「ペンは銃よりも強し」
という格言もあるように、文章は---言い換えれば言葉というものは---人ひとりを殺すに十二分な力がある。
ただし、拳銃で頭をぶち抜くと大概の人は死んでしまうけど、言葉でぶち抜いても平気な人もいる。ここが大きく違うところだろう。
何故か?
言葉には歴史があり、そしてその歴史が意味を形成する。そして発せられた人の想いが魂を宿らせる。発信する人の想いと着信する人の想いがうまくシンクロしたときにはじめて言葉は魂を持ち、力を発するのだ。発信する側の想いが微弱な場合、着信する側のアンテナ感度が鈍い場合、もしくはその両方の場合、言葉はただの文字の羅列と化す。
先般、お亡くなりになった国語学者の金田一春彦氏は「ら抜き言葉」や「キレる」等のいわゆる若者言葉、外来語の増加などは「日本人は新しいものに魅力を感じる国民だから」と肯定してみせた。また、単語の持つ意味さえも時代によって変わる場合があるともおっしゃった。「語」というものは絶えず変化するのだから「日本語が乱れる」という概念がおかしい、ということだろう。
となれば大事なことはその文字の羅列にどういう気持ちを込めて発するか?ということになるのではないか?
時代によって「愛してる」の意味は違ってくるかもしれない。
けど、愛する気持ちを込めて「愛してる」と発すれば、「愛してる」という言葉が魂を持ち、いつの時代でも普遍的愛する想いを伝えられるのだ。(逆説的に書こうと思ったんだがワケわからんくなったのでこのへんでやめとく(笑))
金田一春彦氏はこうも言う。
「言葉は個人の体験に根ざしている、連想するものの違いによって感じ方が違う、これが人間の気持ちなんだろうね」
そうそう、そういうことが言いたかったんですよ、センセイ。
という格言もあるように、文章は---言い換えれば言葉というものは---人ひとりを殺すに十二分な力がある。
ただし、拳銃で頭をぶち抜くと大概の人は死んでしまうけど、言葉でぶち抜いても平気な人もいる。ここが大きく違うところだろう。
何故か?
言葉には歴史があり、そしてその歴史が意味を形成する。そして発せられた人の想いが魂を宿らせる。発信する人の想いと着信する人の想いがうまくシンクロしたときにはじめて言葉は魂を持ち、力を発するのだ。発信する側の想いが微弱な場合、着信する側のアンテナ感度が鈍い場合、もしくはその両方の場合、言葉はただの文字の羅列と化す。
先般、お亡くなりになった国語学者の金田一春彦氏は「ら抜き言葉」や「キレる」等のいわゆる若者言葉、外来語の増加などは「日本人は新しいものに魅力を感じる国民だから」と肯定してみせた。また、単語の持つ意味さえも時代によって変わる場合があるともおっしゃった。「語」というものは絶えず変化するのだから「日本語が乱れる」という概念がおかしい、ということだろう。
となれば大事なことはその文字の羅列にどういう気持ちを込めて発するか?ということになるのではないか?
時代によって「愛してる」の意味は違ってくるかもしれない。
けど、愛する気持ちを込めて「愛してる」と発すれば、「愛してる」という言葉が魂を持ち、いつの時代でも普遍的愛する想いを伝えられるのだ。(逆説的に書こうと思ったんだがワケわからんくなったのでこのへんでやめとく(笑))
金田一春彦氏はこうも言う。
「言葉は個人の体験に根ざしている、連想するものの違いによって感じ方が違う、これが人間の気持ちなんだろうね」
そうそう、そういうことが言いたかったんですよ、センセイ。