点」等、清張作品を撮らせたら右にでるものはいない野村芳太郎、脚本に山田洋次、音楽は東京交響楽団という原作に負けず劣らない重厚な布陣。キャストは今西刑事役に丹波哲郎、和賀英良役に加藤剛を迎え森田健作、笠智衆、菅井きん、佐分利信、緒形拳、渥美清、加藤嘉という松竹内外を問わないまさしくオールキャストを揃えてる。
当時は日本映画界も斜陽期に入り、そんなに予算はかけられなかったはずだ。
また大御所の原作を大きく曲げて作ったシナリオは清張ファンから異論も出たと聞く。しかし、明らかに原作より面白くなったシナリオを「どうだ!」と、このスタッフが作り、キャストが演じるのである。昭和日本映画の心意気を感じるではないかっ!
’04版で感動した人は是非こちらを観ていただきたい。時代設定が多少違うので違和感はあるかもしれないが(らい病と太平洋戦争の知識くらいは必要)きっと何十倍も感動できるだろう。
74点
あたたまるコイルというもの
2004年5月29日 映画
恒例のTSUTAYA5本千円デーだったので、借りてくる。
今回は邦画中心に借りてみた。
毎回思うがTSUTAYAの品揃え、なんとかならんのか?洋画は比較的揃ってるけど、邦画は全然ダメ。DVDが主流になって店舗スペースにゆとりが出来てるんだから邦画も是非力を入れてもらいたい。あとエロビデオもいらないだろ?あんな健全な店でエロいの借りるヤツなんていねーし。
ということで一本目「AKIRA」
1988年製のアニメーションで原作の大友克洋本人が監督となり制作した近未来SFアクション。
第3次世界大戦から31年後、2019年東京湾上の埋立地に作られた新市街ネオ・トーキョー、抗争に明け暮れる金田たちの前に現れる老人のような少年。政府の組織に連れ去られる鉄雄は?そして国家最高機密「アキラ」とは???
暴走族やゲリラ、アーミーに宗教家が入り交じる破壊の物語である。
驚くべき事は、21世紀の現在観てもクオリティが保たれてて十二分に鑑賞に堪えうるということだ。
さすがに16年前の作品なので街や小物の造形に古くさいものを感じる部分があるが、緻密に書き込まれたネオ・トーキョーとそこを疾走するバイクのテールの処理なんか今観ても美しいと感じられるし、人の動きも大変自然である。さすがジャパニメーションの元祖、伊達じゃなかった。
この映画が世界的に支持を集めた背景は10億円という破格な制作費がもたらす作り込みの凄さの他に、もうひとつ、この映画の原作&監督の大友克洋の世界観を忠実に再現できたことだろう。「ショート・ピース」のサイケと「気分はもう戦争」のアンチテーゼ、「童夢」の情念サイキックな世界観が「AKIRA」という娯楽作品を生んだ。元々映画的コマ割なので違和感少ないとはいえやはり氏自身が制作に携わったというのが大きいと思う。
まさしく日本を代表するアニメーションである。悔しかったら版権買って実写化してみろ、ハリウッドめ。
82点。
残念なのは大友克洋の才能がここで枯れてしまったことだろう。
「MEMORIES」でこけて「スプリガン」で呆れられ、「メトロポリス」で再起不能に陥った孤高の天才.....「スチームボーイ」で不死鳥のように復活できるか?
なんか予告編で見たら「天空の城ラピュタ」っぽかったんだけど大丈夫か??
今回は邦画中心に借りてみた。
毎回思うがTSUTAYAの品揃え、なんとかならんのか?洋画は比較的揃ってるけど、邦画は全然ダメ。DVDが主流になって店舗スペースにゆとりが出来てるんだから邦画も是非力を入れてもらいたい。あとエロビデオもいらないだろ?あんな健全な店でエロいの借りるヤツなんていねーし。
ということで一本目「AKIRA」
1988年製のアニメーションで原作の大友克洋本人が監督となり制作した近未来SFアクション。
第3次世界大戦から31年後、2019年東京湾上の埋立地に作られた新市街ネオ・トーキョー、抗争に明け暮れる金田たちの前に現れる老人のような少年。政府の組織に連れ去られる鉄雄は?そして国家最高機密「アキラ」とは???
暴走族やゲリラ、アーミーに宗教家が入り交じる破壊の物語である。
驚くべき事は、21世紀の現在観てもクオリティが保たれてて十二分に鑑賞に堪えうるということだ。
さすがに16年前の作品なので街や小物の造形に古くさいものを感じる部分があるが、緻密に書き込まれたネオ・トーキョーとそこを疾走するバイクのテールの処理なんか今観ても美しいと感じられるし、人の動きも大変自然である。さすがジャパニメーションの元祖、伊達じゃなかった。
この映画が世界的に支持を集めた背景は10億円という破格な制作費がもたらす作り込みの凄さの他に、もうひとつ、この映画の原作&監督の大友克洋の世界観を忠実に再現できたことだろう。「ショート・ピース」のサイケと「気分はもう戦争」のアンチテーゼ、「童夢」の情念サイキックな世界観が「AKIRA」という娯楽作品を生んだ。元々映画的コマ割なので違和感少ないとはいえやはり氏自身が制作に携わったというのが大きいと思う。
まさしく日本を代表するアニメーションである。悔しかったら版権買って実写化してみろ、ハリウッドめ。
82点。
残念なのは大友克洋の才能がここで枯れてしまったことだろう。
「MEMORIES」でこけて「スプリガン」で呆れられ、「メトロポリス」で再起不能に陥った孤高の天才.....「スチームボーイ」で不死鳥のように復活できるか?
なんか予告編で見たら「天空の城ラピュタ」っぽかったんだけど大丈夫か??
彼の国の宗教観というもの
2004年5月28日 映画
「パッション」を観る
イエス・キリスト最後の12時間と復活を描いた宗教映画。全編ラテン語とアラム語だけを用い新約聖書の記述を忠実に再現した、メル・ギブソンが私財と時間を投げ打って制作した超大作である。
キリスト教の国では映画を観た人がショック死したり、ユダヤの描写を巡っては宗教関係者の間に激しい論争を巻き起こしたそうだ。
キリシタンでもなんでもない俺の感想という注釈付きで書くが、この映画に感動的な部分はない。あるとすれば、この大作を作ろうと考えたメル・ギブソンに対する心意気のみ。
映像のほとんどを費やすイエスへの虐待やそれを誇張する音楽&スロー描写とフラッシュバックは観客を心底疲れさせ、思考能力を奪う。バトルロワイヤルと違って娯楽作品ではないので「良心」に訴えてくるもんだから、笑い飛ばすワケにもいかん。「んだよ、ただの暴力映画かよ」という本音を封印してしまうのだな(笑)。これは大変ストレスが溜まる。
とはいうものの、それは極東の島国の土着民も意見であるということも(各国の興行成績を見てみればわかるが)、よく理解しているつもりであるし、この映画に対する違和感こそが、いにしえから続く宗教戦争の一因であるので、認めはするよう努力しますけど。(チョー消極的意見(笑))
ま、観る人が観ると感想も違ってくるのだろうってことだ。どんな映画でもそうなんだけどね。^_^;
50点
ビデオレンタルのタダ券があったので「ラスト・サムライ」を借りてみる。一度映画館で観て最低だなぁ、と思ったのだけど、「パッション」の後に観たらなんか納得した。ナショナルプロパガンダ映画としては「パッション」も「ラスト・サムライ」も同じなんだろう。で、俺はやっぱ八百万の神さんの国の人間なのだ。
********
手を合わせ 慈悲乞う吾に 見えるのは
撲たれる神と 伐たれる民と
イエス・キリスト最後の12時間と復活を描いた宗教映画。全編ラテン語とアラム語だけを用い新約聖書の記述を忠実に再現した、メル・ギブソンが私財と時間を投げ打って制作した超大作である。
キリスト教の国では映画を観た人がショック死したり、ユダヤの描写を巡っては宗教関係者の間に激しい論争を巻き起こしたそうだ。
キリシタンでもなんでもない俺の感想という注釈付きで書くが、この映画に感動的な部分はない。あるとすれば、この大作を作ろうと考えたメル・ギブソンに対する心意気のみ。
映像のほとんどを費やすイエスへの虐待やそれを誇張する音楽&スロー描写とフラッシュバックは観客を心底疲れさせ、思考能力を奪う。バトルロワイヤルと違って娯楽作品ではないので「良心」に訴えてくるもんだから、笑い飛ばすワケにもいかん。「んだよ、ただの暴力映画かよ」という本音を封印してしまうのだな(笑)。これは大変ストレスが溜まる。
とはいうものの、それは極東の島国の土着民も意見であるということも(各国の興行成績を見てみればわかるが)、よく理解しているつもりであるし、この映画に対する違和感こそが、いにしえから続く宗教戦争の一因であるので、認めはするよう努力しますけど。(チョー消極的意見(笑))
ま、観る人が観ると感想も違ってくるのだろうってことだ。どんな映画でもそうなんだけどね。^_^;
50点
ビデオレンタルのタダ券があったので「ラスト・サムライ」を借りてみる。一度映画館で観て最低だなぁ、と思ったのだけど、「パッション」の後に観たらなんか納得した。ナショナルプロパガンダ映画としては「パッション」も「ラスト・サムライ」も同じなんだろう。で、俺はやっぱ八百万の神さんの国の人間なのだ。
********
手を合わせ 慈悲乞う吾に 見えるのは
撲たれる神と 伐たれる民と
「ペンは銃よりも強し」
という格言もあるように、文章は---言い換えれば言葉というものは---人ひとりを殺すに十二分な力がある。
ただし、拳銃で頭をぶち抜くと大概の人は死んでしまうけど、言葉でぶち抜いても平気な人もいる。ここが大きく違うところだろう。
何故か?
言葉には歴史があり、そしてその歴史が意味を形成する。そして発せられた人の想いが魂を宿らせる。発信する人の想いと着信する人の想いがうまくシンクロしたときにはじめて言葉は魂を持ち、力を発するのだ。発信する側の想いが微弱な場合、着信する側のアンテナ感度が鈍い場合、もしくはその両方の場合、言葉はただの文字の羅列と化す。
先般、お亡くなりになった国語学者の金田一春彦氏は「ら抜き言葉」や「キレる」等のいわゆる若者言葉、外来語の増加などは「日本人は新しいものに魅力を感じる国民だから」と肯定してみせた。また、単語の持つ意味さえも時代によって変わる場合があるともおっしゃった。「語」というものは絶えず変化するのだから「日本語が乱れる」という概念がおかしい、ということだろう。
となれば大事なことはその文字の羅列にどういう気持ちを込めて発するか?ということになるのではないか?
時代によって「愛してる」の意味は違ってくるかもしれない。
けど、愛する気持ちを込めて「愛してる」と発すれば、「愛してる」という言葉が魂を持ち、いつの時代でも普遍的愛する想いを伝えられるのだ。(逆説的に書こうと思ったんだがワケわからんくなったのでこのへんでやめとく(笑))
金田一春彦氏はこうも言う。
「言葉は個人の体験に根ざしている、連想するものの違いによって感じ方が違う、これが人間の気持ちなんだろうね」
そうそう、そういうことが言いたかったんですよ、センセイ。
という格言もあるように、文章は---言い換えれば言葉というものは---人ひとりを殺すに十二分な力がある。
ただし、拳銃で頭をぶち抜くと大概の人は死んでしまうけど、言葉でぶち抜いても平気な人もいる。ここが大きく違うところだろう。
何故か?
言葉には歴史があり、そしてその歴史が意味を形成する。そして発せられた人の想いが魂を宿らせる。発信する人の想いと着信する人の想いがうまくシンクロしたときにはじめて言葉は魂を持ち、力を発するのだ。発信する側の想いが微弱な場合、着信する側のアンテナ感度が鈍い場合、もしくはその両方の場合、言葉はただの文字の羅列と化す。
先般、お亡くなりになった国語学者の金田一春彦氏は「ら抜き言葉」や「キレる」等のいわゆる若者言葉、外来語の増加などは「日本人は新しいものに魅力を感じる国民だから」と肯定してみせた。また、単語の持つ意味さえも時代によって変わる場合があるともおっしゃった。「語」というものは絶えず変化するのだから「日本語が乱れる」という概念がおかしい、ということだろう。
となれば大事なことはその文字の羅列にどういう気持ちを込めて発するか?ということになるのではないか?
時代によって「愛してる」の意味は違ってくるかもしれない。
けど、愛する気持ちを込めて「愛してる」と発すれば、「愛してる」という言葉が魂を持ち、いつの時代でも普遍的愛する想いを伝えられるのだ。(逆説的に書こうと思ったんだがワケわからんくなったのでこのへんでやめとく(笑))
金田一春彦氏はこうも言う。
「言葉は個人の体験に根ざしている、連想するものの違いによって感じ方が違う、これが人間の気持ちなんだろうね」
そうそう、そういうことが言いたかったんですよ、センセイ。
アブノーマルセックスの代名詞であるところのSM。
サディズム(加虐性)とマゾヒズム(被虐性)の頭文字を合わせた呼称であり、語源はそれぞれマルキ・ド・サド(Marquis de Sade)ザッヒャー=マゾッホ(Leopold Ritter von Sacher-Masoch)という二人の文学者の性志向および著作からきている。
このあたりは普通の方でもご存じであろう。
一般的に苦痛を与えたり与えられたりすることに快感を覚える志向と思われがちだが、痛いから或いは苦しいから感じるのではなく、その時の屈辱感、主従関係のリアルな認識が快感になる訳だ。
言い換えれば、相手に身を任せる快楽、相手を自分の自由にする快楽とも言える。
ただひとつ、誤解されがちなのは、プレイの役回りとしての主従関係と、セックスをコントロールすることは違うということ。
S役が己の好き勝手なセックスを本能のままして、M役がただそれを受け入れてるワケじゃないのだ。
気持ちの良いSMはどちらかというと、M側が主導権を握ってるといっていい。
S役を気持ちよく引き立て、シチュエーションを整え誘導する。もちろんそのことをS役には気付かれないようにする。
「私を縛ってぇ〜ん」とおねだりするのは愚の骨頂。上手なMはS役にその趣味がなかろうと、緊縛プレイをしてしまう持っていきかたを知ってるのだ。
こういうM役の人に巡り会った人は幸せだろう。自身の新たな扉が開かれることになるのだから。
S役はというと、そこまでのスキルは必要ない。
愛する人が自分の腕で溺れていく様を慈しむことができる大きな心があれば問題ないのだ。
最近ではインターネットからおもちゃや武器が簡単に購入できることもあってか、ライトSMが普通の夫婦、カップルに流行ってるようである。これはとりもなおさず、人は潜在的にSあるいはM、もしくは両方の資質をもつ証ではないだろうか。
「あんたマゾちゃうの?」
という問いかけは決して良い意味として受け取られないことからもわかるように、多くの人にその資質があるにも係わらず、SMはどちらかと言うと蔑まれる行為と考えられてる。
そんな人の持つ陰の部分を愛する人の前でさらけ出す快感、これこそがSMの醍醐味なのかもしれない。
ってなにいってんだ?おれ。(笑)
サディズム(加虐性)とマゾヒズム(被虐性)の頭文字を合わせた呼称であり、語源はそれぞれマルキ・ド・サド(Marquis de Sade)ザッヒャー=マゾッホ(Leopold Ritter von Sacher-Masoch)という二人の文学者の性志向および著作からきている。
このあたりは普通の方でもご存じであろう。
一般的に苦痛を与えたり与えられたりすることに快感を覚える志向と思われがちだが、痛いから或いは苦しいから感じるのではなく、その時の屈辱感、主従関係のリアルな認識が快感になる訳だ。
言い換えれば、相手に身を任せる快楽、相手を自分の自由にする快楽とも言える。
ただひとつ、誤解されがちなのは、プレイの役回りとしての主従関係と、セックスをコントロールすることは違うということ。
S役が己の好き勝手なセックスを本能のままして、M役がただそれを受け入れてるワケじゃないのだ。
気持ちの良いSMはどちらかというと、M側が主導権を握ってるといっていい。
S役を気持ちよく引き立て、シチュエーションを整え誘導する。もちろんそのことをS役には気付かれないようにする。
「私を縛ってぇ〜ん」とおねだりするのは愚の骨頂。上手なMはS役にその趣味がなかろうと、緊縛プレイをしてしまう持っていきかたを知ってるのだ。
こういうM役の人に巡り会った人は幸せだろう。自身の新たな扉が開かれることになるのだから。
S役はというと、そこまでのスキルは必要ない。
愛する人が自分の腕で溺れていく様を慈しむことができる大きな心があれば問題ないのだ。
最近ではインターネットからおもちゃや武器が簡単に購入できることもあってか、ライトSMが普通の夫婦、カップルに流行ってるようである。これはとりもなおさず、人は潜在的にSあるいはM、もしくは両方の資質をもつ証ではないだろうか。
「あんたマゾちゃうの?」
という問いかけは決して良い意味として受け取られないことからもわかるように、多くの人にその資質があるにも係わらず、SMはどちらかと言うと蔑まれる行為と考えられてる。
そんな人の持つ陰の部分を愛する人の前でさらけ出す快感、これこそがSMの醍醐味なのかもしれない。
ってなにいってんだ?おれ。(笑)
小さな池の大きな魚というもの
2004年5月22日 映画
たっぷりとしたクッションのシートに深く腰掛けて大きな画面とすばらしい音響に囲まれて至福な時間を過ごすこと、これが高い金を払ってシアターで観る大きな理由である。最近では、プラズマだの液晶だの、家庭でも随分とAV環境が良くなってきてはいるが、やっぱりそこは日常なわけでどこか甘えた観方をしてしまうのだ。没頭するためには映画館に参じなければならない。
もっとも最近の映画はフィルムではなくビデオ撮影されてるものが多いので、映画館で観るとピントの甘さとカラーの薄っぺらさが気になってしまって萎えることもあるのだけど。
ということで久々に映画館で観て良かったという作品に出会いました。
「ビック・フィッシュ」
ユアン・マクレガー主演のファンタジー。
昔っからほら話が好きだったエドワード、息子ウィルはそんな父親信じてはなかった。成人したウィルは次第に父親とも疎遠になるのだが、父病状悪化の知らせを受け、ウィルは妊娠中の妻を伴って勤務地のパリからアメリカ南部の実家へと急ぐ。
病床に横たわるエドワードは昔のようにウィルに語りかける。シャム双生児の話、大男の話、サーカスの話.....
真実とはなにか?人生とは?父子とは?
ひとりの男の終焉を通じひとつの答えを見つけることが出来る一大叙情詩、傑作である。
あれだ。ティム・バートンそのもの。
「ビートルジュース」「シザーハンズ」「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と続くバートンワールドの集大成である。彼はこの映画を作る為に監督になったといっても過言ではない。
はじめはスピルバーグを迎えるという話があったそうだ。大正解、スピルバーグではこの世界観を作り上げることはできなかっただろう、良くも悪くも優等生すぎて。
パンフを観ると「猿の惑星」のスタッフそのままで作ったのね。
いやーあんな駄作の後で良く金を出す人間がいたものだ。余程の酔狂か先見の明がある人間だろう。
とにかく!
本年度俺がみた映画、ビデオの中では最高である。
「クレしんオトナ帝国の逆襲」「フィールド・オブ・ドリームス」と共に父子映画の殿堂入り決定。
94点。
もっとも最近の映画はフィルムではなくビデオ撮影されてるものが多いので、映画館で観るとピントの甘さとカラーの薄っぺらさが気になってしまって萎えることもあるのだけど。
ということで久々に映画館で観て良かったという作品に出会いました。
「ビック・フィッシュ」
ユアン・マクレガー主演のファンタジー。
昔っからほら話が好きだったエドワード、息子ウィルはそんな父親信じてはなかった。成人したウィルは次第に父親とも疎遠になるのだが、父病状悪化の知らせを受け、ウィルは妊娠中の妻を伴って勤務地のパリからアメリカ南部の実家へと急ぐ。
病床に横たわるエドワードは昔のようにウィルに語りかける。シャム双生児の話、大男の話、サーカスの話.....
真実とはなにか?人生とは?父子とは?
ひとりの男の終焉を通じひとつの答えを見つけることが出来る一大叙情詩、傑作である。
あれだ。ティム・バートンそのもの。
「ビートルジュース」「シザーハンズ」「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と続くバートンワールドの集大成である。彼はこの映画を作る為に監督になったといっても過言ではない。
はじめはスピルバーグを迎えるという話があったそうだ。大正解、スピルバーグではこの世界観を作り上げることはできなかっただろう、良くも悪くも優等生すぎて。
パンフを観ると「猿の惑星」のスタッフそのままで作ったのね。
いやーあんな駄作の後で良く金を出す人間がいたものだ。余程の酔狂か先見の明がある人間だろう。
とにかく!
本年度俺がみた映画、ビデオの中では最高である。
「クレしんオトナ帝国の逆襲」「フィールド・オブ・ドリームス」と共に父子映画の殿堂入り決定。
94点。
ボクとヤクザというもの1
2004年5月21日 オマヌケな出来事昨日ヤクザにからまれる話を書いたが、思い起こしてみると過去に何回かヤクザ絡みの出来事があった。
大学を卒業して、キャノンやIHIや日産の内定を蹴って就職浪人の道を選んだ俺は(今にして思えばここが俺の人生の分水嶺だな(笑))6月に大垣市のとあるメーカーに就職することになる。中京圏に分類される岐阜県大垣市はその例に漏れず喫茶店のモーニングが豪勢だ。コーヒー一杯の値段でトースト、ゆで卵、サラダ、飴ちゃんがつく。これが普通で、中にはバイキングを楽しめる店もあると聞く。詳しくはhttp://homepage2.nifty.com/kissaten/ 参照
話が逸れてしまった。
とにかく、俺は仕事の前途中の喫茶店で朝食を食べるのが日課になってた。気さくなマスターと奥さん、曜日限定で入るアルバイトの高校生、近所の常連さんとどこにでもある普通の喫茶店....ただひとつ違ったのはそのお店が競輪のノミ屋だったこと。(笑)大垣競輪場が近かったこともあったし、パチンコのメッカ名古屋も圏内ということで、とにかくギャンブルに暗いイメージがない。
競輪開催時には各地から芳ばしい方々が大量に押し寄せ、さながらお祭りのようであった。夜も柳ヶ瀬や金津まではいかないが、それなりに楽しかった。
そんな街なので、ノミ行為も明るい(笑)。
ギャンブルに詳しくなかった俺はそれが違法行為だとは知りもしなかったくらい。
とはいうものの、明るいから許せる行為でもなく、ある朝いつものようにお店に向かったら張り紙が一枚張ってあった。後日パチンコ屋で聞くとノミ行為がバレて摘発されたようだ。お客さんも何人か捕まったとも抗争事件に巻き込まれたとも金を持ち逃げしたとも聞いた。一番驚いたのは、いつのそのパチ屋で会うじいさんがヤクザの親分さんだったということ。目押しが出来なくて揃えてあげてから仲良くなったが、その人も捕まって新聞に出たから、もしかしてその人目当ての別件逮捕かもしれない。真偽はわからないけど。
とにかくこういうことがあったので俺の中の中京のイメージは「ヤクザ」「美女」「喫茶店」なのである。
大学を卒業して、キャノンやIHIや日産の内定を蹴って就職浪人の道を選んだ俺は(今にして思えばここが俺の人生の分水嶺だな(笑))6月に大垣市のとあるメーカーに就職することになる。中京圏に分類される岐阜県大垣市はその例に漏れず喫茶店のモーニングが豪勢だ。コーヒー一杯の値段でトースト、ゆで卵、サラダ、飴ちゃんがつく。これが普通で、中にはバイキングを楽しめる店もあると聞く。詳しくはhttp://homepage2.nifty.com/kissaten/ 参照
話が逸れてしまった。
とにかく、俺は仕事の前途中の喫茶店で朝食を食べるのが日課になってた。気さくなマスターと奥さん、曜日限定で入るアルバイトの高校生、近所の常連さんとどこにでもある普通の喫茶店....ただひとつ違ったのはそのお店が競輪のノミ屋だったこと。(笑)大垣競輪場が近かったこともあったし、パチンコのメッカ名古屋も圏内ということで、とにかくギャンブルに暗いイメージがない。
競輪開催時には各地から芳ばしい方々が大量に押し寄せ、さながらお祭りのようであった。夜も柳ヶ瀬や金津まではいかないが、それなりに楽しかった。
そんな街なので、ノミ行為も明るい(笑)。
ギャンブルに詳しくなかった俺はそれが違法行為だとは知りもしなかったくらい。
とはいうものの、明るいから許せる行為でもなく、ある朝いつものようにお店に向かったら張り紙が一枚張ってあった。後日パチンコ屋で聞くとノミ行為がバレて摘発されたようだ。お客さんも何人か捕まったとも抗争事件に巻き込まれたとも金を持ち逃げしたとも聞いた。一番驚いたのは、いつのそのパチ屋で会うじいさんがヤクザの親分さんだったということ。目押しが出来なくて揃えてあげてから仲良くなったが、その人も捕まって新聞に出たから、もしかしてその人目当ての別件逮捕かもしれない。真偽はわからないけど。
とにかくこういうことがあったので俺の中の中京のイメージは「ヤクザ」「美女」「喫茶店」なのである。
ささやかな施しというもの
2004年5月20日 オマヌケな出来事昨日の誕生日は数十名の女性の方から誕生日メールをいただき、「プレゼントはわ・た・し(はあと)」と身体をひらいてくれた数名のご婦人をありがたく頂戴しました。
んなわきゃ〜ない。
市長選が近いので慌ただしく、それどころじゃなかった。
うむ、年齢を重ねるとバースデー=老いるってことを実感して億劫なものになっていくのかもしれんなぁ。
さて、そんな誕生日、神様は俺にささやかなプレゼントをくれた。
仕事で外回りをしてる途中、近くの「ココス」で遅いランチをした。
「おたばこはお吸いになりますか?」という店員の言葉に頷き喫煙席へ。昨今の喫煙事情を反映してか、喫煙席は以前の半分のスペースになってた。2時をまわってたので客はまばらだが、おかげで喫煙席は盛況だ。俺はなにげにひとつの席に座る。
目の前の席にはどーみてもカタギじゃない連中が3人、大きな声で話をしている。どうやら闇金関連の方々のようで、「トイチ」やら「金主」やらドラマでしか聞かれない専門用語が飛び交ってた。なにかトラブルがあってその対策を話し合ってるようだ。
そのうち、トラブルの主が現れる。
はじめは温厚に話をしてたが、だんだん声が大きくなる。
「何人もヤクザ絡んでんだぞ....どーすんだよ!?」
バン!とテーブルを叩く音、店内が緊張する。目の前の席に座った自分を呪う(T^T)。
と、と、と、とにかくとっとと食って帰らねば。
しかし!その空気に押されてかパートのおばちゃん、出来てるはずのハンバーグ定食を持ってこない。おばちゃん!それそれ!!早く持ってきてよ。(^_^;
今にして思えば席を替わればよかったのだろうが、ムダな動きをして因縁つけられることを恐れた俺は食って店を出ることしか考えられなかった。
ヤクザの携帯が鳴る。和気あいあいと話す姿で店内の緊張はようやく緩む。それ今だ!ってな具合におばちゃん、ハンバーグをサーブする。
よっしゃ!即行で食おう!
と器を持った時、背後に気配が。
ヤクザの顔がこわばる。
瞬間、トラブルの主が俺のテーブルに飛んできた。
ハンバーグ定食は飛び散り俺のスーツはソースだらけ。
俺の背後に立ってた人間はヤクザの兄貴分らしく、それがいきなりトラブルの主を殴ったのだった。
「立て!この野郎!!」
引きずりながら店内を出ていく。
ぼーぜんとする俺に「にいちゃん悪いな」と千円を渡すヤクザ。
「なにさらすんじゃー!ボケ!!千円で足りるワケないだろ!!」
と、言えるはずもなく(笑)。「いえいえ」と答えるのがやっと。
「おいねえちゃん、同じのもうひとつ作ってやってくれや」
とオーダーするので「あ、結構ですから。時間ないですし」と丁寧にお断りをする。とにかくここから逃げないと。(^_^;
レジに行くと店長らしき人が出てきた。
「申し訳ありません」と3千円の商品券をくれる。「ご精算は結構ですので」
というのでお言葉に甘えて店を出た。
神様、これは施しですか?それとも罰ですか?(笑)
んなわきゃ〜ない。
市長選が近いので慌ただしく、それどころじゃなかった。
うむ、年齢を重ねるとバースデー=老いるってことを実感して億劫なものになっていくのかもしれんなぁ。
さて、そんな誕生日、神様は俺にささやかなプレゼントをくれた。
仕事で外回りをしてる途中、近くの「ココス」で遅いランチをした。
「おたばこはお吸いになりますか?」という店員の言葉に頷き喫煙席へ。昨今の喫煙事情を反映してか、喫煙席は以前の半分のスペースになってた。2時をまわってたので客はまばらだが、おかげで喫煙席は盛況だ。俺はなにげにひとつの席に座る。
目の前の席にはどーみてもカタギじゃない連中が3人、大きな声で話をしている。どうやら闇金関連の方々のようで、「トイチ」やら「金主」やらドラマでしか聞かれない専門用語が飛び交ってた。なにかトラブルがあってその対策を話し合ってるようだ。
そのうち、トラブルの主が現れる。
はじめは温厚に話をしてたが、だんだん声が大きくなる。
「何人もヤクザ絡んでんだぞ....どーすんだよ!?」
バン!とテーブルを叩く音、店内が緊張する。目の前の席に座った自分を呪う(T^T)。
と、と、と、とにかくとっとと食って帰らねば。
しかし!その空気に押されてかパートのおばちゃん、出来てるはずのハンバーグ定食を持ってこない。おばちゃん!それそれ!!早く持ってきてよ。(^_^;
今にして思えば席を替わればよかったのだろうが、ムダな動きをして因縁つけられることを恐れた俺は食って店を出ることしか考えられなかった。
ヤクザの携帯が鳴る。和気あいあいと話す姿で店内の緊張はようやく緩む。それ今だ!ってな具合におばちゃん、ハンバーグをサーブする。
よっしゃ!即行で食おう!
と器を持った時、背後に気配が。
ヤクザの顔がこわばる。
瞬間、トラブルの主が俺のテーブルに飛んできた。
ハンバーグ定食は飛び散り俺のスーツはソースだらけ。
俺の背後に立ってた人間はヤクザの兄貴分らしく、それがいきなりトラブルの主を殴ったのだった。
「立て!この野郎!!」
引きずりながら店内を出ていく。
ぼーぜんとする俺に「にいちゃん悪いな」と千円を渡すヤクザ。
「なにさらすんじゃー!ボケ!!千円で足りるワケないだろ!!」
と、言えるはずもなく(笑)。「いえいえ」と答えるのがやっと。
「おいねえちゃん、同じのもうひとつ作ってやってくれや」
とオーダーするので「あ、結構ですから。時間ないですし」と丁寧にお断りをする。とにかくここから逃げないと。(^_^;
レジに行くと店長らしき人が出てきた。
「申し訳ありません」と3千円の商品券をくれる。「ご精算は結構ですので」
というのでお言葉に甘えて店を出た。
神様、これは施しですか?それとも罰ですか?(笑)